文/中国の大法弟子・凱旋
【明慧日本2020年11月28日】
慈悲なる師父 こんにちは!
同修の皆さん こんにちは!
私は1996年から法輪大法の修煉を始め今年82歳になりました。二十数年来、師に手伝い法を正す修煉の路を歩んできましたが、様々な関や試練に直面し、師父の慈悲なるご加護の下で、危険に晒されながらも無事に乗り越えることができました。法を正すことも、すでに最後の最後まで来ており、私の喜ばしい修煉の過程を書き出して、この得難い明慧中国法会の盛会で師父に報告させていただき、同修の皆さんと交流したいと思います。
一、全体に圓融する
師父はこのように説法されました。「ある面が十分ではないと気づいたら、それを改善すればよいのです。これこそ素晴らしいことで、神の望むことであり、修煉者として行うべきことでもあります」[1] 。私は協調人ではありませんが、師父がおっしゃられたように行ない、人を救う中で黙々と不足を補い圓融してきました。
1、資料作りの拠点を立ち上げる
2011年から2014年まで、当地区の同修は真相を伝えて人を救うために、大量の真相資料が必要となりました。当時は資料を作る拠点が少なく、資金も足りず、私と妻は資金の面でできる事を支援させていただきました。
2014年当時、当地の同修は『明慧週刊』を見られないことがよくありました。問題が起きれば技術担当の同修に頼まなければならず、問題の解決は非常に難しかったのです。私はパソコンを持って生まれ故郷に戻り、そこには資料作りの拠点が各地にありましたので、大喜びしました。当地の同修と交流して、2人の技術者である同修が資料拠点を立ち上げるのに、必要な技術を教えてくれることになりました。
私はパソコンを持ってきましたが、しかし購入して間もないため、ネットからのダウンロードの仕方が分かりませんでした。この時の私はすでに76歳になり、私に教える同修の難しさは想像の通りです。私に教える過程で、技術者の同修は忍耐強く、無私なる代償を払い、大法弟子は一体であることを充分に表しました。私は師父の説法の「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行いうる」[2]を心に命じました。師父は私の知恵を開いて下さり、コンピューターシステムの作成や、印刷、書き込みなどの資料作りの技術を覚えることができました。
これらの技術を習得した私は、直ぐ故郷を離れて地元に戻り、そして資料作りの拠点を立ち上げました。
かつての同修を探し出して修煉に戻すこともとても重要です。私の戸籍所在地の村に1人の同修がいましたが、修煉を放棄して1年以上になり、マージャン遊びを始めていました。
一昨年(2018年)、私は2、3回その同修を訪ねました。私は彼女に「法を正す時期はもうすぐ終わります。あなたは、どこへ行こうとしているのですか? 師父はあなたを地獄から拾い上げて下さって除名をしてくださいました。あなたは修煉しなければ、師父はあなたをどこに行かせばいいのでしょうか? 師父はあなたを、あなた自身よりも大切にしておられますが、今のあなたは師父を悲しませることになりませんか? 今、あなたは修煉に戻ったとしても、新しい学習者と見なされることでしょう」と話しました。
この話を聞いた彼女は後悔し、涙ながらに「私は師父に申し訳ない事をしました! あなたは私を新しい学習者と見なさないで、私は直ぐ追いつきます」と話して、その場で厳正なる声明を書き、私は明慧ネットでその発表を手伝いました。その時から、彼女は勇猛邁進して遅れた分を直ぐ取り戻し、三つのことをよく行なっています。彼女は古い学習者と同じよう面と向かって真相を伝えており、すでに数百人を三退させ、多くの同修を引っ張って真相を伝えに出かけています。
3、同修を手助けし『明慧週刊』を読む
『明慧週刊』には同修の修煉体得が書いてあり、それは修煉の知恵の結晶なのです。一部の同修は悟っていない法理が、『明慧週刊』を読むことで法理を悟り、多くの恩恵を受けることができます。このような『明慧週刊』を読まないでいいでしょうか? 私は時には一遍の文章を何回も繰り返して読むことがあります。
私の隣の県にあるいくつかの村の同修たちは『明慧週刊』を読んでいなかったことが分かり、これはとても大きな問題であると私は思いました。これらの同修たちが『明慧週刊』読むことを重視するように、損失を補うために、私は一昨年(2018年)、多くの時間を使って、『明慧週刊』の文章が明慧ラジオで放送された数年分をダウンロードして、「使命を果たせない悔しさ」、「漸悟状態の中で見た長期にわたる病業」、「ある神から見た大法弟子」、「病が人を迷わせる」、「修煉の中で見た『小さなこと』について語る」などを同修に聴かせ、『明慧週刊』の文章を40篇ほどダウンロードして、パソコンを持っている同修に読ませ、効果がとても良かったのです。今ではこれらの村の同修の多くは『明慧週刊」を読むようになりました。
2019年3月、私は十数枚の「TFカード(トランスフラッシュカード)」をもって故郷に帰り、7、8カ所の村の同修に分け与えました。この時、ある同修は脳血栓の虚像が現われ、病院で救急治療を受けていると聞きました。私はその同修に会いに行きました。彼女はベッドから降りることができず、多く学法するようにと勧め、同修たちがどのようにして心性の試練を乗り越えたかを聴いてもらうためにTFカードを渡しました。1週間後、私は再び病院を訪ねると、彼女はベッドから降りることができるようになっていました。彼女は「私はよく分かりました」と言いました。実は、彼女は夫に怨恨の心があったのです。「漸悟状態の中で見た長期にわたる病業」の交流文章の中に、筆者の同修も夫に対する怨恨の心があったそうです。この文章の内容が彼女の執着と重なり、自分の執着を見つけた彼女は良くなったのです。
4、同修を助けて心性の関を乗り越える
隣の県の村に住む同修のAさんは、心性の関を乗り越えられずに1年が過ぎました。同修たちは何回もAさんと交流しましたが、それでも心性の関を乗り越えることができませんでした。私は十数回訪ねて行き、Aさんと交流しました。私から見たAさんは主意識が弱く、外来の妨害が酷く、闘争心、人に指摘されたくない心、嫉妬心など、特に怨恨の心が長きにわたりAさんに付きまとい、断ち切ることができませんでした。この前、Aさんを訪ねた時、私は明慧ネットから「修めて異なる程度の『恨み』を取り除く」と「怨恨心を取り除き 慈悲と穏やかさが生まれる」という文章をダウンロードして渡しました。今回はさらに2編の文章を持ってAさんを訪ねました。家に着くと、大雨が降りだしました。この日、私は家から出た時、ある人から今日、大雨が降るよと聞いていました。この数日は雨ですが、私はすべきことをしなければなりません、とAさんに話しました。
Aさんは笑顔で、「おじさん、この前、持ってきてくれた文章は、内容が詳しくとても良かったです。数日前、私は呼吸ができなくなったとき、すぐ繰り返して『怨恨の心は私ではない、要りません。師父、取り除いてください、怨恨の心を滅する』と念じました。師父はよくないものを多く取り除いてくださったのを感じました。そして私は呼吸できるようになりました。もし、念じなければ想像を絶する結果になったことでしょう」と話してくれました。
「あなたはこの文章が明慧ネットに掲載されていると知っていましたが、私はいくら探しても見つからず、きっと、あなたに渡せるように師父が文章を見つけさせてくださったのですね」と言うと、Aさんは「私は知っています。師父が面倒を見て下さらなければ、私はもうこの世にいません」と言いました。Aさんは内に向けて探すことができるようになり、自分の不足を話し、夫はここがいけない、息子はあそこが駄目だと言わなくなりました。こんなに変わってきた彼女を見て私は安心しました。
半日ほどAさんと交流し、雨も止み、私は喜びに満ちて帰宅しました。帰り道はぬかるんでいて、とても歩きにくかったのですが、家に着くと、大雨がまた降り始め、深夜になっても止みませんでした。
5、積極的にパソコンの技術を同修に教える
2016年、当地区には隣の県を含めて、唯一コンピューターシステムを作れる技術者の同修が強制連行され、不当に懲役7年の実刑判決を受けました。その時から、当地区のシステムの作成や他の技術に関しては、ほとんど私に依頼が来ました。さもなければ、100キロ離れた大都市の同修に頼まなければなりません。
ある時、我が家から30キロ離れた場所の、県庁所在地の都市に住む同修がパソコンを持って訪ねて来て、システムを作ってほしいと言われました。この同修は50歳代で大学を卒業しています。「システムの作り方を教えましょう」と私が言うと、彼は「学んだことはあったのですが、いざ作ろうとしたら、できなくなりました」と言いました。「私は大学で勉強したことはないし、他人より賢いわけでもありませんが、あなたにその心があれば、覚えられると思いますよ」と私は勧めました。
この数年来、私は4、5台のパソコンを購入し、8、9台のコンピューターシステムを作り、同修たちから教わった技術を、他の同修ができるように教えました。今年の始め、隣の県に住む同修にシステムの作り方を教えました。コンピューターシステムの作り方を教えるのはとても難しく、その手順を書いて同修に渡しています。私はコピーの仕方が分かるので、質のいいCDとサムドライブを同修にあげました。
私はシステムの作り方やほかの技術を学ぶのに、ニ十数回同修の家に行き、資料作り拠点にも十数回行って、自分の手で実際に操作して学びました。このチャンスを逃せば、二度とできません。当地区の同修にパソコンの技術を教えた時、私は積極的に何回も同修の家に行って教えました。
師父は私達に偉大なる宇宙大法を伝えて下さり、世界中に無数の大法弟子を創り上げられました。修煉の道において、私は自信に満ち溢れています。80歳を過ぎた私ですが、厳冬酷暑に関わらず、私を必要とするところがあれば、どこでも行きました。中国の東北部の冬は非常に寒く、水滴を垂らせば、たちまち凍ってしまい、歩く道は滑りやすいのですが、私は電動三輪車に乗って若者のように、凍結した雪道を駆け回り、同修たちと一体となって、師に手伝い法を正しています。
二、真相を伝えて人を救う
師父は、「衆生を救い済度することを行なわなければ、大法弟子としての責任を全うできなかったことになり、あなたの修煉はゼロになります。なぜなら、あなた個人の圓満成就のために、あなたを大法弟子にしたのではなく、あなたは重大な使命を背負っているのです[3]と仰いました。
1、真相伝えは切迫し 修めて夫婦の情を取り除く
2013年秋のある日、私は同じ村の同修・甲さんと法輪功迫害の実態を伝える電話のかけ方を学びました。甲さんは音声電話をかけ、私は自分の口で迫害について説明し、人を救う効果がとても良かったのです。
2014年、妻は78歳で突然亡くなりました。50年以上にわたり私達2人は互いに寄り添ってきましたので、夫婦の情に付きまとわれていました。数日後、私は咳き込み始め、正念を発しても効き目がなく、咳がますます酷くなり、夜は横になることができませんでした。
この時、同修は携帯電話のプリペイドカードを2枚を持ってきてくれ、今月までに使い切らなければ、来月から使えなくなると言われました。このカードをもらったのはすでに月の半ばを過ぎており、私は何も考えずに快く受け取りました。そして私は携帯電話を持って県庁所在地に住む孫の家に行き、倉庫や車庫で電話をかけ続けました。急いで電話をかけましたので、10日ぐらいでカードの料金を使い切り、350人を三退させました。
携帯電話のプリペイドカードを受け取った後、どこで電話をかければいいのか、どのように真相を伝えればいいのか、どのようにして三退(中国共産党組織の党員、青年団員、少年先鋒隊)を勧めればいいのか、頭が一杯だったのです。すると知らない内に私の咳が止まったのです。恐らくカードを受け取った瞬間、人を救う強大な正念が直ちに病業の虚像を解体し、妻に対する情も跡形もなく消え去ったのです。
後に、当地区では音声電話で真相を伝える同修が多くなりました。技術を担当する同修は忙しく、私の村と近くのいくつかの村の音声電話のメンテナンスを、私が担当することになりました。同修たちは時間があれば音声電話をかけ、私はプリペイドカードの購入や、三退人数の確認、三退名簿の送信をしました。毎日が忙しく、時には深夜まで忙しくしていました。多忙になればなるほど私は嬉しく、大法弟子は一体なので、他人の事は私のことでもあるのです。
2、面と向かって真相を伝える
師父はこのように説かれました。「形勢は差し迫っています。これほど多くの生命が皆さんに救われ済度されることを待っています!」[4]
私は『明慧週刊』にある同修の文章を読みました。同修は「師父にお線香を立てた時、師父の写真は数日間涙を流されていました」と書いてありました。師に手伝い法を正す時期の大法弟子として、私達は何もしないで座っているわけにはいかず、行動して積極的に協調し、どこにいようと真相を伝えること、三退を勧めることを忘れてはなりません。実は、師父が人を救っておられ、師父がすでに敷いて下さったレールに沿って、私達は行動するだけでいいのです。
私は毎日、法輪功が迫害されていることを伝えに行きました。様々な職業の人に、街で物売りをしている人を含めて真相を伝えました。ある日、私は散髪屋さんで迫害の実態を伝えていたところ、1人の若者が突然、私を脅し、「私が電話をかければ、あなたは逮捕される」と言いました。理髪店の人は、「彼は派出所の所長にすでに真相を伝えたよ、どこに電話をかけるつもり?」と言ってくれましたので、その若者はぶつぶつと言いながら立ち去りました。そして私は真相を伝え続けました。
一昨年(2018年)私は故郷に帰る時、長距離バスに乗り、8人を三退させました。よりよく真相が伝えられるように、私は貴州省に行き、自分の目で「藏字石(訳注:中国貴州省で約2億7千万年前の石に『 中国共産党亡』の文字が浮き上がっている)」を見てきました。いくつかの有名な観光地も訪ねましたが、行く先々で真相を伝えました。帰り道、電車の中で12人を三退させました。往復の旅路で200人以上を中共組織から脱退させました。
私は用事で大都市に行く時も、人々に真相を伝えました。私はよく乗り合いタクシーに乗りますが、この日、タクシーに運転手を含めて5人が乗っていました。運転手は早い時期に三退したとのことで、他の3人に三退を勧めると、快く三退してくれました。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『二〇一三年大ニューヨーク地区法会での説法』
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[3] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』『二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」
[4] 李洪志師父の経文:『二〇一四年サンフランシスコ法会での説法』
(続く)