法を正す時期の修煉で、偉大なる師父に感謝する(四)
文/中国の大法弟子
(明慧日本) 刑務所の中で、私は6人の監視役と部屋に閉じ込められ、食べ物、話の内容、喜怒哀楽の表情まで記録されました。
かれらは私にプレッシャーをかけて、「転向」させようとしましたが、全部失敗しました。私は心「どんな方法も私の信念を動揺させることは出来ず、旧勢力が按排したすべてを認めず、師父に按排された道しか歩まない」と思いました。
刑務所内で2カ月を過ごし、私は刑務所の病院に運ばれて、同じく6人の監視役と一緒に1年半を過ごした後、家に戻りました。
邪悪の環境の中で、いつも師父の慈悲なご加護を感じました。私の「病業」状態(表面では絶食した時に迫害されたのが原因)は酷く、どきどきすることもありましたが、人心を放下し、師父の按排にお任せして、たえず法を暗唱し発正念をして、無事に乗り越えました。「旧勢力のいかなる按排も私は一切承知しません。これからの道のりはいくら長くても、どれだけ困難であっても私は師父について法が人間を正す日までついて行きます」と私は心から師父に話しました。
師父の誕生日、十五夜、新年になる度に、私は黙々と師父に祝賀の意を表して、刑務所の中に監禁されているすべての大法弟子を代表して師父にご挨拶を申しあげました。私の生命は大法の中でしか保証できず、大法でしか正されませんので、大法の中でこそ生命の真の意義が現れます。
重病のため刑務所が一時出所の手続きをしてくれた時に、私は一時執着心を起こしたため、少し難航しましたが、最後に本当に執着心を放下した時にスムーズにできました、そして全過程で私の保証のサイン等は要りませんでした。
「病業」への認識と対処
私自身の病業があるため、私は特に師父のこの方面の説法を学習して、同修の関連交流文をよく読みました。「病業」の具体的な表現はどうであろうとも、同修が如何に対処しても、発正念をして最後に乗り越えた同修は皆共通点があることを私は発見しました。
その共通点は、まず師父と法を信じること、そして他人の為に尽くし、魔難と苦痛の中で自分がいかに解脱するかではなく、いかに法と衆生の為に責任を負うかなのです。また内に向かって探して、魔難の中にも大法に照らして自分の漏れを探し、人のせいにすることなく、師父と大法を疑わないことでした。
乗り越えた同修はみな師父に要求された三つのことを努力して、自我を放下し、すべてを師父に任せました。真に旧勢力の按排を否定して、師父が按排された道を歩んでいます。
(続く)
2010年2月18日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2010/2/14/218154.html)
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