文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年10月27日】大法弟子が大法の中で修煉した心性は常人を超えたものでなければなりません。しかし、常人の中で修煉しているので、人心を放下することはなかなか難しいのです。魔難に陥る中で、一部の修煉者は常人の概念に固執し、常人と同じになり修煉を怠る同修もおり、貴重な肉体を失い、大法を実証することと家族に損失をもたらす同修もいます。
実際、修煉者の行き先については、師父は説法の中で明確に説かれましたが、師父の説法をどこまで理解できるか、それは私たち次第です。
先日、地元のAさん(同修)が病気で亡くなりました。Aさんが亡くなってから2日目、私はいくつかの光景を見ました。朝、輪を抱えていると、黄色の袈裟を着たAさんが現れました。Aさんは「私はよい行き先がありますから、娘が泣かないように、某某[注1]は騒がないように、伝えてください」と言って去っていきました。
朝6時、正念を発するとき、また黄色の袈裟を着たAさんが再び現れて、「Bさんに精進してくださいと言ってほしいのです。Cさんにも、恐れる心は彼女のものではなく、その心を取り除くべきです」と私に言いました。正念を発した後、私は「これから、Aさんの姿が私の目の前に現れてはいけないのです、何と言っても、私たちの俗縁はもうすでに終わり、Aさんのいる空間は迷いがなく、私はまだ法を師として修煉しなければならず、私もまたAさんに関するイメージや影像をクリアにしなければならないのです。他の生命がAさんの様子を偽り悪いことをすることに注意すべきです」という念を発しました。
このような言い方は冷淡ではなく、非常に理性的なものだと思います、動功を煉っているとき、Aさんと今まで付き合う中でのいろいろな場面が絶えず出てきて、心を静めることができませんでしたので、その日の朝に煉功する時間は、『轉法輪』を読むことにしました。
修煉者としての私は知っていますが、Aさんは亡くなったあと、この空間で人が死ぬと、あの空間の元神はすでに功を持って上がっていて、神も人の皮を回収してしまい、残るのは穀物を食べて育った人間の体だということです。この遺体は、紙銭を焼いてあげても受け取ることができず、Aさんの娘さんも法を知っていたので、遺体の埋葬に関しては儀式が簡素化され、私たちの思い通りに行なわれました。
Aさんの親戚が常人を呼んで葬式の手配をしましたが、実際の葬式はすべて大法弟子たちが決め、紙銭焼き、花輪、酒などは省略しました。常人は「火の山を越えるにはドッグフードが必要」[注2]、「開眼する必要があるのですか?」と聞き、私達は「必要ありません」と答えました。翌朝の葬儀場では、泣き叫ぶことや、葬儀用の鉢巻や旗(喪家の人が振る旗)などの儀式はすべて省略し、Aさんの遺体は火葬されたあと、葬儀屋に寄託されました。
夕方、私が道を歩いているとき、目の前に壮観な光景が広がり、Aさんの天国の衆生が大勢でひざまずいて、Aさんが修煉の過程を全面的にサポートしてくれたこと、困っている時に助けてくれたことに感謝していました。彼女の天国の衆生は無傷であることがわかりました。
ここ数年、同修の中には、病気という形で亡くなった人がいます。交流文章の中には、誰かに生まれ変わるとか、また、恐ろしい光景を見た人もいました。私たちはそれは部分的なものであり、真実ではないと理解しています。修煉者の修め遂げた部分は高次元に上がり、一部の修煉者の色心は取り除かれず、色魔が迫害を強めていますが、師父は彼らの本質を取り出し、修め遂げていない業力や観念、また色魔は地獄に追いやられてしまいました。師父はすでに長年にわたって、これらの法を教えてくださいました。
Aさんが亡くなったことについて、Bさん(同修)が見たことを話してくれました。「Aさんは、紫色の僧衣を着て、腰に青い帯を巻いて、払子(ほっす)を持ち、彼の前を仙女が先導し、雲の上を歩いているのを見ました」と言いました。Bさんと私は気づいたのですが、私達はAさんのそれぞれの次元での顕現を見たというか、言い換えれば、私とBさんの次元の違いで、Aさんの違う顕現を見たということでした。
実際、何らかの理由で亡くなった修煉者には、それなりの居場所があるのですが、すべて良いところに行けるのです、数人が亡くなると周りの修煉者が動揺するというのは、修煉者の間ではよくある現象です。中には「彼女はかなり精進していて、修煉もしっかりしていたのに、なんでいなくなったんだろう、私も修煉に自信がなくなった」という声もあります。「地元で数人の修煉者が亡くなった」と言う人もいます。これは法理が分かっていない現れであり、しっかりした修煉ができていないことの現れであり、実質でなく外見だけを見ているのではないかと思います。
旧勢力は、他の人がまだ修煉しているかどうかを確認するために、大法に悪い影響を引き起こすことで、あなたが動じているかどうかを見ています。これらのことは、修煉者にとって同様に試練であり、一部の修煉者は疑問と悲しみで動揺し、しっかりと修煉ができず、師父と大法を信じる度合いも弱くなりました。あなたは知っていますか? あなたの行ないは、あなたを注目している天界の衆生を心配させています。
いずれにしても、師父は修煉者の行く先を明確に教えてくださったのですから、情の魔や人心に流されず、早くこれらのものを放下し、悟性を高めて、堅実に自分を修め、昇華していきましょう。
ここでAさんの娘の嵐さんの話をします。嵐さんは8歳で大法を得てから20年経ちますが、その間に両親と嵐さんは連行された経験があります。母親が死んだとき、嵐さんは苦しそうに泣いていましたが、私が見たことを伝えると、彼女は自分の母親がどこに行くのかを知って、涙が止まり心が落ち着きました。彼女は再び大法を勉強し始め、私たちと一緒に正念を発したいと思いました。正念を発する時、嵐さんが小さな蓮の花の上に座っているのが見え、船首に金色の龍を乗せた大きな金色の法船が現れ、四角い船体には金色の龍の箱舟が見えました。虚空の中に師父が現れ、師父の大きくよく通る声が響き、「あなた達を本当の家に連れて帰ります!」といわれました。師父は嵐さんを慈愛深く見て、「この子はあの頃の私の子供弟子です!」とおっしゃいました。私は嵐さんに自分が見たことを伝え、「これから、しっかり法を勉強して心を修めなければいけません」と伝えました。
正念を発するとき、また他の光景が見え、嵐さんと大法との結びつきの糸がより強固になっているのが見え、師父の言葉を思い出しました。師父は「実は私の見たところでは、縁の糸はしっかり繋がれており、取り残された人はなく、みな法を得ています」[1]と説かれました。私はまた、嵐さんが護法に囲まれているのを見て、そのうちの一人が私に「我々の主は癇癪持ちです」と言いました。またBさんの娘さんも修煉者で、彼女は自分で学法や煉功をし、一度『轉法輪』を写したことがあるそうです。彼女の周りには護法もいて、護法の一人が「うちの主は性格がよく、優しいです」と言っていました。正念を発した後、私が見た光景を伝えると、Bさんの娘は「確かに、私は性格がいいのですが、しかし、私は自分の考えがないのです」と言っていました。Bさんと私は「これから、2人とも、三つのことをしっかり行ない、精進しましょう」と伝えました。
文章の最後に、修煉者に言いたいのは、私たちは精進しなければなりません。そうでなければ、師父に申し訳なく、自分自身にも申し訳なく、下界へ降りてきた間に、一層一層で私達と約束した無数の天の衆生に申し訳ない、ということです。
修煉者の皆さん、この世で上演しているドラマが終わろうとしています。天界の法の光は徐々に上昇して、すでに三界にまで光を放っています。万古の期待を永遠の後悔にさせないように、しっかり修煉して、大法弟子としての責任を果たしましょう!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『米国法会での説法』「ニューヨーク法会での説法」
付注:
[注1] Aさんの親族が大法に反対したため、Aさんからこのことを教えてもらった後、私たちは特にこの人に対して正念を発しました。正念を発した時、棺がこの人の神経を圧迫しているのが見え、棺の両端から黒竜の頭と尻尾が前後に揺れているのが見えました。それを見た時、トラブルを起こして悪の要素が人を操ろうとしていることを理解し、正念でその人の神経にくっついていたものを全て消し去り、その人の悪い考えを抑え込みました。この日、その人は静かだったのです。
[注2] 人は死ぬと地獄に落ちるというのが一般的な考え方で、ドライドッグフードで邪犬と戦う必要があるとされています。