同修間の情に気をつけよう
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文/静一  

 【明慧日本2020年10月19日】同修と付き合う中で、特に同じ学法グループの場合は、頻繁に往来することが多いため、「情」が生じやすいのです。また、古い大法弟子は、修煉の次元が向上していくので、修煉していない家族も含めて、常人との共通の話題を持つことは難しいのです。そのため、同修達の交流が増え、時間の経過とともに同修の間で、「情」が生じてくるのです。

 私が話している「情」は、男性と女性の間だけでなく、女性と女性や男性と男性の間にもあります。一旦「情」が生じれば、お互いの距離が縮まり、慶弔事や新しい家族の誕生や、世俗的なことがどんどんやってきます。特に関を乗り越える時、あるいは魔難に遭遇した時には、身近な同修への要求が高くなります。自分たちの要求に応えられないと、恨みが生じ、勘違いをして余計なトラブルを招きがちで無意識的に妨害を作ります。それは、心性のよくない同修が自分の活躍場所を見つけ、修煉がよくできている同修にも乱れが増えました。この現象は、修煉者の中に常に存在しています。

 また、男性と女性の修煉者の間に、「情」が生じると、さらに危険であり、更に大きな妨害となります。これは男性の同修や女性の同修、修煉者全員が意識しておくべきことです。昔の人は、「男女授受不親」と言っていましたが、その意味は男女の間では直接物のやり取りをしない、男女は体が直接接触してはならない、何かを渡す時は、他人や何か物を通して渡すということです。それにはそれなりの理由があります。そうでない場合は、さらに妨害が入り、トラブルが増えることになり、修煉においてはタブーです。ですから、気がついたときには必ず警戒して、常に「赤信号」を意識しておきましょう。堅実に修煉をしたいと思っている以上は、自分や同修の身の安全のためにも、同修の間の「情」に気をつけなければなりません。

 もちろん、今も常人の中で生活していて、人との交流があるわけですから、この程度をどうやってコントロールしていけばいいでしょうか? 私は「慈悲」と「善念」を用いて、「情」に代えればといいと思います。それが修煉者の間であれ、常人との間であれ、家族との間であれ、常に慈悲と善念を持って接していかなければなりません。

 師は「まず他の人のことを配慮して無私無我で、なおかつ他人を先に、自分をあとにするという正覚にまで修め遂げなければならないのです」[1]と説かれました。私達は他人にもっと寛容になり、もっと理解して人心が少なくなるように修めるのです。自分の不足や執着などを取り除いて、正々堂々と三つことをよく行ない、自分自身を早く向上させるのです。人間の理の束縛から早く抜け出せば、修煉の道は広くなり、関や難は少なくなり、圓満への道はより近くなるでしょう。

 僅かな悟りなので、適当でないところがあれば、同修の指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「佛性に漏れなし」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/10/16/413836.html)
 
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