発正念は我々の神聖な使命
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年11月6日】発正念は師父から頂いた特別に力のあるもので、正念を発することは我々の神聖な使命です。

 発正念時の我々の目標は「大法を破壊するすべての邪悪を一掃し、すべての黒い手と卑しい鬼を解体し、共産邪霊及び共産党の他の空間にあるすべての要素を取り除き、含まれないものはなく、漏れるものはありません」とはっきりしています。

 しかしながら、明慧サイトに掲載されている交流文では、一部の同修は時々「発正念」をお守りにしています。周りの修煉しない親戚が病気になった時に「発正念」をしたり、進学や受験時に「発正念」をしたり、常人の仕事があまり上手くいかない時に「発正念」をしています。

 師父は「特殊な情況のもとでは、邪悪を根絶してもよいのです。このようにしても大丈夫です。これは歴史上、かつての修煉にはなかったことです。この時期に皆さんに現れてきた各方面での各種の正しい状態や、各種の状態のもとでいかに行なったかも全て歴史に残しておきます。ですから、これは非常に厳粛なことであると同時に、非常に重要なことでもあります」[1]と説かれました。

 法輪大法を修煉する目的は他者の為に、正念を発するのも衆生を救う為です。もし、自分や家族の為に利益を得ようとして「発正念」をするのであれば、お祈りをしにお寺にいく人とどこが違うでしょうか。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『導航』「二〇〇一年カナダ法会での説法」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/11/2/414526.html)
 
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