繰り返し迫害された重慶市の余業彝さんが死亡
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 【明慧日本2020年11月29日】(中国=明慧記者)重慶市沙坪堤区新華村の法輪功学習者・余業彝さん(75)は、かつて実刑判決を宣告されて労働教養を強いられ、2回拘禁、2回洗脳迫害、3回の家宅捜索を受けたほか、長期にわたり監視され、自宅の電話を盗聴されるなどの迫害を受け、2020年9月25日に死亡した。余さんは亡くなる前のしばらくの間、電話をかけることができず、受けることしかできなかった。

 余さんは体が弱いため、45歳で退職した。1998年9月に法輪功に出会い、李洪志先生の指導に従って「真・善・忍」の理念を遵守する中で、道徳心が向上し、身体も健康になった。法輪功を学んだおかげで余さんが元気になったことを、周りの誰もが知っている。

 しかし、間もなく江沢民が法輪功への迫害を発動した。余さんは北京へ法輪功の無実を訴えたため、2001年1月2日、北京の房山留置場まで連行され、髪の毛を掴んで壁にぶつけられ、髪がごっそりと抜けた。また、革靴を履いている警官に蹴られ、電気棒で電気ショックを加えられた。

 2001年4月20日、余さんは北京から地元の重慶に連れ戻され、沙坪堤区の白鶴嶺留置場に約1カ月間拘束された後、沙坪堤区の洗脳班にも約1カ月間拘束された。

 その時から、地域の住民委員会、派出所、コミュニティの関係者らは、余さんに対して嫌がらせを働き、監視するようになった。

 2002年4月、重慶でアジア太平洋サミットが開催された期間中、余さんは連行され、重慶小中学生実習基地で10日間以上拘束され、2002年10月、中国共産党第16回大会が開催された際に、歌楽山老子洞で魏清雲さん(迫害死)と一緒に10日間以上拘束された。

 2008年8月9日、余さんは迫害の事態を人々に伝えたため、沙坪堤派出所の警官らに連行され、法輪功創始者の写真『轉法輪』法輪功の資料などを持ち去られた。その後、余さんは白鶴嶺留置場で11日間不当に拘束された後、重慶市女子労働教養収容所に拘禁された。そこで、迫害を受けた余さんは、身体に大きな損傷を負って、唾液が出なくなり、歯が咬合できなくなった。それ以来、煉功することさえ困難になった。

 2012年8月19日、余さんは重慶大学A区で法輪功の掲示物を貼り付けたため連行され、1日拘束されて、家宅捜索を受けた。

 2014年6月22日、余さんは渝中区観音岩のある女性店員に神韻DVDをあげた後、七星岡派出所の警官らに連行され、長時間刃のついた手錠をかけられ、派出所で10時間以上苦しめられ、体がアザだらけになり、腰を捻った。

 六店子留置場に拘束された余さんは動けないにもかかわらず、同年7月7日、さらに重慶洗脳班に連行され、法輪功を誹謗中傷するビデオを見せられた。余さんの体は限界に達し、耐えられなくなって、全身に痙攣を起こし、血圧が200 mmHg以上に上昇した。

 その時、洗脳班の責任者は余さんの様子を見て、臨終に近いと思い、法輪功の書籍と法輪功創始者の写真を余さんの側に置いて写真を撮り、法輪功を学んだせいで死んだという虚偽のニュースを作成しようとした。

 同年8月19日、余さんは解放され帰宅したが、間もなく連行された。2015年6月23日、余さんは渝中区裁判所に懲役3年の実刑判決を言い渡され、重慶第一留置場に拘禁された。同日、また第二留置場に移送された。

 余さんが拘禁されていた期間中、余さんの夫(85)は各関連部門の関係者に手紙を書き、海外の息子も手紙を書いたり、電話をかけたりした。その結果、2015年11月5日、重慶第五高等裁判所は、懲役3年の刑期を6カ月(2015年6月23日から2015年12月4日まで)に変更した。

 2016年1月8日、余さんは迫害の首謀者・江沢民を告訴する告訴状を最高検察庁に提出した。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/11/25/415555.html)
 
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