同修が魔難に陥ったとき
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文/四川省の大法弟子

 【明慧日本2020年10月13日】多くの同修は、自分自身が魔難の中にいるとき、「百の苦一斉に降る」[1]という感覚に耐えられません。そのとき、同修がどれだけサポートを必要としているか、個人的に経験したことがあり、私自身も特に深く感じていました。

 自分の恐れる心で大法に対して悪いことをしたのですが、厳粛に声明を発表しておらず、修煉も怠っていたため、大きな苦難に見舞われ、自分や家族を極度の苦痛と恐怖に陥れてしまいました。その時、多くの修煉者が私を気遣い、正念を発するように助けて、一緒に法を学び、外に出るように法輪功迫害の実態を伝えたり、人を救うために『中国共産党についての九つの論評』を配ったことを励ましてくれたりして、やっと絶望から法を正す道に引き戻してくれたことを感謝します。同修達は私心も恨みもなく師父の要求に「私は法を得た弟子をできるだけ一人も取り残さないようにしています」[2]を成し遂げています。同修達は私に多くの感動を与えてくれました。本当にありがとうございます!

 私に正念が生じ全体に溶け込んだ時、協調人から、私と同じ魔難の中に陥っているもう1人の修煉者を助けて欲しいと頼まれ、私は彼女と一緒に法を学び、正念を発し、彼女を励ますことは自分を励ますことでもあると思いました。本当に正念が生じれば、神の奇跡が現れます。彼女は、バイクタクシーで法輪功迫害の実態を伝えるために、敢えて自宅から遠く離れた場所に行きました。3年間歩けなかった人とは思えないほど、歩くのも人の助けを必要とする人なのに、家を出ることができました。同修を助ける過程で、私も自分を正してきました。

 自分が魔難に陥ったとき、他の空間の魔に妨害され、最もよくない思考に心を引っ張られた私は、苦しみに耐えられず、同修に助けを求めたところ、同修に「あなたは淘汰される部分に属する」と言われました。そのとき、私は大きなプレッシャーを感じ、すべてが終わったと感じました。師父は私を必要としておられない、しかし、私が大法を離れたら、生きる意味があるでしょうか?  恐怖と後悔に阻まれて、法を学ぶことができず、『轉法輪』を1日に第一講から第六講まで、読んでも、心の中に変化や改善が見られませんでした。

 私が苦しみ、悲惨な状態に陥ったときに、ある修煉者が「何を考えているんだ、師父はいつ、あなたが要らないとおっしゃったのですか」と棒喝してくれました。。もう1人の同修も「師父はあなたを要らないと言われたわけではなく、その人が言ったことを反故にしましょう。私達はあなたのために正念を発します」と言ってくれました。

 私は多くの同修の正念の加持の下で、師父の「弟子正念足りれば 師は回天の力有り」[3]という法を心に刻みました。私は何度も師父に「師父、助けてください、私は大法を離れることができません」と懇願し、最後に、ようやく魔難を乗り越えることができました。そのとき、私を助けてくれた同修たちとは二度と会うことはなく、電話も通じませんでした。多くの同修が私を助けるよう師父は按排してくださいました。

 今生、同修と共に大法を修めることができて、なんと大きな縁でしょうか! 大切にしなければなりません。同修が魔難に遭遇したとき、私達は彼らを責めるのではなく、彼らに関心を寄せて、彼らを助け、法に基づいて向上し、早く魔難から抜け出して、先史の大願を達成できるように一緒に頑張りましょう。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「その心志を苦しめる」
 [2] 李洪志師父の経文:『米国西部法会での説法』
 [3] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「師徒の恩」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/9/10/297412.html)
 
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