明慧法会|後一難足らず 正念を持って前進
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文/中国の若い大法弟子

 【明慧日本2020年12月6日】私は「80後」(1980年代生まれの世代を指す言葉で、一人っ子政策施行後に生まれ、その多くが一人っ子である)世代です。高校のときに、交通事故に遭いました。しかし、その禍(わざわい)が福に転じ、私は法輪大法の道に入りました。事故で負傷した体が迅速に回復しただけでなく、もともと病弱な体がますます強くなり健康を得たことで、しかも、一番重要なのは、生命の本当の意味が返本帰真だということを知ることができたのです。

 しかし、大法を得て、あまり時間が経たないうち、中国共産党(以下、中共)が法輪大法に対する迫害を発動しました。迫害を恐れた私は、徐々に大法から離れてしまい、この浮世で自分を見失いそうになったのです。しかし、師父はこの意気地のない私を見放されず、ずっと見守って啓発し、同修を按排して私を修煉の道に連れ戻してくださいました。

 一、法輪大法を誹謗中傷する掲示板を取り去る過程で恐怖心を取り除く

 ある日、私はグループ学法に参加するため同修の家に行きました。同修の家族が、散歩したときに近くの宣伝掲示板に法輪大法を誹謗中傷する言葉が書かれていると私に話しました。それを聞いて、学法を終えて、私は彼女が言ったところへ行って、その掲示板を見つけました。

 しかし、その掲示版は横2メートル、縦1.5メートルほどの大きいもので、しかも、ガラス張りの展示棚の中にあり、鍵もかかっていました。棚の周りは丈夫で頑丈なステンレス製の取付板で支えられていました。展示棚は大通りに面しており、その先に大きな広場があり、毎日、運動や散歩をする人が絶えません。少し離れていたところに監視カメラが展示棚に向けて設置してありました。その環境をみて、私はそれを取り除く自信を無くし、「他の同修にやってもらえばいい。私にはできない」と困難を恐れました。

 しかし、数日後、朝の運動から帰ってきた父が、突然私に向かって、「お前、外の掲示板を見たか? もう法輪功を止めなさい」と怒鳴り声を上げました。わけを聞いてみると、父があの掲示板を見たのです。父がいつも通る朝の運動ルートなら、その展示棚を見なかったのですが、今日はなぜ、道を変えたのかと不思議に思いました。

 修煉の道で偶然なことはありません。私は「これは師父が父の口を借りて私に悟らせてくださったのであり、この毒素を撒き散らす掲示板が人々に毒害を与えている。法を正す時期の大法弟子として、このことを許すのか? 大法弟子として無責任ではないか? このことを私が知ったことは、それを取り除くことだ。自分が恐れているからといって、他の同修に危険を押し付けるのか」と考えました。

 「悟ったら早く実行るべきだ。今からでも遅くない。掲示板を1日でも長く置いておけば、多くの衆生が壊滅される」と思って、当日の夜、私はいろいろな工具を持って、出かけました。自転車に乗っているとき、上下の歯や手足が震えるのを感じながら、向かって行きました。恐怖心を取り除くため、私は師父の詩「あなたに恐れ有らば 它は直に抓む 念を正にすれば 悪は直に崩れる 修煉の人法を持っており 正念を発すれば 爛鬼き炸く 神が世に在りて法を実証す」[1]を繰り返し暗唱すると、ドキドキしていた心臓が徐々に落ち着き、恐怖という物質の大部分を師父が取り除いてくださったと感じました。

 法を暗唱しながら、前へ進みましたが、突然、逆方向から暴走した電動自転車がコントロールを失ったように私に向かって飛んできて、「ぶつかる!」と思った瞬間に、私は大声を出し、目をつぶりました。大きな音がして、目を開けてみると、近くで電動自転車と乗っている人が倒れていて、私は大丈夫でした。

 これはどんなことかとすぐに悟れなかった私は、驚きから平静を取り戻せず、恐怖心がまた起こりました。「もしかして、今日は行かないほうがいいかな? 家に帰って学法し、心が落ち着いてから行けばよい。でもだめだ。もうだいぶ先延ばしにしてきたから、これ以上先延ばしにするわけにはいかない。 何があっても今日は前に進むしかない、後戻りはできない」と決心しました。そして、自転車に乗ってひたすら前に走り続けていると、手も足も震えなくなり、師父が恐れる物質をまた少し取り除いてくださいました。後になって、「邪悪は交通事故の形で私を止めようとしたが、師父が魔難を除去してくださった」と悟りました。

 掲示板のところに着き、監視カメラと人を避けるため、私はその展示棚の裏に回りました。掲示板は三つあって、邪悪な掲示板が真ん中のものだと確認しました。展示棚の真ん中のところの下を手で触ってみると、掛け金があったのですが、鍵をかけていませんでした。そして、掛け金を外し、片手で前方に押すと、ガラス棚が開きました。片手を中に入れ、掲示板の下の端をつかんで下へ引っ張ると、掲示板がガラス棚から出てきました。まさに神の助けのように順調でした。

 掲示板があまりにも大きくて目を引くので、急いで掲示板を引きずって脇の緑地帯に入りました。掲示板は発泡スチロールで作られ、上に字を印刷したビニールシートを貼り付けてありました。私は発泡スチロールからビニールシートを引き離して折りたたみ、カバンの中に詰め込みました。発泡スチロールをそのまま置きっぱなしにすると、明け方に誰かが見つけたらまずいことになると考え、幸いなことに、発泡スチロールはあまり厚くなかったので、力を入れて曲げました。音が大きかっただけで、割れてしまいました。本当に師父が見守ってくださったのです。ここはいつも交通量が多いのですが、その日、人が少なくて、大きな音を出したにもかかわらず、通行人はだれも気づかなかったようです。発泡スチロールがいくつかに割れた後、あらかじめ用意しておいた大きな旅行袋に詰め込みました。 

 家に帰ろうと思い、「私がこんな大きい袋や、小さい袋を持って帰って、父に見られて聞かれたらどう答えればいいのか?」と、困りました。それを考えながら、家に帰り、思い切って家のドアを開けました。なんと、父はいびきをかいて寝ていました。いつもなら、父はこの時間には寝ないのです。「師父、本当にありがとうございます」と心から言いました。そして、カバンを片手にしてすぐに自分の部屋に入り、ドアを閉めて、息を切らしながら座り込みました。先のことを思い返してみると、スリラー映画よりすごいことだと感じました! 

 心が落ち着いた私は、カバンからビニールシートを取り出し、徹底的に破ろうとしましたが、それを広げてみたら、この掲示板はあの日に見た邪悪なものの掲示板ではなかったと気づき、呆然としました。「どうして? 」とよく思い返してみると、「ガラス棚の中には数枚の掲示板が入っていて、以前の古い掲示板も入っており、慌てて取り外したので、取り間違えてしまったのではないか」と、ふと思いました。 はぁー! さっきまで私は凱旋将軍のようでしたが、今は空気がすっかり抜けたボールのようになり、がっかりし、自分を責めました。

 「どうしよう? もう1回行かなければならないのか?」と思いながら、突然、『西遊記』の唐僧と徒の3人が、西方へ取経を目指す物語を思い出しました。唐僧たちは幾多の苦難を乗り越え、経典を手に入れ、喜びに満ち溢れましたが、経典を持って帰るとき、突風で経典を吹き飛ばされ、経典を見てみると、なんと経典はすべて白い紙だったとわかりました。そして、唐僧の4人はまた、戻って、字がある経典と交換して、帰ることにしましたが、途中で誤って亀を怒らせたため、川に投げ飛ばされました。他の空間からみると、九☓九=八十一難があるから、まだ一難足りず、4人はまだ続けて修煉しなければならないということでした。

 師父は「この人は根基が良いために、ある次元に到達すると、このような状態が現われました。しかしこれは、どうして修煉者が最終的に圓満成就する時の基準と言えるのでしょうか?  もっと高い次元に向けて修煉するには、まだまだ先が遠いのです!  引き続き自分を高めなければなりません。このような状態に到達したのは、みな自分自身の根基のおかげでしたが、それ以上向上しようとすれば、基準もさらに上げなければなりません」[2]と説かれました。

 ですから、「今回、掲示板を取り間違えたことで、私の心性がまだ基準に達していないから、師父はこれを機にもう一度私に試練を与え、心性をもっと向上させるためだ」と悟りました。そう思うと、心の中のもどかしさや不安は一掃され、すぐにもう1回行く準備に取り掛かりました。前回の経験を活かして、今回はより徹底した段取りと準備をしました。

 その日は大雨でした。私は「これは天に与えられるチャンスだ。今夜だ」と考えました。大雨のため、広場には誰一人もいませんでした。前回と同じ手順で、順調に掲示板を取り外し、間違いないことを確認して、折りたたんで旅行カバンに詰め込みました。そして、私はさっそく旅行カバンを持って、付近に住む同修の車庫に行きました(事前に同修の同意を得た)。そこで、ハサミで取り外しビニールシートを切りました。大法を誹謗中傷する部分をカットしたとき、ビニールシートが異様に軋む音が出ました。私は、その背後にある邪悪の要素をすべて滅するようにと発正念をしました。

 私は、全身が雨でびしょ濡れになりましたが、冷たいと感じず、全身が暖かくて暖炉のそばにいるようでした。今回の行動は前回のような緊張やパニック状態を起こさず、穏やかな心で行いました。

 二、全体の協調で面子の心を修める

 数年前、私の住む地方の協調人が中共当局により連行されました。それから、地元の学習者は全体がまとまらず、ばらばらになってしまいました。資料拠点の資料が山ほど溜まっているのに、資料拠点が知られていないため、衆生を救う資料を配ることができず、多くの同修も『明慧週刊』を見られなくなりました。

 当時、私は技術を担当していて、協調人以外、私しか資料拠点の場所を知りませんでした。そこで、私が全体の協調の重任を担うようになりました。協調人になってから、協調の難しさを味わいました。大変なことは言うまでもありませんが、いつも当たり散らされることがありました。

 私は常人の仕事があり、資料拠点の技術を担当しており、それですら十分に忙しいのに、それに、些細な複雑なことを協調しなければなりません。いつも頭が回らないぐらい忙しく、食事をする時間さえないので、いつも肉まんを買って歩きながら食べました。時々、資料を送る時間が約束した時間より遅くなると、同修に不快感を示され、「あなたの遅刻で時間を無駄にした」と責められることがありました。時には、同修の欲しいものを持って行くのを忘れると、機嫌が悪くなり、「私のやることを遅らせた」と怒られました。そんな時、私はすぐに謝罪し、時間を見つけてもう1回送ることにしました。

 ある日、私は学法グループに参加するため、A同修の家に行きました。前回の学法で、休日を調整した私は、次回のグループ学法の時間を変更して、みんなに伝えました。しかし、その日、A同修の家に入ると、A同修が多くの同修の前で私に向かって、「みんなに変更することを知らせたのに、何で私に通知しないの? 私だけが知らないのよ」と、いきなり怒りました。「え! 全員に話したはずよ。何で怒るの」と私はさっぱり事情を掴めなかったのです。

 激高して、顔も赤くなっているA同修の様子を見て、私も怒り出し、「あなたにちゃんと言ったじゃないの!」と大声で言い争ってしまいました。争う中で、B同修が急いで私のそばに来て、耳元で師父の説法の一言を囁いたのです。「正しきは彼 過ちは私 何を争ふものか」[3]。それで私はすぐ目が覚め、A同修に「すみません」と言いました。謝った途端、A同修もすぐにそれ以上何も言わなくなり、言い争いは収まりました。そして、学法した後、A同修は私に「確かにその話を聞いた。私が忘れていた。本当にごめんなさい」と謝ってくれました。私は何も言いませんでしたが、「心性を向上させてくれて、ありがとう」と心で言いました。

 子供の頃から、私の学業成績は優秀で、先生に褒められ、同級生の憧れと、賞賛の中で育ちました。これによって、私は賞賛の言葉を聞きたがり、面子の心、虚栄心が非常に強かったのです。しかし、協調の仕事をしてから、同修から文句を言われたり、非難されたり、排斥されたりすることが多くて、私は落ち込んだり、迷ったり、悲しくなったりして、何度も協調人を辞めようと思いました。

 しかし、学法を通じて、私は徐々に修煉者の基準で問題に対処することができ、苦を嘗めることは良い事で、修煉者が向上する段階だと思うようになりました。特に師父の『オーストラリア学習者への説法』のビデオで、ある弟子が師父に、他の同修からスパイ扱いされていることについて質問し、師父が長い説法をされたところを見て、心と視界が広がりました。それから、同修の態度に気を取られることが少なくなりました。同修から言われることに動じないように努力し、間違ったことであればやり直し、間違いでなければ注意を払い、自分が正しいか間違っているかに関係なく、心性の向上が一番大切だと明確に認識できました。

 三、難関の中の同修を助ける過程で私心を取り除く

 私の地方に辺鄙なところに住んでいるC同修がいます。彼女はいつも都市にきて、学法グループに参加し、学法していました。しかし、暫くの間、彼女の顔が見えなくなりました。後になって、彼女が病業の関があって、非常に深刻な状態だと知りました。肺がんが骨に転移し、しかもがん細胞がすでに全身に転移しているので、子供たちに病院に送られましたが、医者も救いようがなく、治療を行わず、帰宅を勧めました。そこで、家族は彼女のために葬儀の準備をし、墓地を買いました。

 私は10月の連休を利用して、Cさんの家に見舞いに行きました。行くと痩せこけて、息絶え絶えでベッドで横になっているCさんがいました。同修の娘がご飯を与えましたが、Cさんは少ししか食べませんでした。私はそばに行き、耳元で「九文字の真言を覚えているの」と聞くと、うなずき、「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい」(中国語は九文字)と小さい声で言いました。「心から暗唱すれば、師父があなたを見守ってくださるよ」と私は同修に言いました。Cさんは「私がこんなになっていても、師父は私のことを見守って下さるのかな」とため息をつきながら言いました。「もちろんよ。師父は私たちを済度しに来られています。あなたが師父を信じ、大法を信じるなら、師父はきっと見守って下さいます」と私は言いました。「心でこの九文字の真言を唱えてください。明日、また来るから、一緒に学法しましょう」と話すと、目が一瞬キラッと光り、うなずきました。

 Cさんの家は本当に遠くて辺鄙で、1時間あまりバスに乗って降りてから、ほかの私営バスに乗らないといけません。その私営バスの費用が高いのです。しかし、私は「常人さえ救うのに、まして同修のことは、なおさら助けてあげないといけない」と思いました。

 翌日、Cさんの家に行きました。彼女は昨日より元気になりました。私は「先に発正念をしよう」と言いました。そしてCさんは、娘に布団と枕を持ってきてもらい、背中にもたらせて、半分座る姿勢で発正念をしました。発正念のとき、私は師父にCさんを救うことをお願いしました。発正念をした後、Cさんは自分で座ることができました。それから、私たちは『轉法輪』を読み始め、Cさんが『論語』を読んで、それから力がなくなりました。そこで、私が読み聞かせました。20ページくらい読んだところで、娘が入ってきて、お母さんが長く座っていることが気になるので休ませてほしいと言ったので、学法は止めました。

 3日目、Cさんの顔色が良くなり、食べ物を多く食べられ、体中の痛みも緩和しました。以前、ペチジン(鎮痛薬)を毎日2本注射しなければならなかったのですが、1本に減りました。その日の学法でCさんは『轉法輪』の第一講を読み終えました。

 4日目、Cさんがベッドから降りられるようになり、私たちは第二講まで読みました。

 5日目、私は用事があったので他の同修に頼み、代わりに行ってくれました。同修が帰ってきて「Cさんの状態は良くなったよ。病状がなくなったみたい」と私に話しました。

 僅か数日で、師父のご加持の下、Cさんは大きく変化しました。Cさんを助ける過程で、私の心性も向しました。Cさんが変化していく中、私は「師父と大法を信じ切って、他人のために無私で行えば、大法の威力を得ることができる」と感じ取ったのです。

 修煉の道のりで、師父はどんなに細かいこと、到るところまでも、見守ってくださっていることを実感しています。弟子として、最も敬虔な心を持ち、三つのことをしっかりと行うことで、師父の慈悲深い救いの佛恩に報いることができると思っています。

 師父に感謝いたします!

 同修に感謝いたします!

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「恐れ無し」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [3] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「誰が是 誰が非」

 (明慧ネット第17回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/11/26/415011.html)
 
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