私が法を得た経歴
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文/スイスの大法弟子

 【明慧日本2020年11月22日】

 尊敬なる師父、こんにちは!

 同修のみなさん、こんにちは!

 私は幼い頃から英雄や神話などに深い興味を持っていました。私は物静かな子供で、小さい動物を観察することで心が穏やかになりました。多くの超常現象をほとんどの人は信じていませんが、私はその中にたくさんの真相が含まれていることが分かっていました。20歳をこえてから、私は精神的な修養に励みました。私は誰なのか? どこから来たのか? どこへ行こうとしているのか? ずっとこれらの問題の答えを探していました。

 慈悲の力を自ら体験する

 私の「常人の考え」は超能力を求め、超能力を学ぶのが早ければ早いほどいいと考えさせました。これは私の以前の基準であり、色々な講座に参加し、修行方面の本もよく読み、関連するビデオもたくさん観賞しました。その後、私はひとりの法輪大法の弟子に出会いました。彼の話しぶりや立ち居振る舞い、私の話を忍耐強く聞いてくれたことに私は心が深く引かれました。その瞬間私のすべての観念は完全に崩れました。今の私の理解では、その時「慈悲の力」を体験したのです。彼は私に法輪大法を紹介し、法輪功とは何かを伝え、それを聞いて、私は法輪大法の素晴らしさを感じました。

 師父は「実は慈悲は巨大なエネルギーであり、正神のエネルギーなのです。慈悲であればあるほどエネルギーが強く、どんな良くないものも解体されます」[1]とおっしゃいました。

 法輪大法を修煉することを決意する

 大法の煉功動作を学んだ後、私は1カ月ほど決まった時間に煉功を続けました。とても心地よかったのですが、私の「常人の考え」はやはり超能力を追求したがっていたため、私は依然として様々な講習会に参加しました。1年後その大法弟子に再会した時、私たちは俗世間の話題について話し合いました。「私が読める法輪大法の書籍はありませんか?」と聞くと、彼は『轉法輪』を読むように勧めてくれました。こうして私は『轉法輪』を読み始めました。

 師父の写真を拝見した時、私はかつてない慈悲と平安と内心の穏やかさを感じました。『轉法輪』は私がかつて読んだあらゆる本と違っていました。私は求める心を持って『轉法輪』を読んでいましたが、すぐ自分の求める心が一種の執着であると意識できました。一部の内容には抵抗感がありましたが、同時にこれこそ真理であるとはっきり分かりました。自分の抵抗感が強ければ強いほど中にもっと多くの真理と内包があると感じ、修煉しようとする願望もますます強くなりました。私は勇気を出して、修煉しようと決めました。この一念が生じた瞬間、全身の毛穴が全て開いたと感じました。

 師父は「病気の快復、難の回避、業の消去を願う人々は必ず修煉を通じて、返本帰真しなければなりません。修煉の各派も、このことについては同じように考えています。返本帰真することこそ、人間としての本当の目的です。したがって、ある人が修煉しようと思うと、佛性が現われて来たと認められます。この一念こそ最も貴重なものです。なぜならその人が返本帰真を願い、常人という次元から抜け出そうとしているからです」[2]、「皆さんもお聞きになったことがあるだろうと思いますが、佛教には、『佛性がひとたび現われると、十方世界を震わす』という言葉があります」[2]と説かれました。

 学法の重要性を認識する

 修煉を始めた頃、私は毎日学法していました。しかし、しばらくすると自分を緩めてしまいました。その時、私はすでに旧勢力の存在を知っていました。突然、しばらくの間、私は煉功と発正念を堅持することができませんでした。いつも何かしなければならないことができて忙しくなったり、あるいは非常に疲れを感じたりして、困難はますます多くなりました。時に私はよく物忘れをし、時間を守ることができず、疲れてぼんやりしたり、元気がなくなったりして、すべてが順調ではありませんでした。その時旧勢力の按排に従っていたら、どれほど危険なのか知りませんでした。後になって私はさらに多く学法し、発正念を堅持することでやっと旧勢力の妨害を取り除くことができるようになりました。

 大法の超常さを体得する

 私はパーソナルトレーナーとして働いています。ある日、ボスは運動方面のロシアの専門家を招き、その専門家に彼の仕事を私たちに紹介させました。彼は私たちに講演をしてくれました。彼の講演が終わるとボスは彼に私たちのために身体検査と調整をするよう頼みました。その時、私の心は平静ではありませんでした。私はその専門家に自分の体を調整してもらいたくありませんでした。彼の仕事は確かにすばらしく、私たちに幾つかの病気治療と健康保持の方法を見せてくれました。ほとんどのトレーナーはこの専門家に調整してもらいました。彼に診断された人はみな体のなかの詰まっているところや、良くないところを見つけ出されました。私は横になって彼の検査を受ける時、心の中で発正念をし、私を助けて下さるように師父にお願いしました。驚いた事にあの専門家は私の体に何も良くないところや、詰まっているところを見つけられませんでした。不思議なことに、筋肉のテストもパスしました。これこそ大法の力です。

 私たちはいつでも衆生を救うことができる

 修煉の初期、私は大法弟子の責任とは、煉功と心性を向上させることであると思っていました。しかし、間もなく私は大法弟子にはより重要な使命があることを認識しました。ある日、法輪大法情報の日の活動に参加した時、ある中年の方にチラシを渡そうとしました。するとその人は相当不愉快そうに、「こんなもので私を煩わせないでください」と言いました。その瞬間、私は少し気分を悪くしましたが、正念のおかげで穏やかになりました。彼の話を聞きながら私は、この人は大変苦しんでいると感じました。彼は以前佛教の和尚で迫害を経験していました。その日彼はサングラスをかけていたため、私は彼の顔をはっきり見ることができませんでした。彼は「法輪功が×教でないことを私に見せてください」と言いました。私は落ち着いて彼に説明しましたが、彼はやはり信じませんでした。そこで私は彼にメガネを外せないかと言いました。私たちが互いに相手の目を見ることができた時、彼は急に泣き始めました。そして私に自分の過去について話し、最後になって彼は『轉法輪』を読みたいと言いました。私は自分の『轉法輪』を彼にあげました。

 ある日曜日、私は湖の近くに行き、初めての修煉体験を書こうと思い、静かなところを見つけましたが、10メートルほど離れた芝の上に若い女の人が座っていました。私は自分の体験を書き続けましたが、時々彼女と視線があいました。その女性が立ち上がり、片付けていた時、急に彼女に大法のチラシを渡したいという一念が生じました。その前まで私は別に彼女に真相を伝えようというつもりはなく、ただ自分の体験を書き終わりたかっただけです。私は彼女のところへ行き、声をかけました。そして互いに楽しく喋りました。私が彼女に大法を紹介すると、「なんという偶然でしょう。この前ちょうど、ある友人が坐禅が私にいいと言ってくれました」と言いました。私は彼女に1枚のチラシと紙で作った蓮の花をあげました。彼女は非常に感激し、喜びながら帰りました。

 このような体験が数回あってから、私は外出する時、いつも法輪功のチラシを持参するようにしました。1週間後、私は汽車で実家に戻りました。乗り換える時、若い女性が地面に座っていましたが、非常に悲しそうに見えました。私は少し歩いた後、急に彼女に大法のチラシを渡したくなり、カバンから1枚のチラシを取り出し、戻って彼女に声をかけました。彼女は非常に喜んで「これこそ私が探していたものです。ありがとうございます」と言いました。

 これらの体験はよく修め、多くの衆生を救い済度するようにと私を励ましてくれました。大法と縁がある世の人々はみな法を得ることを待っています。私は周囲の一人一人に気をかけ、時間や場所に制限されず、彼らと話し合いをすることを学びました。

 最後に師父の一段落の法を以って、皆さんとお互いに励まし合いたいと思います。「先ほどお話したのは、誰が法を聞きに来るかということですが、もしこのような人が法を聞きに来ているのであれば、皆さん考えてみてください。大法弟子一人一人は、異なる厖大な天体を代表して来ているのではありませんか? もしそうであれば、大法弟子自身の修煉が良くできているか否かは、それらの厖大な天体にいる生命が済度され得るかどうかを、決めているのではありませんか? 皆さんに教えますが、それは間違いなくそうなのです」[3]、「その厖大な天体があなたの下にあるので、あたかもあなたの身体のようです。なぜならば、あなたはそれだけ厖大だからです。中には無数の衆生、数え切れないほどの宇宙穹体があります。皆さんの修煉は、それらの厖大な生命群が良いかどうか、残されるかどうかを決めています!」[3]

 慈悲なる師父に感謝致します! 同修のみなさんに感謝致します!

 注: 
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [3] 李洪志師父の経文:『北米での巡回説法』

 (2020年スイスドイツ語圏法輪大法修煉交流会発言稿)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/10/20/413974.html)
 
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