文/中国河南省の大法弟子
【明慧日本2012年2月26日】 師父は『洪吟三』「誰是誰非」の中で、「修煉者は自分に向けて探し さまざま人心を多く取り除きます 大きな関、小さな関を取り残してはいけません 正しいのは彼 間違っているのは私 何を争っているのですか」と述べられています。本書が発表されてから、多くの同修はみな暗誦できるようになったと思います。しかし、いざトラブルにぶつかった時、本当に認識できるか、やり遂げることができるは別のことです。場合によっては、表面上本当に自分が間違っているわけではなく、ひいては自分の問題でもないのに、どうして自分の間違いだと言えるのでしょうか? この観念を変えることはとても重要です。表面的な間違いを見るのではなく、本質的なところから見るべきです。
最近、私はあることにぶつかりました。それが自分の間違いだと、はっきりと認識してから、相手の態度に見事な変化が起きました。そして、師父の説かれたこの法理に対して、私はさらにはっきりと認識することができました。
ある日、妻(同修)は仕事から帰って来ると、かんかんになって怒り出し、同僚の間違いをくどくどと言い始めました。言えば言うほどますます怒り出し、後には、まったくその相手を呪っていました。私は妻に「修煉者として、相手が間違っているかどうかに関わらず、常人を恨んだり、罵ったり、呪ったりするのはよくない。それも業を作ることになり、次元が落ちてしまう。心性を守るべきだよ」と言いました。また「修煉者がトラブルにぶつかった時、まず自分に向けて探すべきで、常人の同僚との間に起きたトラブルは、必ずあなたの間違いであり、まさにあなたが向上すべき、容量を拡大すべきチャンスなんだよ」とも言いました。
しかし、妻に言わなかった方がよかったのでしょうか、指摘すればするほど、妻はますます激しく言い募り、繰り返し言っても、少しの効果もありませんでした。ついにはなんと、直接私に向かってきました。私が妻を手伝っているのではなく、妻の同僚を助けて喋っていると言い、相手の仲間だとまで言いました。私は妻のこの一言で、かえって少し冷静になりました。私は再び妻と論争せず、心を静め、自分に向けて何の問題があるかを探し始めました。
そうですね、私はいま何をしているのでしょうか? 偉そうに、人が正しいとか、間違っているかと評価し、相手を非難し、皮肉り、私が演じたのは完全に自身を局外に置いた裁判官の役でした。終始、このことが自分とどんな関係にあるのかを考えもしなかったのです。その中に、自分が向上する要素があるのではないでしょうか? その中に自分の間違いはなかったのでしょうか? 自分がこのようなことを耳にすることができ、自分と関係がないと言えるのでしょうか? 自分の向上と無関係なのでしょうか? 妻の態度に、本当に私の要素が含まれていないと言えるのでしょうか?
同修は一枚の鏡です。映し出されたのはまさに自分の不足ではないでしょうか? 普段自分は、妻が学法せず、発正念をしないのを目にすると不快感を覚え、文句を言ったり非難したり、嫌悪していました。いつも妻は精進していないと指摘し、ひいては人を脅す言葉まで口にして、それらはすべて情でした。私が妻の空間場に投げ出したのはすべて黒い物質でした。その中には、慈悲の心はめったになく、もちろんいかなる効果もありませんでした。
妻のこの状態はすでにとても長く続いており、私がいかに努力しても変えることはできませんでした。今日冷静になり、妻の精進していない要因に、私の起こした良くない作用、自分に起因する責任がどのくらいあるのか、と考えるようになりました。常に妻がよくない、妻がよくないと言って、妻は本当によくなることができなかったのです。間違っていたのは、本当は私でした。ここまで考えてきて、私は心の中から妻に対して、マイナスの影響をもたらした私のすべての要素を徹底的に取り除こうという一念を発しました。
私が内に向けて探すにつれて、妻の態度にも変化が現われ始めました。妻は独り言を言いながら、怒りが少しずつ少なくなり、恨む心も少しずつ減り、正念が蘇り始めました。後になって、繰り返しがありましたが、私は心が動じませんでした。私は、それが妻の本来の振る舞いではなく、それは妻の思想業力、観念、人心の現れだと分かっていたからです。
私がこのすべてを認識した時、妻の正念も出てきました。妻の本当の自分が目覚めてきました。妻は独り言で、「法をしっかり勉強し、真相を伝えて人を救い、師父の『洪吟三』の中の歌詞を暗誦します」と言っていました。ここまで至るのに、どんなに長い時間がかかったことでしょうか。妻がこれほど積極的に自分自身に対して、精進するように要求している言葉を、私は初めて聞きました。妻のこの驚異的な変化を目にして、私は心を強く揺り動かされ、言葉で言い現わすことはできないほどでした。本当に私の間違いでした。
道はまだまだ続きます。今後、何かが起きようとも、私は同修に対して、プラスの側面から働きかけ、自分のせいで同修が邪魔されるようなことを絶対にしないと、自分に対してそう厳粛に警告しました。