内に向けて探すことにより、嫉妬心を放下
内に向けて探すことにより、嫉妬心を放下
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文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2020年9月23日】私は8年間法輪大法を修煉してきましたが、人生の中で法輪大法に出会えたことはとても幸運でした。この数年間の修煉で、私は精進していなかったために、多くの執着心を取り除くことが出来ず、その中には見つけやすいものもあれば、見つけにくいものもありました。特に嫉妬心は気づきにくいのです。

 職場の社長は私より幾つか年上の女性です。彼女はどちらかというと批判的で、お調子者で、怒りっぽいタイプです。私は彼女を常人の視点から見ると、心が狭い、メンツを重んじる、良いことを聞くのが好きで、気立ては悪く、責任感が無く、独善的で、だらしない、身だしなみも整っていない、わがまま、執念深い、人を見下している、などなど、彼女の良いところはほとんどありません。彼女は日々怒りと憎しみの中で生きているような気がします。

 ここ数年、会社の経営が芳しくなく、数人の古い社員が次々と退職していき、私と同期に入社した技術者だけが残りました。社長は更年期障害でさらに苛つき、人のあらばかりを探し、何かを見つけては怒っています。社長が私に対してよく使う言葉ですが、たとえば「あなたには、自分の心ここにあらずの様子が見える」、「あなたは本当に頭が良くないですね」、「あなたは本当に何の役にも立たない人だね」などと言われ、私のいいところは一つもないようです。毎回私は一生懸命我慢しているが、どうにもならない時、少し反論して怒らせることもあります。

 毎回社長に反論したあと、私はなぜ我慢できなかったのかと後悔しました。社長に弁解するだけでなく、心も非常に偏っていて、納得できないのです。明らかに全てが私のせいではないが、しかし、全ての責任は私にあり、悔しくてたまりませんでした。社長はほぼ毎日私に説教したり、怒鳴ったりしていました。給料も少ないし、毎日彼女にいじめられて、もうこれ以上仕事をしたくなくなりました。しかし、この状態が1年以上も続きました。

 私はとても悩み、どこが間違っているのか自分自身で反省しました。しかし、探してみても全て社長のせいでした。大法に基づいて探したわけでもなく、本当に内に向かって探していないので、とても苦しい思いをしながらも、自分はまだ悟れませんでした。

 その間、私は辞表を提出したのですが、社長は辞表も受理してくれず、本当に理解しがたかったのです。明らかに社長は私のことが好きではないのに、それでも私を離そうとしない、そこまで私を苦しめたいのかと思っていました。しかし、 今までの考えは全部常人の次元で考えたものでした。よく考えると、私に試練を与えて下さっているのに、この関を乗り越えられないため、どうしたら解放されるのかと思っていたのです。

 もちろん問題は、やはり自分自身にあり、修煉者である私は、すべてのことにおいて、常に内に向けて探し、自分自身の問題を見つけなければなりません。師父は「法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を排除することができ、法は正念を固めることができるのです」 [1]「修煉者にとって内に向けて探すことは最も有効な方法です」 [2]と説かれました。

 私は真面目に法を勉強し、一生懸命内に向けて探してみました。自分が他人のことを好きになれないとき、他人のあれやこれやの欠点を見下してるとき、それはただの嫉妬ではないか、ということがよくわかりました。師父は「嫉妬心は中国ではきわめて強烈に現われており、すでに日常茶飯事になっていて、自分でもそれと感じられないほど強烈なものとなっています」 [3]と説かれました。私はつまずき、多くの時間を無駄にして、やっと嫉妬心だと気づきました!

 他人の心理状態、あら捜しなどを見るとき、私も同じ状態です。夫が料理を作って台所を汚しているのを見ると夫を責めていました。娘がものを食べてテーブルや床に落としているのを見ると、娘も責めていました。店で社長が物を食べて床を汚しているのを見ると、すぐに嫌悪感を覚えていました。他人が心が狭くて執念深いのを見るとき、自分も同じ状態です。他人の欠点を許さないことも、心の狭さの現れではないでしょうか?  他人が良い言葉しか聞かないのを見ると、自分も批判の言葉に耳を傾けることができない? などなど、このようなことが多すぎます。

 私は批判的になりすぎて、自分はこの宇宙の特性、真・善・忍と背くことになりました。嫉妬心とは、他人を自分よりも優れた存在として見ていないだけでなく、自分よりも劣った存在として他人を見下すことでもあります。他人が色々と悪いところを見せても、それを見て直すのは自分のためではないでしょうか?  修煉していない常人に要求するにはどうすればいいのか? これらのことは、他の人が修めるものではなく、自分が修めるべきものです。

 この嫉妬心に気付き、考え方を変える努力をして、言動に気をつけていると、以前ほど社長にいじめられなくなったことに気付きました。もちろん、今でも時々キレることはありますが、それはまた別の話で、結局のところ、人心は一気には消えないものです。師父は「もっとも修煉は徐々にするものだとはいえ、だからといって自分自身を緩めてはいけません」 [3]と説かれました。

 嫉妬心以外にも、怠惰、安逸心、争い、恨み、顕示心、おしゃれが好きなど、私には多くの執着心がありますが、これらのよくない心全てが私の修煉の向上を妨げています。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「妨害を排除せよ」
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」
 [3] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/9/19/412001.html)
 
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