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私たちの地区で皆が協調人である


文/黒竜江省の大法弟子 屹然

(明慧日本)最近、明慧ネットでよく中国本土の学習者と協調人についての文章を読みました。ここで、私の地区でどのようにこの問題に対処しているのかをお話します。
 
 7・20以来、私の地区の資料拠点はとても少ないです。師父の経文、『明慧週刊』、真相資料はずっと人が作るのを待ったり、他の人に頼ったり、もらったりする状態でした。それにより、資料を作る同修は責任者のようになり、いわゆる総協調人になったわけです。
 
 総協調人と一般の学習者の間にいろいろな問題が出ました。その一つは一般の学習者は総協調人が作った真相資料が単調すぎると思って、題材を多彩にしてほしいと要求しましたが、総協調人は賛成せず、作ってくれませんでした。学習者は心の中で総協調人に不満を抱いていました。二つ目は、ある学習者たちは『正見週刊』が好きですが、総協調人はやはり賛成しませんでした。ただ三退を進めた数の多い老年の同修にだけ作ってあげました。他の学習者は、総協調人が分別する心を持っていると不満でしたが、話すことはありませんでした。三つ目は、数年来、学習者が書いた文章や、法会応募の原稿などは総協調人に頼みましたが、一つも発表されませんでした。後で協調人は入力が遅いので、発送できなかったことが分かりました。学習者たちはこれに対しても意見があり、双方に問題が出たもう一つの原因になりました。
 
 そこで、ある同修は資料点を作って、総協調人に協力し、同修が必要とする大部分の資料を担当しました。その間、総協調人と新しい資料拠点の間にも問題が時々出ました。結局、総協調人は新しい資料拠点の同修が、あることにおいて「全体に協力しない」という理由で機械を取り返し、資料を作るのをやめさせました。
 
 ここまで来て、私たちはやっとこのままではとんでもない結果になるかもしれないと気づきました。そこで、一般の学習者は自発的にいくつもの学法グループを作りました。集団学法によって真面目に内に向かって探し、総協調人と一般の学習者の間の問題の元を見つけました。
 
 同修が総協調人になりたくなったのは、たくさんの学習者の依頼心と、人を師にする執着心によるからということに気づいたのです。そこで、私たちは積極的に依頼心と人を師にする執着心を取り除き、師父の要求に従って、同修たちはみんな積極的に師父に手伝って法を正し、三つのことをしっかり行い、誰かの統一した按配に従わないようにしました。それから、総協調人はまたいくつかの小さな交流会を開こうとしましたが、みんな参加しませんでした。総協調人はそれから、私たちを呼ばなくなりました。こうしてみんな頭を冷やして、法をもって物事を考えるようになりました。そして、総協調人という呼び方は私たちの地区で消えました。
 
 師父が按配された道を歩み、学習者はまず資料拠点の創立から始めました。黙々と同修たちの間に小さな花が開くように資料拠点が増え、真相資料がほしければいくらでも提供できるようになりました。そして、真相資料の内容は多彩になり、真相を伝える効果も良くなりました。さらに喜ばしいことに、資料拠点の担当者たちは入力のスピードがみんな速く、同修が明慧ネットに文章を提供するのも便利になりました。一年もたたないうちに、地元から何篇もの理性ある切磋琢磨の文章が明慧ネットに発表されました。今年の世界法輪大デーの原稿募集のときに、私の地区の文章も掲載され、同修たちは大きく励まされました。多くの同修は私達の小さな地区でも師父が法を正される進展についていっていると思い、コンプレックスを捨てました。
 
 また、私たちは自ら、真相を伝え、人を救う多種のプロジェクトを設立しました。二人か三人組みで資料を配るグループや、二人がパートナーになって町に出て面と向かって真相を伝えるグループも多いのです。手紙を送るグループ、メッセージを送るグループ、それから、電話をかけるグループも作りました。
 
 どこかで大法弟子が連行されたと知ると、大法弟子はみんな電話をかけたり、メッセージを送ったり、近距離で正念を発したりするなど動きます。そうして、同修はすぐに戻ってこられます。その後、善を勧める手紙を公安と法曹関係の人たちに送り続けます。ある警察たちは「今の法輪功は本当にたいしたものになりました」と言いました。今年の中秋節の前日の午前、二人の同修は町で他の地方から来た警察に三退を進めたら、彼は表面的に納得し、何度も「ありがとう」と言いましたが、すぐ警察に通報しました。同修が交番に連行されたことを私たちはすぐ知りました。皆は二人が釈放してもらうようにできるだけのことをしました。普段もよく真相を伝えているし、多くの警察は大法の真相が分かるようになったので、明慧ネットに連行の情報を出す前に二人は無事に帰りました。このことから見て分かるように、大法弟子はみんな協調人であるからこそ、もっと同修のやる気が出て、もっと真相を伝えることができるのです。これでこそ、師父が按配された修煉の道を正しく歩んでいるのです。
 
 私たちのこの小さな町でも、普段いつも連絡を保っている同修が百人ぐらいいますが、管理を務める総協調人は一人もいません。協調人の名前さえありません。みんな足を地につけてやっています。何か困ったことがあったら、各自の学法グループで解決できます。各種のプロジェクトのグループも黙々と協調し、真相を聞きたくない人がいたら、手紙を送ったり、メッセージを出したり、電話をかけたりして、その人に真相を聞く多くのチャンスを与えるようにしています。
 
 また、隣の町の公安と法曹関係の人たちに各種のやり方で真相を伝え、人を救う効果が明らかに良いのです。
 
 総協調の役目がなくなった後、多くの同修は心を開き、手足を解放し、真相を伝えることができるようになりました。それから、私たちは元総協調人に対して軽蔑せず、議論しない態度で接しています。善の念を持って同修を加持するほうがいいのです。普段、正念を発するときにも、その同修の空間場を清め、邪悪がいかなる理由、いかなる口実でもその同修を迫害させないようにやっています。そうして、その同修もずっと平穏に自分のやるべきことをやっています。私たちの仲は相変わらず和やかで、打ち解け合っています。
 
 十数年も修煉してきた古い弟子として、みんな法を師にすることの大切さが分かりました。しかし、法を師にするというのはただ口先だけのことではありません。行動に出さなければなりません。一般の協調人はなおさらのこと、師父に付いていた当初の大法研究会の係員でさえ、いつも師父と一緒にいましたが、師父は私たちに、彼らに習ってはならず、この大法に従うことこそが本当の基準であると教えられました。何年間も学法した以上、初めから自立し、成熟すべきで、何かをやる時にまだ人に頼ってどうしますか。冗談ですが、総協調人に頼る同修は、将来も杖を持って天国に行くのですか。
 
 私の地区で総協調人が必要なくなったのは、同修たちの修煉状態が良くなったからです。もし、多くの学習者が外に出られない地区、あるいは修煉状態があまり良くない地区だったら、やはり精進している学習者がもっと多くやることが必要で、自然に協調人になるのです。ですから、協調人の役割を否定できません。自分が協調人と違う意見があることで新奇をてらったり、派閥を作ったりしてはいけません。
 
2010年11月12日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/10/10/230777.html
(English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/10/21/120941.html

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