明慧法会|巨難の後に法の中で修煉する
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文/遼寧省の大法弟子

 【明慧日本2020年10月4日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 計算してみると、今日(訳注:2019年11月)まで、私が修煉を始めてすでに8000の日夜があり、その中の苦しさで悟りました。心に深く刻みつけられた経験を書いて、師父にご報告申し上げるとともに、同修の皆さんと交流したいと思います。

 巨難の中で師父が守ってくださった

 2011年夏のある日の朝、私は同修とオートバイに乗って法輪功の資料を配りに農村に行きました。だいたい6時半前後もうすぐ配り終えようという時、真相を知らない人に通報され、パトカーに追いかけられ、同修は不当に連行されました。私は頭の中が真っ白になり、オートバイを急いで走らせる中、私とオートバイはひどく投げ出され、その後は何もわかりませんでした。

 この情景は別のグループで近くで資料を配っていた同修も見ており、同修の話によると、私はその時ひどいころび方をし、地面に一たまりの血が流れ、見る影もなく、同修たちは何台もタクシーを止めようとしましたが、運転手はみな私を乗せず、「この人はもう駄目だ。病院に着かずに終わってしまうよ」と言いました。その後やはり高額で車を雇い、運転手はやっと私を車に乗せることを同意しました。

 途中私は目を覚まし、最初の反応は、「ああ、人が死ぬというのはこんな感じなんだ!」でした。この時私は車の中のラジオが「あなたたちは嵐を乗り切り、あなたたちには基礎があり……」と放送するのを聞きました。師父が励ましてくださっていると感じ、心の中で「必ず頑張らなければならない、私は大丈夫だ」という正念が浮かびました。

 同修のAさんが私を抱いて絶えず何かで私の口から流れ出る血を拭いており、そして、私は再び何もわからなくなりました。再び目を覚ました時は頭の中に「Bさんの家に行く」という念が現れました。Bさんは私がよく知っている同修でした。私はそばにいる同修に向かって話し、この時私が横目で眺めるとBさんがちょうど道路わきでオートバイを押しているのが見え、私は手でAさんを押し、Bさんを指差し、再び気絶しました。

 数時間後私が再び目を覚ました時、私はすでに上の階に運ばれており、それはBさんの家でした。すぐに同修の家の壁にかけられている師父の写真が見えたので、心の中で「家に帰った、師父のおそばに帰った、私は大丈夫だ」と思いました。Aさんの家の子供が私のそばで正念を発しているのが見えました。私が目を覚ましたのを同修たちが見て、「どうですか」と聞き、私は「大丈夫です」と言いました。

 私の当時の状況は頭が腫れて、正常時の私の頭と比べてずっと大きく、顔中が血と砂だらけで、右目の上の眉のところの肉が外側にめくれており、鼻と上唇の間が開いており、肉もめくれ、下唇と歯茎の間の筋が切れ、舌が真ん中から割れ、下の2本の歯もなくなり、目が開かず、目を開けると、部屋の天井と壁のすべてが絶えずぐるぐると回っていました。顔全体がほとんど特徴がわからなくなっていると言ってもよく、さらにまだ絶えず血を吐きました。

 私がよく知っている同修は、「当時私があなたを見た時おびえて、あなたなのかどうか、容貌は少しも人の顔のようでなく、全身血だらけで、そこに横たわって動きもしませんでした。私が行ったのは比較的早く、その時は私だけで、私はあなたをじっと見つめ、あなたのそばに行く勇気がなく、あなたにまだ息があるかどうかわかりませんでした。注意深く見ると、まだ少しだけ微弱な呼吸をしており、あなたがまだ生きていることがわかりました」と言いました。

 午前10半ごろになり、私はトイレに行きたくなり、同修は「行けますか?」と聞き、私はうなずきました。私は自分でよろめきながらトイレに入って出られなくなりました。同修が私を支えて出てきた時、私は一袋分の黒い血を吐きました。おそらく内臓がやられていたのでしょう、痛みは感じませんでした。この時私はあえて目を開けました。

 その時Bさんは多くの同修を手配して順番に私に向けて正念を発しました。多くの同修が来て、ベッドの上、床の上にみな座って満員で、みな年配の同修で、若い同修は連行された同修を救出しに行く必要があり、全体的に非常に良い状態でした。

 翌朝、Bさんが私に「煉功できますか?」と聞き、私は「できます」と言いました。力が出ないために、第一式だけ煉功しました。Bさんは一貫して情を排除して私に接しました。何でも私ができることはできる限り私が自分で行なわなければならず、私もそのように自分に要求し、自分で練り米を作り、無理やり食べ、たとえ一口食べるだけでも、できるだけ他の人の助けを求めないようにしました。はじめは、同修が法を読むのを聞き、座っている時間が長いと我慢できずに、横になり、自分で法を読める時は、自分で読みました。1週間後、私は30分法を読めるようになりました。

 6カ月後、状態が基本的に安定したので私は自分の家に戻り、家で快復の過程を過ごしました。

 その時は右のほほがとてもひどく、とても固く、口の中で絶えず膿と血が流れ出し、悪臭がして、非常に不快でした。その後ある同修が私のために正念を発し「汚れは外部から排出し、口から排出してはいけません」と言いました。本当に奇跡のように、ほほの皮がむけ始め、膿と血が外側から流れ出てきました。

 学法発正念を強化し、状態は明らかにだんだん良くなりました。だいたい2カ月で、容貌がなお回復する必要がある以外は、その他の部分はみな基本的に正常でした。10カ月前後で、私の容貌は以前のように回復しました。舌が事故で裂けたために、話すとき呂律が回らなくなり、言葉がはっきりせず、舌にも感覚がありませんでしたが、ゆっくりとみな正常になりました。

 私が生死の難を乗り越えることができたことを、人々はみなとても不思議に感じ、その時修煉していない家族や友人はほとんど私が死んでいると思っていました。しかし、法の中で、私は新しい生命を得ました。「この命は師父が与えてくださったものであり、師父の絶え間ない心のこもった按排であり、ご加護であり、受け持ってくださった」と深く知り、私の心ははっきりしました。

 家庭の魔難の中でしっかり修める

 私は「確固として師を信じ法を信じたからこそ、この生死の大きな関を乗り越えられた。この難の根源はいつも自分を修めることに注意しておらず、蓄積された人心と観念によって作り出されたものだ」と知りました。深刻な教訓は修煉の厳粛性と着実に修めることの重要性を私に認識させました。

 私の夫はまだ修煉しておらず、心が小さく疑心が重く、まどろっこしくて、酒を飲みだすと話に終わりがなくなり、夫が誰かと仲良くなるのはとても困難だと私は感じ、夫に対するみんなの評価も高くないため、私はさらに夫が気に入らず、夫の欠点ばかり指摘していました。私と夫はお互いに気に入らなかったので、夫は家を出たことがあり、私もかつて家を離れて他の家を借りて住んだことがありました。長期的な不満から離婚はほぼ避けられないところまで来てしまっていましたが、ただ子供の勉強のために持ちこたえていただけでした。事故が起こる前、私の夫に対する恨む心、嫉妬心、競争心は極めて強烈でした。

 師父は「もう一つのことですが、皆さんが常人社会で修煉しており、修煉していない家族に対してずっと正しく対処できていません。もちろん、やはり先ほどの言葉ですが、ここまで達したのは長い間の積み重ねによるもので、最初のとき適切に対処できず、怨念が積み重なり、時間が経つにつれ、隔たりができてしまい、まったく解決できなくなったように見えます。これらの問題は大法弟子が法を実証することに困難をもたらします。これらの問題が起きた場合、やはり大法弟子に間違いがあり、最初のとき正しく対処できなかったから、このようになったのです。実は多くのことは良く協調し、按排することができれば、大法の仕事に影響することはありません。原因はほかでもなく、自分がしっかり対処できておらず、このことをおろそかにしたからです」[1]と説かれました。

 私は典型的なこの状況であったので、この事故で私は目を覚ましました。長期に蓄積されたものを、修めて取り除かなければなりません。それは本当に困難で、うまくできたかと思うと再び元に戻りました。私自身の勘違いは「自分が行なっていることは正しい」と思っていたことであり、大法以外のことをすべて「妨害」とみなし、多くの修煉の機会を押し出していました。これはみな師父の法に符合しておらず、まったく法をしっかり学んでおらず、家庭環境を修煉環境とみなしていませんでした。

 夫の言葉に屈辱を感じ、自分が悪者にされた時、ぐっとこらえることによって私はだんだんと、少し心性を守れるようになりました。夫は時には故意に「横暴な人」になり、私は心の中で「法輪大法はすばらしい」、「真・善・忍はすばらしい」と念じ、時には私も率先して夫の世話をすることができました。時には師父は夫の口を利用して「今日のあなたはとてもよくできた」と私を励ましてくださいました。夫も私の変化を目にしました。

 ある時、夫は車を買いたがりましたが、夫はお酒を飲むのが好きなので、お酒をやめるように夫に提案すると、夫は不機嫌になりました。子供も夫が車を買うことに同意せず、お酒を飲んだ後に車を運転して事故を起こすことを心配しました。その後、法の中で大法弟子は人の事を先に考えなければならないことを私は思い出し「それなら夫の願望をかなえよう」と思い、夫が車を買うことを支持しました。私が心を打ち明けて夫とコミュニケーションをとった時、夫は「私は年を取っていて、さらに酒を飲むのが好きなので、もう車を買いたくない」と言いました。

 私は修煉の玄妙さを体験し、自分が家庭の関の中でさらに修正しなければならないところが多くあることもわかり、私はもっともっとうまくできると確信しました。

 同修間で法に則って修煉する

 もともと同修が私に行なうよう要求したことに対し、特に態度において咎めだてされた場合、私にはいつもある種の排斥心理があり、自分の問題を振り返って見ませんでした。私が法に則って自分を正すことに注意を向けた時、幸せな気持ちになり、これが向上の表れであると知りました。

 ある時、私たちは人々あてに書いた真相を書いた手紙を玄関先に貼り付けなければならず、同修が見た後に持ち出したのは、表紙の上の小さいラベルをどのように貼るのか、中の手紙をどのように折るのか、封筒の封をどのように処理するのか、ということでした。この三つの小さな問題に対して、その時私は「同修も人を救う効果をよりよく達成するための効果を考えているので、迷うことなく受け入れよう」と思いました。学法の時に師父が説かれた「大法弟子として、正念は法に由来しており、あなたの人間としてのアイデアがいかに良いのか、人間としての方法がいかに優れているのかを修めているのではなく、正念をもって物事に対処しているかどうかを修めているのです」[2]を読み、私はぱっと悟りました。その後私はその同修と話をし、その同修も啓発を受けました。もし以前なら、私は相手のことが面倒だと思い、人の考え方が浮かんで来たでしょう。

 同修が持ち出してきたことは小さなことですが、私の感動は大きく、偶然なことはないことを知り、すべてみな師父が順序良く按排なさったことで、外に向けて探すことはできず、師父が按排してくださった向上の機会を逃しました。現在(訳注:2019年11月)私は問題を見つけた後、心の底から師父に感謝申し上げ、同修に感謝いたします。

 ある同修の表面上の言行が一致せず、修煉者のような態度でなく、その同修と協力する時、私は動かされず「私が見たものの中には私が修めなければならないものがあり、師父は私に自分の問題を探させようとしておられる」と思い、その同修の人としての一面をその同修の本質と分けたとき、私の考えは変わり、その同修にもよい態度が現れました。その同修の行為が他の同修のネガティブな考えを生み出したために「この人がああだこうだ」と感じましたが、その同修も今(訳注:2019年11月)は変化があり、同修たちもみなその同修のことで喜んでいます。これこそ修煉であり、大法がその同修を変えました。

 追記

 私はいつも自分の修煉がよくないと感じ、また明慧ネットが行なう中国の大法弟子の例年の法会(訳注:明慧法会)に投稿したことはありませんでした。今回私は心から師父に心の奥底からの感謝の念を表したいと思います! 命を救っていただいた師父のご恩に感謝申し上げ、人生を新しく作り直していただいた師父のご恩に感謝申し上げます! 同時に私はまた今回の盛会(訳注:明慧法会)を私がさらに精進する出発点としたいと思います!

 師父の慈悲なる済度に感謝申し上げます!

 同修の皆さんの私への助けに感謝いたします!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十』「マンハッタン説法」
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法十』「更なる精進を」

 (明慧ネット第16回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2019/11/4/395394.html)
 
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