――新しい修煉者が真相電話をかける中での修煉体験
文/シンガポールの大法弟子
【日本明慧2012年5月11日】慈悲なる師父、こんにちは。同修の皆さん、こんにちは。私は法を得てわずか2年の青年学習者です。この2年間、自分の修煉及び、法を正す師のお手伝いをすることについて、皆さんと体験を分かち合いたいと思います。
私は法を得たばかりの時、恐れる心と法を理解できなかったため、自ら法を実証する事に参与しませんでした。一年前までずっとその状態が続いていましたが、自分がこの世に生れて来た使命は個人の円満成就ではなく、師が法を正すことの手伝い、旧宇宙の理から脱出し、全てを新宇宙の法理に同化する事だと認識できてから、私は三つの事を真剣に行なうようになりました。毎日の生活は質素ですが、心は充実していて、幸せな気持ちです。新しい学習者として、個人修煉は正法修煉と緊密に結び付いているものです、人を救い済度する過程において、私は絶えず様々な執着心、欲望を放下し、私心を放下し、過去の自我を放下して、心身ともに大法に同化してきました。毎回真相を伝える度に、慈悲なる師父が既に按排して下さって、ただ私は口を動かして、真相を伝えるばかりになっていることがわかります。ここで私は、真相を伝える体験を話してみたいと思います。
私達は常人の社会にいます、常人の言葉で言うと、私達は大法の代弁者なのです。私達の人柄や、立ち居振る舞いを見て、私達の目付きを観察し、私達の会話に耳をすませれば、私達がどんな人間かわかります。もしも常に法に従って行い、人に良い印象を与え、人々が私達から真・善・忍を感じ取ることが出来れば、真相を伝える時、そんなに言葉を使わなくても、人々はただちに理解でき、この迫害がどんなことかがわかるようになります。
時々、友人や、親戚の人に真相を伝える際に緊張してしまいます。話をして理解されなかったり、態度を示さなかったり、あるいは「三退」を拒否されてしまうと、私は挫折感を覚えてしまいます。私は内心に向けて探してみました、私は情実にとらわれやすく、内面では強く人に認めてもらいたい気持ちと人に評価してもらいたい気持ちが潜んでいました。小さい時から、人が自分のことをどう見ているかに執着してきたことが原因だと分かりました。常に自分の友人が救われ得ることを強く望み、逆に真相を理解してくれなかったことをとても辛く感じる反面、見知らぬ人に対して、全く動じません。友人への思いと言うのは情なのです。また真相を伝えるときは、こうすれば真相は受け入れやすいと思い、いつもおべっかを使い、他人に好感を持たせていました、正念を持てませんでした。真相を伝えることはとても厳粛で、衆生の下した選択も厳粛なものです。しかし、私は常人の世故を用いました。正念の威力を発揮できないだけでなく、衆生の背後にいる邪悪な要素を解体する作用も果たすことができませんでした、むしろ逆効果だったのでした。
ある日のことです。普段から親しくしているふたりの友人に真相を伝えました。私は冗談混じりの口調で話そうと決めました。普段、彼女たちと会話をする時と同じように話せば、受け入れやすいと思ったからです。しかし、思いもよらず、ふたりの友人は掌を返すように、全く正反対な言葉を発し始めたのでした。とにかく私の話に反発し続け、結局「三退」について、はっきりした態度を示しませんでした。この友人たちは私と親しくても、毒害を深く受けており、真相に直面した時、彼女の背後の邪悪が妨害してきます。友人と私との関係が親密か否かは、邪悪にとって考慮する範囲内のものではありません。また、私達の間の義理によって、彼女たちの判断が左右されるわけでもないと認識出来ました。全ての衆生を平等に扱い、私達との関係の遠近を問わず、ただ普通の一人の衆生と見なし、真相を講じるときは正念を持って、慈悲の気持ちで伝えれば、衆生を感動させることができるはずです。
真相を伝える時に現れた執着心は、全て本当の自分ではないと感じます。たとえ私達が代々にわたって数え切れない執着を抱えていても、決して、それらをすべて法で熔解し、何回も何回も自分を浄化させたいというその確固たる一念を忘れてはいけません。そして目の前にいる人々が今世、自分に対してどんな接し方をしているのか、自分とどんな関わりがあるのかを問いません。全ての人々のわかっている一面は、私達に救ってもらいたいのです、今世、私達に真相を教えてもらえるために、世世生生で苦しみに耐えてきたのかもしれません。また、私達は衆生を救う責任を背負っていて、自分の不潔な執着心に遮られては、衆生の私達への期待に添えることはできるでしょうか。師父の期待に添うことができるでしょうか。
ある友人に「このことを皆に言いふらしたら皆から敬遠されるよ。あなた嫌じゃないの?」と言われました。実はこの問題について、私は何度も考えましたので、友人に「皆は私よりも法輪功を敬遠しているから。でもね、法輪功は皆が思っている事と違うよ。私は実践しているから分かるよ。もっとより良い人間になるために毎日努力し続けているの。何も悪いことじゃないわ。正々堂々と胸を張って言えると思うの。しかも、虚言から目覚めて法輪功が本当はどのようなものかを知っていれば、真善忍の素晴らしさを共感できるはず。中共は法輪功を嘘で中傷したから、一人の人間として自分で判断する権利があるじゃない」と話しました。
前からずっと「三退」を勧めることについて認識が足りません。師父の説法を学んで、「三退」を勧めることに新たな認識が出来、まだ大勢の中国人が救われてないことを感じました。自分もかつて害毒を受けた一人ですので、その受けた害毒はどれほど深刻なものなのか、そして同年代の人たちの考えていることは、当時の自分とほぼ同じで、理解しやすいのです。しかし「三退」したら、人は本当に変わるものです。私が遭遇した数回の体験がこのことを検証できます。
ある日、一人の無神論者の友人は、大法の高次元の話を理解できないため、ずっと大法を敵視してきました。その友人は共産党の事も嫌いです。私は友人に大法は何か、大法はより高い科学である事などの話を二時間話しました。しかし、その友人は自分の考えに固執して、聞く耳を持ちませんでした。そして私は「三退」を勧めましたが、彼は三退して平安になれることについても理解できませんでした。私は彼に言いました。「あなたは誠実な人なのに、共産党の事が嫌いと言いながらもその組織に加入しています。自分の本意じゃなかったのかもしれないけど、入っていることは確かなので、今、脱退すべきではないでしょうか、自分と良心に背かないためにも三退した方がいいと思う。私がお手伝いしましょう。将来のある日、あなたは三退で平安を守れることの意味が理解できたら、あなたの友達として、私の義理も果せたことになる」友人は少し迷いましたが同意しました。私は直ちに三退声明を発表して、友人に知らせました。友人は少し衝撃を受けた様子でした。声明を発表する前に、何度も三退に意味があるのかと質問をしてきましたが、自分がすでに脱退したことを知って、彼のわかっている一面が震撼されたことを感じました、自分の生命に変化が起きたことを知ったからです。
その後、再び友人に大法の話に言及した時、彼の態度は穏やかになっていました。その友人に「あなたが知っている科学と違う内容を見つけることができます。信仰や、キリスト教、仏教などに対して信じなくても、あなたはそれらを尊重し、それらの信徒を尊重していますが、法輪功に対してもそれらと同じように敬意を払ってほしいの。もし大法の内容に全ての人が賛同したら、世の中のすべての人が修煉者になるわけだから、理解できない人、信じない人がいても、おかしくない話だと思う。しかし、この迫害の話は別です。今回の迫害は一つの政権全体が身に寸鉄も帯びない善良な民衆に対して行ったジェノサイドで、大勢の迫害を受けた人たちは、私達と同じ様にごく普通の人たちで、法輪功の教えに従い真・善・忍の良い人を目指したため、一家が崩壊し、四散するまで迫害を受けた悲惨な境遇に、私達は同情すべきではないでしょうか。信仰への迫害は人類史上でも失敗の連続です。ならば、私達は冷静になって平常心を保ち、この信仰をよく見て、調べて、今の中国で一体何が起きているのかを自分で考えるべきだと思います」と話しました、友人はそれについて、もう議論しませんでした。「もし、これがみな真実であれば、同情すべきだと思う」と言い、更に態度が良くなりました。
ここの2カ月間、私は電話で真相を伝えるRTCチームのプラットホームに参加しました。修煉状態も一つの飛躍がありました。プラットホームからは、常に衆生を救い済度する緊迫感が伝わってきます。同修たちが慈悲に満ちた話で人々を呼び覚まします。プラットホームでの交流はみな、内に向けて探し、自分の執着心を取り除き、互いに共に励まし合い、向上する内容です。
私はこのチームの存在を知ってから、プラットホームに繋がるまで一カ月かかりました。その過程で色々な困難に遭いましたが、自分の意志を固めて、電話で真相を伝えたい一心で、やっとRTCに登録出来た時、私は本当に感無量でした。自分の声や説得力に自信が無いうえ、もしも相手に罵られたらどうしようとか、電話を聞いただけで三退するのか等などばかり考えていました、常人の心を用いて、人を救い済度しようとしていました。真相電話をかけ初めたころ、やっと繋がった電話は、必ず切られましたが、絶えず自分を高め、内心に向けて執着を見つけて取り除き、正念を強めるにつれ、かけた三通の電話の内、ほぼ一人の人は三退するようになり、電話を切る人の数も減り、電話の内容をよく聞いて、真相を最後まで聞く人が多くなりました。
RTCチームの交流に通じて、私は三退した人数に関わらず、真相電話が繋がる瞬間に、邪悪を解体できること、衆生を救えることがわかりました。例えば電話が鳴れば、相手の環境にある邪悪の要素を解体できます。さらに誰かが電話に出れば、その人は大法の善良と慈悲の一面を感じ取ることができると同時に、背後の邪悪の要素が取り除かれます。もし電話を切らなければ、私達は真相を伝え、三退を勧めることができるのです。たとえ脱退しなくても、その人の心の中に一つの種をまくことが出来、この迫害を正視するようになり、三退について正視出来るようになるのです。もし、また他の大法弟子に会えた時、もっと多くの真相を知り、自分の未来に正しい判断が選択できるようになるのかもしれません。さらに、ネット封鎖を突破するソフトを教えてあげれば、自分で真相を探ることもできます。また、脱退して誠意をこめて「法輪大法は素晴らしい」と念じる人たち、私は彼らのために心から喜びました。
ある時期、自分の説得力に執着しました。周りからも私の話は理路整然で、全面的かつ流暢だとの評判でしたが、三退を勧める成功率は低く、私の真相電話を切る人が多いのは事実でした。自分を探してみて、私は常人の観点に立って真相を伝えていたことがわかりました。人々に三退を勧めているように見えますが、実際は自分の滔々たる弁舌、すらすら出てくる言葉、そして話の内容に拠り所があって理にかなっていることに執着していました。師父は『大法弟子は必ず法を勉強しなければならない』の中で「皆さんとして、大法弟子は最後になればなるほど、自分の道をしっかり歩み、時間を大切にして自分をしっかり修めるべきです。たくさんの仕事をしましたが、振り返ってみると、すべて人心で行なったのです。人間として人間のことを行ない、正念を用いたのではなく、大法弟子の威徳がありません。言い換えれば、神から見れば、仕事を行ないましたが、それはいい加減に終わらせたのであって、威徳もなければ修煉にもなりませんでした。これでは無駄になったのではありませんか?必ず法をしっかり勉強すべきであり、それは皆さんが位に帰るための根本的な保障です」と説かれました。私には正念がありませんでした。衆生のわかっている一面を呼び覚ますことができません。まるで常人が常人の仕事をしているようでした。
RTC真相グループにある日本人の同修がいて、中国語が母国語でないというハンディを克服して、慈悲を持って人々に真相を分からせることができます。また、私はよく、うまく話せない同修が簡単な言葉で純粋な気持ちで電話に向かって、通話している様子を目にしたことがあります、ごく普通に「三退は平安を保つ。法輪大法は素晴らしい」の様なフレーズを話しただけで、電話の相手は三退に同意するのです。私達の正念の威力は絶大だと感じます。正念を用いて伝えた真相は、衆生の眠りに落ちていた記憶を蘇らせ、どうやって自分の将来を選択すればよいのかをわからせることができます。ですから、衆生を救い済度するために、中国国内へ電話を直接かけて真相を伝えることはとても良い方法だと思います。なぜならば、弁舌や言語、経験などは必要がありません、ただ正念を持って、真に衆生のためを思えば、衆生を救い済度する作用を発揮できるのです。
真相電話をかけるときに、とても頑固な人や暴言を吐く人に出会います、その時に心を動かされてはいけません。いつもそういう時に私は、彼らは被害者であり、旧勢力が大法弟子に試練を与えるために彼らに害毒を加えたのであって、彼らは私達のためにこのようになったことを自分に言い聞かせます。どんなことがあっても、私達はすでに神の道を歩んでいます。しかし彼らはどうでしょうか? ならば、彼らを救わなくて良いのでしょうか? どうしても救うべきです。ですから、私達は言い争いに陥ってはなりません。相手を説得したい気持ちに陥ってはいけません。
ある時のことです。電話の向こうの人は酷く興奮して、罵っていました。再びこの人に電話をかけて「私達は面識もありませんが、あなたのために電話をかけました、なぜそんなに罵っているのですか。あなたは共産党員だから、共産党は良くないと伝えたかっただけです、どうして脱退しないのですか? これは政府と敵対することではありません。かつて、あなたが自分の命を共産党に捧げると誓ったからです。もし近い将来、共産党に天罰が下ったら、あなたも道連れにされてしまいます。ですから偽名を使って、あなたがこの誓約を取り消すお手伝いをしたいのです。脱退しても、あなたは今まで通り、自分の仕事場で国と人民のために働くことができるのです」と話しました。その人は脱退しませんでしたが、態度はだいぶ穏やかになりました。私達は常に法をよく勉強する状態を保たなければなりません、常人の心ではなく、修煉者の正念で衆生を済度しなければなりません。嫌なことに出遭っても、それは心性を高める機会だとみなして、衆生が如何なる態度で私達に接しても、私達の慈悲は永遠に変わらないものであってほしいと思います。他人のことを配慮して、無私無我で、他人を先に自分を後にするという正覚まで修めることは、私達の目標ではないでしょうか。
私は新しい学習者ですが、師父はいち早く私に三つの事を行なえるようにさせ、師が法を正すお手伝いができるようにさせてくださいました。新宇宙は無私無我であって、他人のためであります。大法弟子も新宇宙のように、個人の円満成就に執着せず、心は常に慈悲に満ちて、衆生のため、新宇宙のためであれば自分の全てを放棄出来るようになると思います。私達が三つの事を行なうのは、個人の円満のためではありません。それは私達の誓約を果たすためであり、もっとより多くの生命が救いを得られるためなのです。実は本来、私達はもともと天上では皆、神でした、自ら願って地上に降りてきました。旧勢力も神です。個人の円満は本来の目的ではないことは明らかです。ならば、私達はなぜ自分の私(し)の心を全て捨てないのでしょうか? 時間はもう迫って来ています。時々、私は試しに、「自分の中にある全ての私(し)の心を一瞬にして全部解体せよ」と念じます、とても効果があります。しかし、少し時間が経つと、またその心が湧き上がるのです。これらの私(し)の心は旧宇宙からのもので、新宇宙にとってはゴミ同然です、取り除かなければならないものです。私達は少しずつ、私(し)の心を取り除き、旧宇宙から生まれ変わり、新宇宙の法に同化し、慈悲を持って衆生を呼び覚まして、衆生と共に、これ以上ない素晴らしい新宇宙へ歩み渡りたいと思います。
以上は個人の認識であり、不足があれば同修たちの慈悲なるご指摘をお願いします。