バランスの崩れた心を取り除くと被さった目が開いた
■ 印刷版
 

文/吉林省の大法弟子  

 【明慧日本2020年10月13日】私は1998年に法輪大法の修煉を始め、今年で64歳になりました。ここでは、バランスの崩れた心を取り除くと、身体の不正な状態が消えていく過程を、同修と交流したいと思います。

 数年前に私の目に不正な状態が起こり、徐々に片方の瞼が持ち上らなくなり、痛みも感覚もなく、どんどん目が覆われていき、とうとう何も見えなくなって片方の目だけになり、医師からは「筋力低下」だと言われました。

 ちょうどその頃、父親が寝たきり状態になったため、介護が必要になりました。農村の観念では、 子供を育てることは年をとってから子供に面倒を見てもらうためです。

 私には兄が一人、弟が二人いて、私は家族の中で唯一の娘で、父が介護を必要としているのに、弟たちは忙しいと言って、私に介護をして欲しいということでした。私は心のバランスを崩し、動揺していることを何も言わなかったので、父の介護を全部私に押し付けられました。 私の目がこんなひどい状態になっているにも関わらず、なぜ全部私に押し付けるのかと思いながらも、面倒を見ていました。

 私の父は脳血栓といくつかの病気のため、寝たきり状態になって、自立できないのです。私はしぶしぶ実家に行ったり来たりして、毎日父の世話をしなければならなくなり、実家の仕事だけで半日もかかりました。また自分の家の家事にも追われて、とても忙しい毎日を過ごしていました。大法弟子として三つのことを行わなければいけないと思っても、時間がないのです。しかし、何んと言っても私は大法弟子なので、直ぐに法を学びよく考えてみると、私は修煉者ではないか? どうして常人のように責任逃れをしようとしているのか? 修煉者は常人の観念を取り除かなければいけないのではないかと悟りました。法の勉強をしてから、心がだいぶ明るくなったと感じました。

 しかし、法を学ばない時は、心のバランスが崩れてしまうだけではなく、嫉妬、恨み、非難、不平不満、闘争心等どんどん出てきました。私は「あなた達は息子であり、 子供を育てるのは年をとってから子供に面倒を見てもらうためです」と考えれば考えるほど……、突然、本当に情けないです。これが修煉者ですか? このような考えは早く放下しなければならないと思い、そして、心の中で静かに「真・善・忍は素晴らしい」を何度も何度も唱え、唱えれば唱えるほど心が清らかになり、他のすべての考えが抑圧されていったのです。

 これは、根本から師と法を信じるかどうかという問題で、私は修煉者であり、すべての執着心を取り除くべきです。心の中で「真・善・忍」だけを思い、修煉者なら、修煉者なりの心理状態を持っ必要があります、常人の理に騙されてはいけません。これらの邪悪な思考を根絶するために、私は正念を発しました。

 私の心が和やかになった後、私は母に「私は大法を学んでいるから、常人よりもっと良い人になるべきです。もし私が大法を学んでいなければ、兄弟が父親の世話をすることをせず、私だけが父の面倒をみることは、しなかったかも知れません」と言いました。

 私は母に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と一緒に暗唱してもらいましたが、当時、私の両親はともに70代、80代で介護が必要な状態でした。毎日時間を決めて法を学び、学法を通して内に向かって探して、バランスの崩れた心や様々な執着心を取り除きました。すると、いつの間にか被さっていた目が開らくようになり、自分の間違った状態がなくなっていました。 師父の慈悲なる救い済度に感謝致します!  修煉の道で師父のご加護に感謝致します!

 私は話をするのが好きではないので、普段、体調が悪い時は同修たちとは話さないのです。関を乗り越える時、私は心の中で「私は師父を信じ、真・善・忍を信じています。しっかり自分を修めていないからこんな不正な状態が現れたので、正しい状態に戻すべきです。また、自分の業力を消している過程です、すべて良いことで、心性が向上すれば、功が伸びるわけです。師父の按排なら私は受け入れます、誰かが理不尽な口実をもって邪魔をすることは、それは師父の按排ではない、私は認めません。

 次元が限られていますので、法に基づいていない場合、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/10/9/413531.html)
 
関連文章