18年間放浪生活した長春の技師・魏春雨さん迫害死
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 【明慧日本2020年10月9日】(吉林省=明慧記者)機械工業部第九設計研究所の技師で、長春市の法輪功学習者・魏春雨さん(56)は、かつて5回不当に拘禁され、拷問により苦しめられた。2001年9月2日、魏さんは危険を冒して洗脳班から脱走したが、それ以来放浪生活を余儀なくされた。そのため、家族も巻き添えにされ、妻は強制的に離婚させられ、12歳の息子は父親と会えなくなった。両親は身震いするほど恐ろしく不安な日々の中で亡くなった。今年4月14日の夜、魏さんは迫害を受けた末、死亡した。

'图:魏春雨生前照片'

魏春雨さんの生前の写真

 18年間も居場所を失っていた魏さんは、数枚の服、2部の分厚い書類と身分証だけを残した。身分証は2年前に発行されたもので、残された数枚の写真は、20年前に長春第二留置場で虐待を受けた後、撮影されたものである。

 書類の一つは、2015年に魏さんが迫害の首謀者・江沢民を告訴する告訴状で、11ページもある。もう一つは2018年1月8日の日付の復職申請書で、2001年に洗脳班から脱出した一部始終が書かれており、中国共産党(以下、中共)の嘘言に惑わされた同僚たちに、迫害の実態を知ってほしいと願う8000字余りの資料であった。

 一、奮闘する青春

 魏さんは黒竜江省樺南県石頭河鎮の出身で、小学校、中学校の時に成績が優秀だったため、県内トップの高校に入ったが、大学受験の前夜、一晩中下痢をしてしまい、目標の大学に合格できなかった。魏さんは納得がいかず、勉強し直して再び挑戦し、難関大学である武漢工業大学に合格した。

 二、 絶体絶命の境地で活路を見いだす

'图:风华正茂的魏春雨'

青春時代の魏春雨さん

 1986年、大学を卒業した魏さんは機械工業部第九設計研究院(一汽設計研究院)に就職し、真面目で責任感があるため、優秀社員として選ばれた。1992年には魏さんは技師になり、1997年には技術のチームリーダーを任せられた。当時、魏さんは33歳だった。

 仕事が忙しいため、魏さんは1996年の新年3日から毎日残業が続いていた。体調が優れないと感じたが、「このプロジェクトが終わったらまた病院に行こう」と思いながら、我慢して勤務に励んだ。

 魏さんの体調はますます悪くなり、頭痛、目に違和感があり、頭の回転も鈍くなった。それでも目を手でこすって、「このプロジェクトが終わったらまた病院に行こう」と思った。

 1997年になると、魏さんは仕事ができなくなり、ようやく病院に行って検査を受けた。そして、緑内障、脳梗塞、不眠症、両目の視神経萎縮と診断された。

 魏さんは苦しんでいる時期の1998年1月2日、退職した同僚が法輪功創始者・李洪志先生の説法録音テープを紹介してくれた。14本の録音テープを魏さんは一気に聴き終わり、「真・善・忍」の法理に深く感銘を受け、さっそく学び始めた。

 「真・善・忍」に従って実践するようになった魏さんは、病気が治り心もスッキリし、名利に対して淡白になり、他人に対して寛容にできるようになり、今までにない楽しさを実感することができ、人生の希望が見えてきた。

 三、法輪功の信念を守り連行される

 1999年7月、中共の江沢民集団が国家機器を利用して法輪功を迫害し、「名誉を汚し、経済を破綻させ、肉体を消滅させる」という政策を推し進めた。魏さんは「真・善・忍」の信念を守り、自らの人権を守ったため、5回も連行された。

 1999年8月末、魏さんは長春市緑園区四聯大通り派出所の警官に呼び出され、「社会秩序を乱した罪」を着せられ、15日間拘束された。

 2000年10月6日、魏さんは北京の天安門広場で法輪功の無実を訴えたため、連行され、手錠をかけられたまま地元に戻された。

中共酷刑示意图:浇冰水

拷問のイメージ図:冷たい水をかけられる

 2000年10月9日、魏さんは再び長春第二留置場に拘束された。留置場の大広間に入った途端、魏さんは若い警官に顔面を殴られた。その後の27日間、魏さんは日常茶飯事のように殴られたり、髪の毛を掴まれ壁に叩きつけられたり、連続して50~60杯の冷水をかけられた。また、指先に鋼の針を刺され、内股を拳で殴られ、ハンガーで右足首の骨を叩かれたことによって、足が黒紫色になって歩けなくなり、足首がただれ、欠損した。

'图:魏春雨的右脚踝骨被打烂一个大洞'

出所した後、病院で治療を受けて15日目の、魏さんのただれた足首

 毎日、朝から晩まで腰掛けに長時間座らされたため、魏さんの臀部がただれた。

'图4 和前列的少钱,还患上了眼疾,身心受到了魏春雨臀部被坐烂'

出所した後、治りかけの魏さんのただれた臀部

 受刑者らは魏さんの指を固定し、歯ブラシを2本の指の間に挟み、勢いで歯ブラシを回し続けた。そして、彼らは満足して血まみれになった魏さんの指を見ていた。

'酷刑演示:牙刷钻指缝'

拷問の再現:歯ブラシを2本の指の間に挟み勢いで回し続ける

 留置場から帰宅した後、全身が疥癬だらけになった魏さんは、かゆみで毎晩眠られないほどであった。サインをしない限り、仕事もなかなか再開できないため、仕方なく魏さんは「北京に行かない、集会に参加しない、邪教活動にも参加しない」という保証書にサインした。書き終わった後、魏さんは1時間あまり号泣した。

 2001年6月12日、魏さんの勤務先に突然来た6、7人が、魏さんを車に押し込み、興隆山洗脳班に連行した。この4階の建物には「長春市法制学校」の看板が掲げられていた。

 興隆山洗脳班で、魏さんは法輪功を誹謗中傷するビデオを見させられ、「地蔵経」や、法輪功を中傷する教授の講義を聞かされた。警官は「転向しないなら、10月まで労働教養を科してやる」と言ったことがある。2001年9月2日、魏さんは危険を冒して洗脳班から脱出した。それ以来、放浪生活を余儀なくされた。

 2012年7月末、魏さんは街頭で神韻DVDを配布していた時、警官らにより樺南県公安局の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)に連行され、蹴られ、さらに法輪功の資料をすべて押収され、5時間拘束された。

 2013年6月3日、魏さんは街で法輪功の資料を県公安局の副局長に配布した。副局長の許長君はすぐパトカーを呼んできて、魏さんを連行して2時間以上拘束した。

 魏さんは法輪功を放棄しないため、減給されたり、年末のボーナスを奪われたりした他、2000年から2015年の間、差し引かれた給料および解雇されたことによって損失した金額を含めて、累計損失額が150万元を超えたという。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/9/29/412731.html)
 
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