文/東方の縁
【明慧日本2012年2月26日】
学法を重視し、心を修めることを重んじる
私と連れ合いは、特殊な事情がない限り、毎週『転法輪』を1回学び、その他の説法も1篇から2篇くらい読むことに決めています。私たちは学法の量を求めませんが、出発点はただこの取り決めをもって、自己を制約し、惰性を修めるためです。常人は仕事をするのに計画を立てます。神聖な学法はなおさらそうすべきです。もちろん、更に学法の質を重視し、法を読む時に集中して真面目に読み、常に自己に結びつけて読み、不足を見つけ出し、自己を正すべきです。学法の前に、口をすすぎ、手を洗い、顔を洗い、服装をきちんとし、背中を裸にしません。なるべく双盤し(天上の神は、跪いて師父の説法を聞きますので、私たちも高い基準で自分を要求すべきです)、両手で本を捧げ、正しい姿勢で座ります。私たちは学法しながら、法理について交流し、内に向けて自己を探し、他人には寛容で、他人のために多く考えるようにします。法を多く学ぶと、「内に向けて探し、心を修める」ことは比較的やりやすく、めったに仕事を悪くさせることはありません。
昨年の夏休み前、息子は、孫と嫁のいとこの息子を連れて我が家に三伏(訳者注:夏の最も暑い時期)の前に来て、三伏の後に帰ると言いました。それはちょうど一番暑い時でもありました。孫は私の家で誕生日を過ごしたがり、話のなかで、お婆さん(私)に、新たに5000元(日本円約6万5千円)くらいのパソコンを買ってもらい、それを外国語の勉強に使いたいということでした。すでに決まっているらしく、変更できないようでした。当時、私はどういうことかよくわかりませんでしたが、これは絶対偶然ではなく、必ず私に修めるべきことがある、師父は縁のある人を送ってくださると思い、また人心を動かしていけないと思いました。
息子たちが我が家に入ってきた時、嫁のいとこの息子は背が高く太っていて、12歳の子供には見えないことに気づきました。彼は人に会っても挨拶することを知らず、食事の量は珍しいほど多かったのです。ご飯を3杯もおかわりし、食卓でもおかずを奪って、自分の碗にいっぱい入れました。食事が終わると、私は慌ただしく食器を洗い、掃除をしたり、食卓を整理したり、急いで彼らがシャワーを使えるように準備し、彼らが着替えた汚れた服を洗濯しました。2人の子供は年齢的に数カ月離れていましたが、口喧嘩したり、殴りあったりしていました。また彼らによって、間もなく水道の蛇口はねじり壊され、半月も経たない内に、ござのヘリは千切れてしまいました。さらにエアコンをつけながら扇風機もまわし、夜間でもすべてのライトを夜が明けるまでつけていました。
私は息子の様子を見て、私がとても耐えられないことを心配して気を使っていることが分かりました。私は息子に「あなたは心配する必要はありません。あなたの両親は真・善・忍を修めているため、あなたを困らせません。しかし、あなたは少なくとも真実を私たちに教えるべきです」と告げました。息子はここでやっと、本当のことを私たちに話してくれました。嫁のいとこの息子の両親は商売に忙しく、彼の面倒を見る時間がなく、かれらの息子はこのような状態になってしまったそうです。彼のお爺さん、お婆さんでさえ彼を嫌がっていて、ただ彼のお父さんだけが彼に対して、少し優しいだけだと言うのです。子供自身も家にいたがらず、彼のお父さんが息子に5千元を出して、彼(嫁のいとこの息子)を私の息子の家に送り、さらに夏休みの間に彼に授業の補習もしてほしいということでした。その時、孫も口を挟んで、「彼が我が家に来てから2日しか経っていないのに、ママはもうあきれてしまいました」と言いました。息子も口ごもり、続けて私に、すでに2人の子供をつれて、3日間旅行をしてから、やっと我が家に来た、と告げました。これまで聞いて私はすぐに、辛い思いと恨みを覚えました。「お金はお前たちが受け取り、面倒は私のところに持ってきたのか。私は苦しみを舐めただけでなく、疲れたうえに責任を負わなければならず、たくさんのお金を費やさないといけないが、息子の嫁は自宅でのんびりしているのだ」と思い、私は自分を制御できず、「どうして彼女の親のところに送らなかったの」と聞きました。息子は返事をせず、しばらくして、すでにこのことのために嫁と口喧嘩をしたと言いました。
息子の様子をみて、私は突然、目の前の状況は、師父が『転法輪』の中で説かれた、「二人はちょうど憎々しげに、調子に乗って悪口を言っているではありませんか」の例と、いかに似ているかと意識しました。突然現れたトラブルに直面して、文中の彼は「彼はやはり気になってたまらず、どうしても後ろを振り向いて、その二人の様子を覗いてしまうかも知れません」という状況でした。私の場合はどうしても「あれこれ聞きたくなりました」。まさに私が心を放下できていなかったため、息子と孫の言葉を借りて私の心が刺激されたはずです。私は絶対に心を動じてはならない、これは私の向上のための機会だと悟り、すぐにその心を取り除き、かつ法理に基づいて自分を正しました。私は息子にはっきりと「私はあなたに一銭も請求しないから安心しなさい。私は嫁にも文句を言わず、彼女を恨みません。彼女には必ず彼女なりの難しさがあるので、私たちは更に人の子供をちゃんと世話しないといけません。我が家に来た以上、私たちは彼の面倒をよくみないといけない。子供自身もとても可哀想だから。ものが壊れたら、私たちは再び買えばよいし、使うべきお金は必ず使います。あなたは気分を直して、楽しく夏休みを過ごしなさい」と言いました。
息子は彼の計画通り、2人の子供を連れて、朝には鍛錬し、また外国語の勉強を補習し、宿題をやらせ、数学を教えてあげました。私と連れ合いはいつも通り、学法と煉功をし、また買い物、炊事、洗濯に忙しく、心を尽くして彼らの日常生活の面倒をみてあげました。朝から晩まで汗だくでしたが、苦しいとは思いませんでした。なぜなら、借りたものは喜んで返さないといけないし、舐めるべき苦しみは必ず舐めなければならず、修煉の道のりに偶然なことはなく、他人を思いやり、すべてに対して慈悲で対処すべきということを私は知っていたからです。
あっというまに1カ月近くが過ぎました。パソコンを買ったので孫は満足し、みな喜んで彼の誕生日を祝いました。嫁のいとこの息子も真相を聞き、神韻を観て、真面目に各種の小冊子とチラシを読んで、彼はすべてをはっきり分かりました。彼は喜んで中共邪党の少先隊から脱退し、家に持ち帰り、両親に見せたいと、1セットの小冊子を要求しました。私はとても感動しました。
息子が帰る準備をしていた2日前の夜、彼の隣に住む一家3人が、千里も離れたところから親戚訪問に訪れ、同じ都市だったためついでに息子に会いに、我が家を訪れました。彼らは30分しかないと言いました。私は挨拶をする暇もなく、すぐ真相を伝えて資料を渡し、彼らに名前を付けて三退させました。30分後、彼らは喜んで我が家を離れていきました。我が家を出る前、家に帰ったら両親に「法輪大法はすばらしい」、「真・善・忍はすばらしい」と敬虔に念じさせると言いました。
翌日の夜、私はわざわざ息子の嫁のいとこの息子をレストランにつれて行き、ご馳走しました。息子と孫も付き合ってくれました。食事の際、彼は他人を思いやり、他人を尊敬し、他人のために思いやることの喜びを体験し、彼はとても楽しく過ごしました。息子は申し訳ないと思っていたようです。暑い三伏のなか、70~80歳の親に1カ月間苦労させ、多くの金を使わせたと言いました。私は再び息子に、「あなたの両親は真・善・忍を修めているので、あなたが今回4人の縁のある人を連れてきてくれたので、私は苦しく疲れて、経済的に損失があっても、喜んでいます」と言いました。私の話を聞いて、息子は笑いました。
しかし、私はかすかに、息子が現した申し訳なさは、私自身が作り上げた、私のまだ徹底的に取り除いてないアンバランスな人心が、彼の心を傷つけたのだと感じました。もし、この1カ月間に発生したすべてを一幕の劇とするならば、表面的には円満に終わったと言えるかもしれませんが、煉功者の角度からみれば、まだピリオドを打つことはできません。自分はまだ良くできておらず、役者としてよく演じられなかったことに等しいからです。私はこのような不足のなかで、一歩一歩しっかり歩み、一歩一歩成熟に向かっています。これこそ修煉です。
生命を大事にし、機縁をつかむ
大法弟子が真相を伝えることは、法を実証することです。この過程には、人心があり、困難がありますが、これこそ修煉です。
私には数人の佛教を修めている知り合いがおり、ある人は長年の友人です。私は彼女達のことが気になっていましたが、一方で彼女達に真相を伝えることを恐れていました。障碍がとても大きいと感じ、説明するのにとても疲れると思っていました。一度、私が真相資料を持って行った際、ひとりの私より若い佛教を修めている人に会いましたが、彼女は私に会うと泣き出し、私の首を抱きしめ、とても悲しそうに泣いて、繰り返し「あなたに会えて、安心しました」とつぶやきました。私は真相をすべてはっきりと彼女に説明しました。彼女は喜んで、青年団と少先隊から脱退しました。私が離れるとき彼女は、主人が病気だから、早く帰らないといけないと告げました。私は慌てて彼女の住所を聞きました。
その後、私は彼女の自宅を訪れました。彼女の主人、娘、姑の3人ともが、みな自宅にいました。私は大法の偉大さ、不思議さと邪党の迫害について語り、また三退の勢いについて紹介しました。3人とも同時に邪党の関連組織から脱退しました。私が説明する間、彼女の夫は何回も感動して涙を流し、『転法輪』を読みたいと申し出ました。
その後、私はまた彼女の実家を訪れ、彼女の父親と2時間以上話しました。彼はずっと黙々と聞いていました。最後に彼は突然、大声で「私は今後、阿弥陀仏を念じません、私は、『法輪大法はすばらしい』、『真・善・忍はすばらしい』と念じます」と言い、すぐに邪党の青年団と少先隊から脱退することを声明しました。彼の隣にいた息子の嫁も、少先隊から脱退することに同意しました。このとき、私はやっと、彼ら一家がもともとみな佛教の居士であったことを知りました。このことは私の観念を変え、私が宗教の人々に対して真相を伝えることにおいて、新たな突破がありました。もちろん、これは後の話です。
真相を伝える過程において、私は毎日数十里を往復し、バスを降りてから、とても遠い距離を歩かなければならず、とても暑い三伏の期間、強い日差しに照らされると本当に全身汗だくになりました。疲れて苦しいのですが、まさにこのような環境の中で、私は待つ心、頼る心、安逸の心を修めることができ、人の観念を破り、人を救う範囲を広げることができました。
大法が受難してから12年が経ちました。大法弟子の行なったすべてのことは、すべて人を感動させる物語です。すべての物語のなかには師父の無量の慈悲が含まれています。すべての物語にはみな大法弟子の「師について、法を正す」足跡が残されています。すべては着実に記載されています。
実際、私たちが普段、学法したり、煉功したり、発正念をする等々は、すべて修煉の過程です。私たちが家庭で、社会で、親友との間で、ぶつかったすべても修煉であり、私たちの普段のすべての考え、一挙一動、ひいては夢の中のすべても修煉です。ですから修煉の道のりにおいて、随時、各方面からやってくる悩み、困難と魔難に遭遇します。しかし、いかに困難であっても、私は「私はほかでもなく、師父の真修弟子になる、私は必ず師父の真に修める弟子になる」という一念を固めていきます。
不適切なところについては、同修のご指摘をお願いします。
(完)