明慧法会|恐れる心を取り除き慈悲が現れ同修と共に難関を乗り越える
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文/東北地方の大法弟子

 【明慧日本2020年12月14日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 全世界の大法弟子の皆さん、こんにちは!

 2016年の春、私は2年間の冤罪による迫害を終え、刑務所から家に戻り、まさに省公安庁のいわゆる「特捜班」が地元で大法弟子を迫害している最中でした。ある同修は不当に連行され、家宅捜索を受け、嫌がらせをされ、またある同修は住居を追われました。しばらくは何もしないことにしようかと思い、系統的に多く法を学び、自分をしっかりと調整していた時、同修が私に相談し、地域の協調の仕事を担当してほしいということでした。当時(訳注:2016年)、本当にプレッシャーが大きいと感じました。

 数日間学法した後、私は「自我を放下すべきで、師が法を正すことを手伝う必要性を第一に置くべきだ」とわかりました。その日から始め、私は師父のお導きの下、今日(訳注:2020年11月)まで歩みました。この法会にあたり、私のこの数年の経験の記憶に深く刻まれたいくつかの出来事を書き、師父にご報告し、同修と交流します。

 一、協力して同修を救う中で恐れる心を取り除く

 私が刑務所から帰ってから十数日目の時、かつて救出に参加したことのある同修のAさんが連行され迫害されました。当時(訳注:2016年)同修たちの全体の修煉環境は破壊され、正念があり進んで出てきて救出に参加した同修は何人もいませんでした。Aさんの妹も修煉しており、Aさんの妹は私に会いAさんの家族に真相を伝えに行き、家族に弁護士を頼んでもらいました。

 私の恐れる心がすぐに持ち上がってきて、なぜなら2年前私は弁護士に協力した時に連行され、その影が残っていたからでした。「私は刑務所から戻ってきたばかりで、どうしてまた私に参加させるのか?」と思いました。しかし「私が迫害された2年間、同修たちはずっと私のために4人の弁護士を頼んでくれた」ことを考えてみました。弁護士に頼んで迫害を暴露し、救出したのはもちろんのこと、難の中にいる同修を助けて正念を起こし、みな正の作用を起こし、この方面で、私は深い理解を持っていました!

 しかし恐れる心を突破する一歩を踏み出すことは、本当に難しいことでした。しかし私は「どうなろうと私はAさんの夫に会いに行かなければならない」と思いました。当時(訳注:2016年)Aさんの夫は弁護士を頼むことに対して正しい考えを持っておらず、弁護士を頼んで無駄にお金を使うことを心配し、さらに実刑判決に遭ってしまうことを心配しました。私はAさんの夫の心配に寄り添って伝え、自分の個人的な経験に基づいて「弁護士を頼むことは刑務所にいる同修が迫害されることを軽減し、環境の改善だけではなく、さらに難の中にいる同修に対する励ましと手助けであり、どちらも正の作用があります」と伝えました。特に弁護士は記録文書を通じて司法関係者に接触し、理解できたことは誰が迫害に参加したのか、あるいはAさんを迫害したやり方であり、弁護士はさらに迫害に参加した司法関係者を標的にして告発することもでき、司法関係者はAさんに対してでたらめなことをしようとしませんでした。一緒に行った同修も私が大法の真相を伝えることに協力してくれました。Aさんの夫は理解し、当時(訳注:2016年)弁護士に頼んで同修を救出することに同意しました。

 それから、私は救出に協力した同修に「私はここまで協力することができ、後のことは、私にはできません」と言いました。

 弁護士が来た後、同修は全体として協力することができませんでした。ある時、一人の同修だけが自分で弁護士を迎えに行きました。この弁護士はまだ真相をよくわかっておらず、同修は再び弁護士に真相を伝えるように私に頼みました。しかし私の当時(訳注:2016年)の状態は良くなく、反応はいつも鈍く、どうやって伝えればよかったのでしょうか? 私は同修に尋ねました。同修は「刑務所の中であなたの心を動かすことのできたことを伝えてください」と言いました。そこで、弁護士に会った後、私は自分が中共によって刑務所に拘禁され、人権擁護弁護士がどれだけ私を励ましたか、どのように法律の角度から私のために無罪の弁護を行ったのか、巨大な圧力の下で、中共の圧力を恐れず、条件の厳しさを恐れず、私の権利を守るために裁判官と懸命に戦い、人々の讃嘆と弁護士界の畏敬を獲得し、また私の地方の大法弟子の尊重も獲得した、と伝えました。

 戻った後、同修は私を励まし、私がとてもうまく伝えたと言い、弁護士と協力して局面を打開しました。当時(訳注:2016年)同修は私に寛容で、私が行けるところなら行き、できない時は、私に強制しませんでした。そこで私は少しずつ関わっていき、一審、二審から、また最終的に行政機関のある街の刑務所に訴えました。その過程で、私は多くの恐れる心を取り除きました。

 ある出来事はとても忘れがたく、なぜなら裁判所と刑務所のどちらも行動しなかったため、弁護士が訴状を書き、知事を訴えたからでした。裁判所は弁護士の訴状を受け取ろうとせず、上級部門に指示を仰ぎました。しかし迫害されたAさんは江沢民と省の責任者を告訴して連行されたのでした。今回は知事を告訴し、私たちは迫害されないのでしょうか? 続けるべきでしょうか? その日の朝、同修たちは行政機関のある街でこの件に対して厳粛な交流を一度行いました。私は当時(訳注:2016年)自分が何を言ったのか思い出せず、ただその時のことは覚えており、私は自分の名利を放下しました。

 この出来事の後から、私は迫害の陰から本当に抜け出し、参加したすべての同修はみな向上し、さらに私たちは獄中の同修を救出し、救出にも実質的な進展がありました。師父のご加持の下、省の高裁判事もAさんの事例を通して真相を理解し、ある裁判官は非常に正しく行動しました。特にこの刑務所の中で、弁護士が同修に会うことについて今までの実績ゼロを打破することを実現し、この刑務所の警官は弁護士が大法弟子のために無罪の弁護を行っていることを知り、中の悪人も震え上がりました。

 Aさんは刑務所から戻ってから、弁護士がAさんに会った後Aさんは正念を発して外の同修がAさんを救っていることを知り励まされた、と言いました。その時から、刑務所の警官と受刑者は二度とAさんを迫害しようとしなくなり、中の多くの同修の環境もみなよい方向に変わりました。

 ある時、同修が私に「ああ、あなたは今もう大丈夫! どこにでも行けて、大きなマスク(その時はまだ中共ウイルスの伝染病があった)もつける必要がありません」と言いました。この時、私も自分がそんなに恐れていないことに気づきました。

 私は「これは心を清めて学法することに基づいており、さらに何度も自我を放下し、衆生と他の人のためを考え、その環境と向き合う中で、師父は私の恐れの物質を少しずつ取り除いてくださったのだ」ということを体験しました。

 二、同修に付き添い関と難を克服し共に旧勢力の迫害を打破する

 同修が私に対して「同修のCさんは病業にひどく迫害され、眠ろうとせず、寝ると死ぬのではないかと恐れ、すでに2カ月間寝ていません。彼女を助けに行ってもらえませんか!」と言いました。

 Cさんに会うと、私は驚きました。Cさんにかつての風采はなく、憔悴そのもので、全体が痩せ、背中も曲がり、髪の毛も半分落ちていました。2カ月前、警官に警察署に連行された時、Cさんは血圧が高く、地面に倒れ、動けなくなりました。警察はCさんを病院に送ると、診断は脳梗塞で、警察は責任を恐れ、保釈の方式でCさんを解放しました。

 警察に協力して保釈の表にサインし、帰った後、Cさんはずっと自分がしっかり行わなかったと自責の念に駆られ、自分を閉じてしまいました。Cさんはすでに2カ月間寝ておらず、意識がもうろうとしていました。私に会うと、Cさんは一連の三つの要求をしました。一つはCさんの家に行ってCさんの夫に真相を伝えることでした。Cさんの夫はCさんが迫害された時、警官が証拠を見つけるのを恐れて、大法書籍を破棄しました。Cさんの夫は過ちを認めず、声明も書きませんでした。二つ目はCさんに付き添って学法することです。三つめは夜にCさんの家に行ってCさんに付き添って一緒にいることで、Cさんの夜の状態はひどく、死を恐れていました。私はずっと独身で、他の人の家に住む習慣がありませんでしたが、この難の中にいる同修に相対し、特にCさんは難の中でまだ夫を救いたいと思っており、私はCさんの要求に応えました。

 Cさんの夫に会った後、私は彼を理解する角度から彼に真相を伝えました。私は「旦那さん、あなたが心から大法書籍を破棄したいと思っていなかったことを私は理解しており、あなたは警官が大法書籍を持って行き、それからこのいわゆる『証拠』で奥さんが迫害されることを恐れ、あなたは奥さんを守りたいと思っている」と言いました。私がこのように言うのを聞いて、Cさんの夫はまっすぐにうなずきました。それから、私は彼に、私のそばで起こった、大法弟子の迫害に加担し大法書籍を破棄した後に報いを受けた実例を伝えました。彼は心から自分の誤りを認識し、さらに声明を書いて自分の過失を補うよう希望し、すべて認めました。

 Cさんの夫の体の状況もよくないことを私は見て取りました。両手が少し震えており、私は「声明を書くのをお手伝いしますので、自分で名前を署名するだけでよく、大法の師父はあなたのその心を見ていらっしゃいます」と言いました。そこで、彼は声明に自分の名前を署名しました。

 彼の変化はCさんの精神にとって心強い限りでした。しかし、難の中にいる同修にとって最大の助けはどのように法を学べるかということでした。なので、最初の晩にCさんの家に泊まった時、私はCさんと相談し、「私たちは法を暗唱し、あなたが最もよく知っている『洪吟』を暗唱しましょう。私が暗唱し、あなたは私と一緒に暗唱します。思い出せない時は、私が暗唱するのを聞いてください」と言いました。そこでCさんはベッドに横になり、私は坐禅を組んで床に座り、一首また一首と暗唱しました。はじめCさんは私と一緒に暗唱し、そうかと思っていたら、何も聞こえなくなり、何とCさんは眠っていました。20分以上が過ぎ、Cさんは目を覚まし「私は2カ月間ずっと寝ておらず、やっとぐっすりと寝ました!」と言いました。

 私は初日にCさんの家に行き、「私は毎晩あなたに付き添って学法し、あなたの家に住み、翌朝6時に正念を発し終えたら、私は家に帰ります。私はあなたの家で食事はせず、あなたの体はこの状態で、私もあなたに迷惑をかけたくありません。それに私たちは同修で、純粋に、ただしっかりと協力することが必要です」と言いました。毎朝私は家に帰り、最初のときは急いで煉功することで、一日も休まず、なぜなら私は良い状態を保たなければならず、それではじめてさらにしっかりと同修に付き添って難関を克服することができたからでした。

 Cさんの家は200平方メートル以上あり、私はCさんとトイレの付いた主寝室に泊まり、このようにすると、私が世話をするのに比較的便利なのでした。ある夜、Cさんの夫がCさんを見に来て、私が床に座りCさんが法を暗唱しているのを見て、彼は感動しました。

 Cさんの弟と、弟の嫁はCさんを気にかけており、ある時Cさんを見に来て、Cさんの状態が悪いのを見て、Cさんを説得して病院に行きました。ある日、Cさんの弟と弟の嫁がまたやって来て、私はCさんに「私は部屋であなたのために正念を発し、あなたを加持します。あなたは元気を奮い起し、出て行って彼らを迎え、あなたが好転した様子を彼らに見せ、再びあなたに病院に行くように催促させてはなりません。私たちは他の空間の邪悪要素に家族を妨害させるわけにはいきません」と言いました。Cさんは弟と嫁を迎えに出て行き、彼らは姉の状態がとてもよくなったのを見て、安心しました。

 Cさんが正念を発すると大きな妨害を受け、正念を発すると苦しみました。ある日、私はCさんに2時間連続で正念を発しました。最初Cさんはかなり苦しみ、終わった後、Cさんは喜んで「私は発正念を突破し、落ち着くことができました」と言いました。

 ある晩、私とCさんが外から帰って来て、エレベーターの中でCさんは立っていられませんでした。家に着いた後、Cさんの顔色は黄色く、ベッドに横たわり、まるで泥の水たまりのようで、危篤状態のようでした。Cさんの夫はとても驚き、Cさんの弟と娘を呼ばなければならず、一緒に120(訳注:救急車を呼ぶ番号)をかけ、Cさんを病院に連れて行かなければならない、と言いました。私はCさんに「早く師父にお願いして、心の中で『法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい』と念じてください。私は出て行ってあなたの旦那さんと話してきます」と言いました。

 私は出て行ってCさんの夫に「まずはあわてないでください、今はもう夜の9時過ぎで、本当の専門医はみな帰ってしまい、今はもう宿直の医者だけです。それに病院に行っても、何の検査もできません。これでうまくいきますか? 私たちに一晩の時間をください、私たち2人は正念を発し、法を学びます。もし明日の朝あなたが心配だと思ったら、その時に病院に行っても遅くはなく、どう思いますか?」と言いました。

 彼が応じた後、私はすぐに部屋に入りCさんと交流し、「かつてある同修が刑務所で極めて残酷な拷問による迫害を受けました。彼は、5本の縄でベッドの上に縛られる感覚は耐え難いほどの苦痛で、体中が言いようのない辛さで、1分、1秒がみな耐え難かったのです。私は1日が24時間からなっていないのではないかと思いました。1時間は60分からなっていないのではないか? 1分は60秒からなっていないのではないか? 私は、もう一秒頑張れるか、と自分に問いかけました。確かに大丈夫! それなら私たちは1秒1秒頑張り、迫害が終わるその日まで頑張りましょう!」と言いました。

 「Cさん、師父は私たちにおっしゃいました、たとえ早く去ったとしても、三界の支配下にはないだろう、と。しかし、あなたが以前真相を伝え脱退し救われた生命たちを、あなたは考え、私の姉の夫の家族にあなたが真相を伝えたあの家族たちを考え、あなたの家族の中であなたが真相を伝えるのを聞いた家族たちを考え、さらにあなたのそばにいる家族、あなたの小さい孫娘、こんなにも多くの衆生が、もしあなたが去ってしまったら、誰がまだ彼らを救えるのですか? 誰が再び彼らに真相を伝えて信じることができるのですか? Cさん、私たちは自分のためでなく、救われあるいはまだ救われていない衆生たちのために、私たちもあきらめることはせず、1秒でも頑張り、頑張らなければなりません」

 Cさんは私を見ながら、目は慈悲に満ち、私に対してしっかりとうなずきました。「私たちは正念を発しましょう」と言いました。Cさんは「正念はできません、私たちは法を学びましょう」と言いました。私は「わかりました、私はあなたのために師父の経文の『位置』を暗唱します」と言いました。

 私は「修煉者が経験する試練は、常人にはとても耐えられないもので、歴史上、修めて圓満成就できた人はほとんどいませんでした。人間はしょせん人間であり、肝心なとき、なかなか人間の観念を放下し難く、かえっていつも何らかの口実を設けては自らを納得させようとしています。ところが偉大な修煉者とは、すなわち、重大な試練の中にあって自我を放下し、さらに一切の常人の考えを放下できる人です。わたしは、圓満成就できるかどうかという試練を乗り越えてきた大法の修煉者へお祝いの意を表します。皆さんの生命の不滅の永遠、さらには未来にいる次元までもが皆さん自身で切り開くものであり、威徳は皆さん自身が修めて出来上がるものです。精進しなさい。これこそ最も偉大にして、最も殊勝なことです」[1]という師父の法を暗唱しました。

 私が一遍ずつ暗唱し、その後でCさんが私と一緒に暗唱し、何編暗唱したかわからず、Cさんがふんばれるだけ暗唱し、私は正念を発しました。その時は長時間正念を発したことをはっきりと覚えています。

 翌朝目が覚めると、Cさんの状態がすでに大きく好転していると感じ、「旦那さんがあなたを病院に連れて行くという念を捨てなければならず、そうすればすぐに元気になり、台所で料理を作らなければなりません」と言いました。Cさんの夫が起きあがって見ると、Cさんが台所で朝食を作れるようになっており、彼は大法の超常と不思議に驚嘆し、もう病院に行くことを持ち出さなくなりました。そして大法弟子として、私は知っていましたが、Cさんの佛性が出てきており、衆生のためを思うその一念があり、慈悲で偉大なる師父がこの魔難を解決してくださったのでした。本当に「弟子正念足りれば 師は回天の力有り」[2]でした。

 夜になり、私は再びCさんの家に行き、「私は煉功したいので、私と一緒に煉功しましょう、煉功できる分だけすればよく、私は2回煉功します」と言いました。Cさんは私と1回煉功し、その後で頑張って一緒に2回煉功できました。後になって、Cさんは私に「ご存じですか? 私が最初あなたと2回連続で煉功した時、気分が悪くなって土下座して、煉功しないようにあなたに頼みたいと思っていました。しかしあなたが目を閉じて静かに煉功しているのを見て、あなたに迷惑をかけたくないと思い、こらえて続けてあなたと煉功しました。今は私も突破し、煉功もできるようになり、煉功したいと思うようになりました」と言いました。

 ある日、Cさんの夫がCさんに「今の自分を見てください、髪の毛がすべて白く、見た目が良くなく、綺麗にしたらどうですか」と言いました。そこで、私はCさんに付き添ってCさんがいつも行く美容院へ行き、髪の毛を黒くしようと思いました。その美容院の人はみなCさんを知っており、Cさんは以前に美容院の人に真相を伝えており、美容院の人もCさんが法輪功修煉者であることを知っていました。今回行った後、みんながCさんを見て、みな驚き、横で「この人は以前はきれいで、元気もあり、今はどうしてこんなに年を取ってしまい、きっと彼女の家で何かあったに違いない」とこっそり言いました。

 Cさんは髪の毛を黒くして、すぐに出てきました。Cさんが落ち込んでいるのを見て、私は「あなたの今の様子は大法によって引き起こされたのではなく、中共に迫害されたからです。あなたは自分が迫害された真相を正々堂々と彼女たちに伝えるべきです。そうでなければ、衆生たちはあなたを誤解するでしょう。迫害の真相を伝えることは大法の信用を傷つけることではなく、中共の迫害を暴露することであり、人を救うことです!」と言いました。私がこのように言うのを聞いて、Cさんは「これも私の心のしこりであり、自分がしっかり修めておらず、大法の信用を傷つけてしまったと感じ、いつも真相を伝えに行かなかったと感じています。あなたがこのように言うのを聞いて、私は心が晴れ晴れとしました」と言いました。Cさんは振り返って戻って行き、美容院の人に自分が警察にゆえなく連行され迫害を受けた真相を伝え、もし大法の師父が再度命を救ってくださらなかったら今回命がなかった、ということを美容院の人たちに伝えました。同修が再び正々堂々と真相を伝えたのを見て、私は心の底から師父の慈悲とご加持を感じました。

 約半年以上の時間、Cさんは徹底的に歩んでいきました。Cさんの好転は常人の中で法を実証する良い役割を果たし、Cさんの孫娘がCさんの病業の様子を見て、法を学ばなくなり、Cさんがよくなったのを見て、大法の超常を目にし、再び法を学び始め、今(訳注:2020年11月)は多くの『洪吟』の詩を暗唱できます。Cさんをいつもじっと見つめさらにCさんを病院に治療に行かせた弟と弟の嫁も大法を学び始めました。Cさんの変化はその他の病業の関にいる同修に対しても大きな励ましでした。

 三、協調の中で自我を放下し全体で協力し合う

 1. 嫉妬心を修煉で取り除く

 昨年(訳注:2019年)、私たちの地域では80歳近い年配の同修が街に行き大きなグループで協調の仕事を行う準備をしました。この知らせを受けて、私は心の中で違和感を覚え「この件では私は多くの仕事をしており、私がどんなに劣っていたとしても、まさかまだ80歳のお年寄りの人より劣っているのか?」と思いました。少し不服でした。その数日間、行うことすべてが消極的でした。

 ある日の学法で、師父が説かれた「物語りを一つお話ししましょう。『封神演義』の中の申公豹は、姜子牙のことを年も取ったし能力もないと見ていましたが、しかし元始天尊はこの姜子牙に神を封じさせました。申公豹は心の均衡が保てなくなりました。『なぜ彼に神を封じさせるのか? この申公豹のすごさといったら、俺の頭は切り落とされても元通りに戻せるのだ。どうして俺に神を封じさせないのか』と、彼はこの上なく嫉妬して、いつも姜子牙の邪魔をしたのでした」[3]を学びました。

 私は突然「これは私に説いておられるのではないか? 私のこの心はまるで申公豹のようではないか? 私はどうして同修に嫉妬することができるのか? 同修の協調を取るために彼女を行かせることは、筋が通っている。さらに、修煉のこの環境の中で、協調人を行うことも非公式なことであり、なぜこの件をこんなに重く見ているのか? 嫉妬心が災いしている」と悟りました。私は気付き嫉妬心を解体した後、その時に再び年配の同修の身の上のすべてが長所であり、法を堅く信じていること、心性をしっかり向上させていること、学法と発正念が真剣であることなどでした。その年配の同修があまり明慧ネットにアクセスせず、明慧ネットのメールボックスにアクセスしてメッセージを発信することができず、私は黙って協力することが正しいのであって、これは私が修めるためであり、私は容量を広めるべきであり、自我と地域が異なることへの差別の心を放下し、全体で協力し合うべきでした。

 2. 自我を放下する

 何日か前、私の地域のある地区の同修2人が連行されました。消息を知った後、私は同修と状況を理解するために家族に会いに行き、警察署の入り口の前に行って正念を発し、積極的に協力して同修を救いました。

 ある日、私はある同修の家に行き、連行された同修の家族に一緒に会いに行く人が見つからないことを同修はちょうど心配しており、連行された同修の状況を知りたがっていました。私に会い、同修は面と向かって私を責め、私が責任を負っておらず連行された同修に関心を持っておらず差別の心があると言いました。もし以前なら、私には多くの弁明の言葉があったと思います。しかし今回は同修は私に、何の弁解もせずただ黙って無条件に内に向けて自分を探した、と言いました。

 同修が言い終わるのを待って、私は「私たちは連行された2人の同修のために正念を発し、同修と彼女たちの家族の空間場をきれいにし、それから一緒に同修の家族に会いに行きましょう」と言いました。私が自我を放下し、無条件に内に向けて探したので、師父は私を加持してくださり、私たち2人は座り、3時間にわたって正念を発しました。私の心はとても静かで、体全体がエネルギーに包まれ、この上なく心地よく、さらに自分が発した強大な正念を感じることができました。正念を発し終え、同修は「私があなたに話した時、あなたが一言も弁明しなかったのも頷け、あなたの定力は強いです。私はあなたが正念を発している時に心が静かであることを感じることができました。私は初めから心は静かではなく、後になって落ち着きました」と言いました。

 私たち2人は果物を買い、同修の家族に会いに行き、同修の家族に追い出されて、さらに警察に通報されるとは思ってもみませんでした。帰りの路上で、私は「同修の家族に会いに行き、心は清浄でなく、心の底から相手に関心を持っておらず、消息を聞きに行っただけで、同修の家族の立場から考えておらず、話をする態度と語気に慈悲が足らず、さらに完全に自我を放下しておらず、同修を家族として扱っていなかった」と内に向けて探しました。この人心を探し、私は正念を発してこの人心を解体しました。

 翌日、私は街に行って連行された同修のために服を買い、さらに留置所に私と一緒に行ってくれる別の同修を探し、2人の同修のために貯金し、衣類を保管し、みんなの正念による加持を同修に感じさせました。

 私たちのこの地区にはさらに年配の協調人がおり、その協調人も80歳近くで、いくつかの協調の仕事が追いつかず、私も進んで協力しました。昨年(訳注:2019年)7月、協調人たちの地域で連行された同修が、中共ウイルスの伝染病のために不当に拘禁されて1年余り後、不当な裁判に直面しました。同修は弁護士を頼むことを提案しましたが、家族は同意せず、救助を担当する同修もあまり積極的ではありませんでした。同修は私に「あなたたちは内に向けて探さなければならず、大法弟子が人を救う道を歩むのを何の心が妨害しているのでしょうか?」と言いました。私は「まだそれを探さなければならないのか? すべて明らかになっており、恐れと難癖をつける心ではないのか?」と思いました。

 その数日間、自分に正念を生じさせるために、私は「皆さんは人類の希望です。元気を奮い起こして北米の大法弟子のように困難の前に尻込みしないようにしてください。人間の枠に制限されないでください。邪悪に怯(ひる)まないでください。なぜなら、歴史は皆さんのために残すものだからです」[4]という師父の法を暗唱しました。

 私たち同修は一緒に「修煉の機縁を大切にし、師父の大きな慈悲による貴重な時間を大切にし、自分をしっかり修め多くの人を救う」と交流しました。私は同修と協力し、まず家族に真相を伝え、家族は反対していたのが最終的には弁護士を雇うことに同意しました。弁護士がやって来て、私は協力して応接しました。

 弁護士と対応している間、私の地区ではいわゆる「公安内部通報」がしきりに伝わって来て、人心を不安定にしました。弁護士が私の地元に行って事件を処理することにも多くの妨害があり、裁判長は弁護士に会わず、弁護士は私の地区で4日間とどまりました。これらの妨害によって「裁判所のネットワークカメラが最もはっきりしており、この時に行くのは、大きな危険があるだろう」と私は再び思いました。翌日に弁護士と一緒に家族に裁判所に行ってもらうことにその場にいた同修も同意し、私たちは家の中で協力して正念を発すればよかったのでした。

 夜に家に帰り、私の心は違和感を感じ「もし弁護士に付き添って裁判所に行かないのならば、弁護士が何を必要とし、どんな困難にぶつかったのか、私たちにはみなわからず、どうやってすぐに協力できるだろうか?」と思いました。そこで、私は同修と交流し、同修は「本当に師を信じ法を信じれば、虚像に惑わされることはありません。唐僧が経を取るように、一歩前進するたびに、どこにでも魔がおり、炎の山でなければ妖精の洞窟であり、真の経を得ようとするのは、生死の念を放下しなければなりません」と言いました。そうです、私は何を恐れていたのでしょうか? 名利ではなかったでしょうか? 師が法を正すことを手伝うために、何が放下できないというのでしょうか?

 翌朝、私はタクシーに乗って直接裁判所へ行きました。タクシーに乗った途端、運転手が「ああ、私のこの車は新しく修理し、馬力はいつも十分で、クラッチを軽く踏むと、跳び進み、いつもたけだけしい」と言うのを聞きました。私はそれを聞いて「これは師父が常人の口を借りて私を励ましてくださっているのではないのか?」と思いました。恐れる心と人心を修めて取り除き、正念が十分であれば、何も恐れず、勇気を出して前進して行くことができました!

 裁判所に着き、ただ弁護士が相変わらず電話をかけているのを見て、裁判官は電話に出ず、同修の家族がそばで相変わらず「電話に出ないのですから、電話しないでください。彼らを怒らせないでください、問題を大きくして、また実刑判決を下されたら、さらに悪化してしまいます」と落胆した言葉を言い続けました。私はすぐに大法弟子の責任がわかり、私は同修の家族をそばに呼び、家族をなぐさめて「裁判官はなぜ弁護士に会う勇気がなく、電話に出ないのでしょうか? なぜなら彼らはあなたの家から数冊のあの大法書籍を持って行き、完全にあなたの奥さんを迫害したという証拠ではありませんか、自分が法を知りながら法を犯していることを彼らは知っているので、弁護士に会うことを恐れています」と言いました。弁護士は同修の家族に「お帰りください、彼女(私を指して)1人に付き添ってもらえれば、それでいいですから」と言いました。大法弟子がその場で主導権を握ることを人権擁護弁護士も必要としているのだと私はもう一度理解し、弁護士の心はやっと安心しました。

 同修の家族が帰った後、裁判官はやはりずっと電話に出ず、弁護士は「高等裁判所へ行って彼らを告訴します」と言いました。高等裁判所へ行く道で、師父は私に知恵を与えてくださり、私は弁護士に、弁護士の手紙を速達で裁判官に郵送するように注意を喚起しました。その後、私は弁護士に付き添っていくつかの部署を回りました。弁護士は感慨深げに「私はこの業界に30年間携わっていますが、弁護士に会おうとしない裁判官に会ったことがありません。あなたにひるむ意思がないのを私は見て、今日あなたの付き添いと知恵がなければ、私はこれらの部署を回れませんでした。あなたたちの地区の大法弟子は責任を負っており、ありがとうございます! 今日は私が食事にご招待します。明日の朝、裁判所に行き、やはり私に付き添っていただけますか」と言いました。私は「師父が励ましてくださっているのだ」と思いました。私は「私は地元の人間で、あなたは遠くから来て、お客様です。やはり私が食事にご招待します」と言いました。

 最近法を学び、師父は絶えず私に法理を理解させてくださり、この理解は生命のミクロ部分での理解であり、体がみな感じていました。修煉状態も変化し、虚像の妨害の中で、ほとんど動かされず、心を落ち着かせることができました。正念を発し、心を落ち着かせることができるとも感じ、エネルギーに囲まれていると感じました。

 この期間の修煉の結果、私は師父が私のために按排してくださったすべての修煉環境をさらに大切にし、師父が巨大な犠牲と苦しみを払って延長してくださった限られた時間をさらに大切にし、世の中で同修と協力して法を正す時期の師にお手伝いする修煉の機縁をさらに大切にしました。

 最後に、「私たちがこの歴史を歩み終え、振り返った時、全ての大法弟子が皆自分のやりたかったことをやり終えたと言えるようになれば、(拍手)それこそ最も素晴らしいことです」[5]という師父の法を以って同修の皆さんと励まし合いたいと思います。

 慈悲で偉大なる師父に感謝申し上げます!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「位置」
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「師徒の恩」
 [3] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [4] 李洪志師父の経文:『フランス法会へ』
 [5] 李洪志師父の著作:『各地での説法四』「二〇〇三年ワシントンDC法会での説法」

 (明慧ネット第17回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/11/18/414813.html)
 
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