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執着を放下し、天地が開ける


文/感恩

(明慧日本)長年にわたる修煉で、いろいろなことを経験しました。過去を思い返すと、修煉前の自分と比べて、すでに大きな変化がありました。体も心も、次第に穏やかで健康な状態になったのです。
 
 ここで、私の心性の修煉過程を皆さんにお話し、皆さんと共に向上したいと思います。適切でない所は、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。
 
 結婚してから間もなく、同修の夫は病業で亡くなりました。それから、私は絶え間ない家庭のトラブルの中に陥りました。どんなに苦しい過程にもかかわらず、私は大法に対して疑いなく、固く信じています。夫の一家はみんな修煉者です。
 
 しかし、夫が突然亡くなって、私に精神的な圧力が重くのしかかりました。また、身内の者からの非難もありました。私は常に、どこが間違っているのか、私のどの執着が邪悪な旧勢力に隙に乗じられたのかと考えました。私は師父のすべての説法をもう一回読みました。そして、夫の運命は自分で受け入れるべきだと認識しました。修煉は厳粛であり、人生は無常で、日ごろの災いと福は誰も制御することができません。私は苦痛と圧力を感じる毎日でした。
 
 苦痛と圧力の中でしばらくの間、私は眠れなくなり、正常な生活も妨害されました。この状態は間違っており、きっと正に帰するべきだと当時の私ははっきり分かっていました。私がこの状態から脱した日の晩、身辺の護法神と中共が対峙している夢を見ました。師父は頭の上の天上におられます。護法神はやきもきして「まだ師父の所に行かないのですか?」と催促し、私はすぐに師父の所へ飛んで行きました。ここで、再度師父に合掌して感謝いたします! 
 
 この後、私はいろいろな非難に直面する中で、自分がどうして多くの身内から非難されるのかと、多くの苦しい過程を歩みました。私は夫の両親に気を使っても非難され、どうしたらよいか分からなくなりました。私は親孝行を尽くしてから、最後まで、どんなに自分がやるべきことをやっても、やはりたくさん非難されるのです。一体何の執着があるのか、何の漏れがあるのでしょうか?
 
 私は人の目を気にして、人が自分をどう思っているかとよく動じていました。私は茫然として、どうしたらよいか分かりませんでした。
 
 この点を認識した後、私の心は直ちに釈然としてきました。私の運命は誰も決められません。ただ師父に従います。私の道は自分で選び、誰にも左右されてはいけません。その日の夜、夢の中で震えている魔を見ました。つまり、自分の認識が向上すれば、魔も自ずと消えていくのだと悟りました。
 
 修煉は厳粛であり、常に大法を基準とし、内に向って探し、正念をもって正しく行ってこそ、執着を放下でき、天地が開けてくるのです。
 
2010年10月12日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/10/9/230753.html

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