【明慧日本2020年10月27日】甘粛省金昌(きんしょう)市金川ニッケル・コバルト研究院のエンジニア・毛偉さんは、法輪功を学んでいることを理由に、中国共産党(以下、中共)当局から不当に拘禁、強制洗脳、家宅捜索、実刑判決、拷問などの迫害を受けた。そのため、毛さんは10月19日、冤罪が晴れないままこの世を去った。享年53歳。
毛さんが亡くなって3日目、地元派出所の警官2人が毛さんの自宅を家宅捜索した。「毛偉のパソコンは他の案件にも関与している」と言って、強制的にノートパソコン2台を押収した。
毛さんは1996年10月に法輪功を学び始め、「真・善・忍」に従って自分を要求し、以前の悪い習慣を捨てた。法輪功を学び、道徳が向上した毛さんは取引先の手数料を受け取らず、贈り物をもらわず、会社の品物を私物として一切持って帰らなくなった。
中共は1999年7.20に法輪功への弾圧を開始し、毛さんは同年7月22日に金昌市金川区公安局の警官に拘留され、家宅捜索を受けた。そして、その後も金昌市公安局と龍首公安分局から連行され、尋問を受けた。
2000年3月3日、毛さんは金昌市龍首公安分局の警官と金川集団有限会社の人員により、金川集団有限会社の「法制学習者」(洗脳班)に連行され、強制洗脳を受けた。月に300元の生活費しか支給されず、麻薬犯と同様の重労働を科せられた。
2000年4月10日、毛さんは金昌市龍首公安分局に身柄を拘束され、9カ月と27日間拘禁された。
大雪が止んだ2007年3月4日、永昌県の所々に「天が中共を滅し、脱党により平安を護ろう」、「天が中共を滅し、脱党者1900万人に」という横断幕が現れた。また、法輪功学習者の迫害に加担している永昌県の警官に迫害を停止するように呼び掛けるビラも配られた。それを受け、永昌県の警官が動き始め、3月13日、毛さんは金昌市国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)、永昌県国保の警官に連行され、家宅捜索された。警官は毛さんを猛打し、6日間睡眠を許さず、拷問して自白を強要した。毛さんは、きつく手錠をかけられた両腕が青紫色になり、顔も変形した。
それから更に、金昌市政法委、610弁公室、公安局、安全局などは「特別チーム」を設け、毛さんに迫害に加えた。3月29日、毛さんは秘密裏に知られない場所に連行され、自白を強要され続けた。国家安全局の警官・陳は押収した毛さんのパソコンを蘭州に送って検査した。
同年10月19日、永昌県裁判所と金昌市中級裁判所は毛さん、符玲文さん、劉桂菊さんなど6人の法輪功学習者に不当に開廷した。法廷で学習者たちは「私たちは罪を犯していません。私たちは正義で偉大なことをやっています」と言った。毛さんは法廷で、その場にいる法曹関係者に中共を脱退し、学習者に対する迫害を直ちに停止するように勧めた。
しかし、2007年11月27日、毛さんは金昌市永昌県裁判所から懲役6年の実刑を言い渡された。
酒泉刑務所に収容された毛さんは信仰の放棄を強いられた。刑務所二監区の監区長・王東風は毛さんを4カ月間独房に拘禁し、4人の受刑者に毛さんの監視を指示した。独房で毛さんは毎日朝6時に起きて、すぐに法輪功を誹謗中傷する書籍を読むように強要され、夜12時にやっと休むことを許された。ある時期、10人の受刑者が毛さんと議論するふりをし始めて、3日後、毛さんを取り囲んで一斉に批判し、人格を侮辱したり、罵ったり、脅迫するなど精神的に攻撃した。それによって毛さんは精神的に崩壊しかけた。
毛さんが刑務所に拘禁されている間、金川集団有限会社は本人の同意署名なしで一方的に毛さんを解雇した。家族も影響を受け、妻は左遷され、子供は学校で差別を受けた。
毛さんは刑務所から出た後も、地元のコミュニティ、派出所、法曹関係者などから繰り返し嫌がらせを受け続け、ついに2018年、毛さんに精神異常と半身不随の症状が現れた。しかし、それでも嫌がらせは続き、精神的にも肉体的にも迫害を受けた毛さんは2020年10月19日午前9時に帰らぬ人となった。