文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年11月30日】私は23年も修煉している女性弟子です。生々世々での積み重ねの過程において、物語や文学を嗜むようになり、修煉する前このような執着が特に目立ちました。小説や、ドラマを観なければ、耐えられませんでした。修煉を始めたばかりの時、徐々に自らこの執着を放下しようと、家族が見ている時だけ見ることにしました。その後、また携帯電話やテレビに執着し出し、ぶり返しがきました。
今年の武漢肺炎の影響で、家に閉じこもり、私は携帯電話やテレビに執着し始めました、真の自分を置き去りにして、身体と思想が魔に迫害され、辛くて抜け出せませんでした。私は大法弟子の修煉と衆生を救い済度するために師父が大きな犠牲を払われ、挽回してくださった貴重な時間を無駄に使い、内心に深い罪悪を感じました。
特に2カ月前に、肩と腕が痛くてもテレビや携帯電話を見続けていました。朝、煉功して、発正念の時に自分のその執着を取り除く決心をしたにも関わらず、ご飯を食べ始めるとまた見たくなりました。少しだけ見るつもりでしたが、結局携帯を手にしたら離せなくなり、見続けてしまいます。その「見たい」という一念が自分の意念ではないと知っていますが、正念が弱く、正念が自分のものではなく、携帯を見たいその一念が真の自分が発したものだと感じてしまうのです。見なければ死にそうで耐えられませんでした。自分は完全に魔に制御されました。この乱世に生まれ、修煉することが如何に困難か思い知らされたのに、最後のこの時期に至り、私はまだ魔窟から抜け出せません。どうすれば良いのでしょうか? 圓満成就できる望みはないのでしょうか? 「困った時は師父にお願いを」という同修のアドバイスを思い出しました。
万止むを得ずの時しか師父に助けを求めないと私は思っていました。師父が常に私達の事を見守ってくださっているからです。しかし、絶望の中で、私は師父にお願いをしました。ある日の朝、私は師父の写真の前に跪いて「師父、弟子は本当に意気地なしで、三つのことを実行できませんでした、ここ数年、ずっと携帯電話や、テレビに邪魔され、取り除くことが出来ませんでした。修煉においても、衆生を救い済度することにおいても、出来ていません。師父と共に家に帰れない気がしました。しかし、私は本当に良くしたいと思っています。無条件に大法に同化して、三つのことに精進してしっかり行ないたいと思っています。携帯電話や、テレビの背後にいる魔を取り除いてくださいますか? 今後、私は必ず精進し、自分を良く修めて、より多くの衆生を救い、二度とこれらの邪悪な魔物に触れないように努力します、師父、お願いいたします。ありがとうございます」と助けを求めました。
その後、自分の空間場にこれらの魔物がいなくなり、テレビや携帯電話に興味が湧かなくなったことに気付きました。本当にうれしい出来事でした。願いを込めて、師父に助けを求めることがどれほど重要かようやく分かりました。以前、自分に困ったことがあれば、必ず師父の助けを求めると、直ぐに効果が顕れると何度も同修から聞かされましたが、私は自分の意見を固持して、師父に助けを求めませんでした。実は師父を信じ法を信じることが足りませんでした、潜在意識で師父に助けを求めることに対して自信がたりませんでした。
今、私は「修は己にありて、功は師にあり」[1]の深い内包についてより明確な認識が出来ました。現在、既に2カ月経ちました、私はもう魔の物に興味を失い、携帯電話とテレビに左右されることがなくなりました。今後、私は必ず師父が身体を浄化して下さったご苦労を大切にし、二度と魔物に触れないように努力したいと思います。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』