母の現れから自分を探し修める
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 文/若梅

 【明慧日本2020年11月2日】私の母は勝気な女性で、長い間勤め先で上層幹部を務め、社会でも家庭でもリーダシップを発揮し苦労しました。今はもう80歳に近づいていますが、やはり何もかも自分の一存で決めようとします。コロナ期間中母の面倒を見るため、私は母を我が家に連れて来ました。普段私は一人暮らしをしていますが、母が来ることによって家が賑やかになり、私に心性を向上させる機会を与えてくれました。

 一、自我の表れ

 ある日母が先にお風呂に入り、次に私が入りました。母は私のあかを擦りながら「やっぱり母親がいた方がいいでしょう」と言いました。私は「そうね。70歳になっても母が健在で、80歳になっても家族がそろっていることは福ですね」と答えました。母の考えでは彼女が私の家にやって来たのは私の面倒を見るためで、私が母の面倒を見るのではないということでした。母の心の中で、私は永遠に配慮が必要な子供で、彼女のポジションはいつも変わらないものでした。私は急に分かりました。このような自我の現れは私にもありますが、ただ隠れているだけでした。

 内に向けて探す過程で分かりましたが、自我の現れによって私は受動的に法を実証していて、自ら進んでやっていませんでした。例えば、同修が病業の虚像に遭遇した時、他の同修が私と一緒に交流に行こうというと、私は往々にしてあまり行きたくありませんでした。そこで体裁を取り繕って「自分の修煉にも足りないところがたくさんあるし、その同修のこともよく知らないので、行ったとしても何を話しますか?」と言って断わりました。自我の心が作用して、「このことはほかの人に行ってもらった方がいい、私と切磋琢磨するより効果があるかもしれない」と思っていたからです。

 しかし、一方で自我を現わすことができる時、例えば、同修がシステムをインストールしようとする時、これは自分がやるべきことで、他の人にはできないと思い、喜んで行きました。この自我を見つけた時、本当に驚きました。法をどこに置いたのでしょうか? 普段はよく自我を証明してはいけない、法を実証すべきだと言っていたのに、今の私の現れは……その中には顕示心、嫉妬心、歓喜心、安逸心などが含まれていました。

 師父は説法で「皆さんはあることに気をつけるべきです。つまり、皆さんは法を実証しているのであって、自分自身を証明しているのではないということです。大法弟子の責任は法を実証することです。法を実証することも修煉です。修煉の中で他でもなく自我に対する執着を取り除くことであり、意識的にまたは無意識的に自分自身を証明することをかえって助長してしまうようなことをしてはいけません。法を実証することと修煉は自我を取り除く過程でもあります。これをやり遂げることができれば、本当の意味で自分自身を証明したことになります。常人のことを最終的に皆さんは放下しなければならず、常人の全ての執着を放下してはじめて常人から脱皮することができるからです」[1]とおっしゃいました。

 この度私は定年退職をしました。元々覚悟していたことですが、仕事の引継ぎが終わり、カギを返す時、がらんとして寂しくなり、人に軽んじられる感じがしました。あの習慣、あの根深くて揺るがない自我が作用していました。

 二、党文化の現れ

 ただ2人だけであっても、毎回の食事に何を食べるかは母の一存で決められています。ある日母はトウモロコシのお粥を煮ようとして、私に「大盛り半分のトウモロコシと6杯の水でちょうどいいよ(母は炊飯器が使えない)」と言いました。「お母さん、水はそれほど多く入れる必要はないのよ。炊飯器を雑穀粥の位置に設定すればいいの。お母さんはご飯を作る設定をしているから…」という私の話が終わらないうちに母は機嫌が悪くなって顔をそむけました。私は慌てて無理やりあとの言葉を止めました。

 母の姿を見ながら、私は自分の考えを同修に押し付けようとしたことを思い出しました。詳細ないきさつは次の通りです。

 ひとりの同修が真相を伝え、真相が印刷されたカレンダーを配っていた時、強制連行されました。同修たちはすばやく一丸となって救援活動をはじめました。ある同修が私のところに来て、同修Aさんのご主人(同修)のおじが国家安全防衛大隊の隊長なので、一緒に彼のところへ行って強制連行された同修の詳しい状況を尋ねようと言いました(その時は強制連行された同修が何も言っていないことしか知りませんでした)。また彼に真相を伝えようとも言いました。

 幾多の紆余曲折を経てようやくAさんの家に着きました。Aさんは同修が強制連行されたことを耳にして、実名ですでに明慧ネットに投稿しましたが、その後同修が名乗っていないと分かり、実名で掲載された文章を削除するよう明慧ネットに連絡したようです。取り返しのつかないことをしたとはいえ、私は心の中でやはり無力さを感じました。私達の考えを簡単に説明した時、Aさんは急に「修煉は接待や贈り物をするのではありません」と言いました。私は感情を抑えきれず「Aさん、私達はあなたのおじさんにお願いに来たのではありません。彼を救うために来ました」と言い返しました。その時空気が急に固まったように感じました。私も自分の強気な発言を意識して、すぐ補足しました。「修煉とは自分を修めることです。あなた達から見てどうすべきか分かったらその通りにしてください。私はただ提案しただけです、引き継き協力して発正念をしましょう」

 夜の集団学法の時、同修たちにこのことを話し、Aさんが協力しなかったのは私にどのような執着心があったかを探してほしいとお願いしました。ある同修は、「お姉さん、あなたの出発点は良かったのですが、党文化が強く、威張りすぎていたため、同修はあなたと交流するすべがありませんでした」と言いました。もう1人の同修は「やはり話すときの態度と口調に気をつけるべきです。自分が正しいと思って、独断専行してはいけません」と言い、また1人の同修は「焦り過ぎたのです。捕まった同修に対する情があって、焦る心が込み上げたのです」と言いました。

 私は誠実な態度で何回も頷きました。そして師父のご加護に感謝し、同修たちの無私の助けに感謝しました。辛かった心が一瞬にしてなくなりました。そこで党文化をなくそうと密かに決心しました。

 三、内に向けて探し、自分を修める

 伝統文化の中では、百の善行の中では親孝行が一番先に来ると言っています。大法弟子として、親孝行に対してどう対処すべきでしょうか? ある同修は自ら進んで病気を患った両親の面倒を見、これは常人社会の状態に符合していることで、身をもって法を実証することであると思っていました。しかし、最終的に三つのことを行なう時間すらなくなりました。ある同修は心の中で思ったのは衆生を救い済度することで、旧勢力の妨害を否定し、両親にも妥当な按排をしました。

 師父は「もちろん、われわれは常人の社会の中で修煉をしているので、親孝行をするのも、子供をしつけるのも当然です。どんな環境の中でも人には親切にしなければならず、まして自分の身内のものの場合はなおさらです。親だろうと子供だろうと誰に対しても同じように、何事につけてまず人のことを優先に考えるならば、それはもはや私心ではなく、慈悲心によるもので、慈悲そのものです」[2]とおっしゃいました。

 ここで「人には親切に」から「慈悲心によるもの」、さらに「慈悲」にまでは一人の修煉者が感性的な認識から理性的な認識に心性が絶えず向上する過程です。「慈悲」と言っている以上、それは単に母1人に対することではなく、全世界の母に対する慈悲であり、衆生に対する慈悲なのです。

 母が入院しました。唯一の娘として母の面倒を見るのは当然のことです。しかしどうすれば情を放下すると同時に心遣いが至れり尽くせりにできるでしょうか? 私は次のように自分に要求しました。面倒を見るべきなら、その通りにしますが、のぼせ上がってはだめで、心を動じないということです。そして使える時間には師父の説法を聞いたり、患者に真相を伝えたりしました。それでよく食べてぐっすり眠ることができ、母が退院する時、私の体重は減っていないばかりか逆に1キロ増えました。

 母の現れこそ私の鏡です。母がフッ素加工の鍋を金属たわしで白くなるまで擦っているのを見て、自分の古い物に対する懐かしい心を見つけ、団地の土を掘って(捨てられた庭園)野菜を植えるのを見て、自分の利益の心を見つけ、人に若く見えると言われて得意満面になった母を見て、自分に諂い(へつらい)の言葉を聞きたがる心と色欲の心を見つけ、母の現れを見て、自分に向けて探し、自分を修めることができました。

 注: 
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法六』「アジア太平洋地区学習者会議での説法」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/9/20/409923.html)
 
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