回盲部の腫瘍が瞬時に消えた
■ 印刷版
 

文/中国東北部の大法弟子

 【明慧日本2020年10月30日】8月のある日、突然、寒気がして体調が悪いと感じましが、気にせず、いつも通りに学法グループに行き、学法して「三つのこと」をやりました。数日後にはその不快な症状が無くなりました。それから数日過ぎた頃、また前の症状が現れました。それからまた数日経つとまたその症状が消えたのです。繰り返し起きた不快な症状が現れたということは、内に向けて探すべきだと思いました。症状が現れる前のある日、私は同修の家にいました。そのとき私は、部屋が寒いと感じていたのに、気遣いのできない同修だと思い、少し怨んだりしたことを思い出しました。そして「これは怨恨の心ではないか? 私はその心は要らない。その心を取り除くべきだ」と、その心を無くそうとしました。

 しかし、数日してからあの症状が再々、現れるようになりました。今度は寒気だけでなく、腹部も張ってきてご飯を食べられなくなりました。しかも、お腹が耐えられないほど痛みました。この状態が数日続きました。ある日、腹部を触ってみると、握りこぶし大の塊があることに気づきました。家族は大法を修煉していないので、私は家族にはこのことを話しませんでした。

 その後、私は妹(同修)に電話し、そのことを話しました。妹は我が家に来てくれましたが、妹の娘夫婦も一緒でした。姪の婿は私に「家で煉功しても良いが、病気になったらやはり病院に行かないといけない」と言いました。婿はあまり修煉のことを信じず、大法の真相を伝えても受け入れなかったのですが、婿のいうことを聞いて、私は「病院へ行くって? 行ってもいいよ」とあっさり受け入れました。しかし、頭の中では「病院なんか怖くない」と考えていました。

 病院に連れられて行った私は、CT検査を受けた結果、胆のう炎、盲腸嚢腫、回盲部腫瘍と診断されました。医者に「入院して、手術しなければなりません。手術前に造影CT検査を受けてください」と言われ、検査を受けることにしました。検査台に乗るときはお腹の痛みで腰がまっすぐ伸ばせず、妹に支えられて乗りました。

 検査台に横になって、私は「私は大法弟子だ。病気はなく手術は受けない。師父、ご加持をお願いします」と心の中で師父にお願いしました。続いて、私は検査設備に対して、「私は大法弟子だ。大法を実証しなければならないし、正念で関を乗り越えなければならない。腫瘍が検出されないようにしてください。あなたたちも生命なので、『法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!』と覚えてください」と言い聞かせました。

 その時、ずっと頭の中で「絶対、私が病気だと検出しないでほしい! 私には病気がない!」と、強い念で検査の機械に繰り返し言い続けました。検査の結果は「回盲部に腫瘍の形跡あり、腫瘍の形跡の大小を含む」と記入されました。

 それから、検査台から降りるときには、腹部の痛みが消えて歩けるようになっていました。体が軽くなったと感じた私は、妹に「私はもう回復したよ」と言いました。

 しかし、医者はその結果をどうしても信じなかったので、大腸内視鏡検査を強く勧めました。私は「はい、やってもいいですよ」と受け入れました。検査の報告には「炎症あり」とだけ書いてありました。その結果を見て、医者は「もう退院していいですよ」と言いました。私は姪の婿に「私の体の腫瘍がすぐに消えたでしょう。大法は超常的で素晴らしいと思いませんか!」と言いました。

 このように、師父と大法に対する堅い信念で、師父の保護の下、私は難関を乗り越えました。師父は「物事の善し悪しは人間の一念によるものであり、その一念の違いによって異なる結果がもたらされることがある」[1]とおっしゃいました。もし、当時、心が揺れ動き、恐れる心を持って心配し、病気だと思ってしまえば、本当に大病になってしまうかもしれません。死んでしまう可能性もありました。

 私がこの体験を書き出したのは、難関の中にいる同修に、「一切の人心を放下し、一切の執着を放下し、一切の心配事を放下し、一切の恐怖心を放下し、完全に自分のことを師父にお任せするように」と言いたいのです。「弟子正念足りれば 師は回天の力有り」[2]、「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」[1]、もし本当に師父のおっしゃった通りにやり遂げることができれば、きっと「道が無くなるかと思えば、柳がほの暗くある中に花が明るく咲く」(窮した時に道は開ける)ようになります。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「師徒の恩」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/10/24/413279.html)