河北省の葛志軍さん 刑務所で迫害されたのち死亡
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 【明慧日本2020年12月17日】河北省涿州(たくしゅう)市の法輪功学習者(以下、学習者)葛志軍さん(男性)は2019年2月5日、唐山市冀東刑務所に4年間拘禁された後、帰宅した。葛さんは法輪功を学んで健康な体と心を得たが、中国共産党(以下、中共)当局に2回拘禁され、計12年の実刑判決を下された。刑務所で精神的にも肉体的にも苦しめられた葛さんは精神異常になり、2020年11月29日に死亡した。享年42歳。

 葛さんは涿州市凌雲工業グループの職員だった。明るくて、心が優しい葛さんは小さい時から、病弱で7~8歳で肺結核になり、全身の毛細血管から出血し、腹部が膨らみ、ご飯があまり食べられず、背が伸びなかった。両親に連れられて、いろいろな病院を訪ねて治療したがあまり効果はなかった。それから、ある民間の医者に鍼灸してもらって好転したが、完治はしなかった。毎日元気がなく、成績も悪かった葛さんは13~18歳まで、定期的に注射、点滴をしていた。注射で臀部が腫れたりして、よく足を引きずって歩いていた。

 しかし、1996年8月、18歳の葛さんは法輪功を学び始め、1カ月後、患った病気がすべて完治した。それから、葛さんは真・善・忍を基準に自分を律し、いつも他人のことを優先し、仕事を真面目にやりとげ、近所の人と仲良くしていた。人助けが好きな葛さんはいつも、重いものを運ぶ時、呼ばれるとすぐに手伝いに駆け付けた。

 法輪功の陳情で暴力を受ける

 1999年7.20、江沢民グループが全面的に法輪功迫害を開始した。葛さんは1999年12月1日、法輪功の冤罪を訴えるため、北京へ行ったが、天安門広場から警官により派出所に連行された。その後、涿州公安局の警官に地元に送還され、勤め先の保衛部門の科長と国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の警官に棒で殴られ、廊下で4~5時間、跪いた後、拘留所に入れられた。

 そして、610弁公室の警官に1万100元と国保の警官に2000元を強請り取られた葛さんは、29日間拘留されて帰宅した。その後、勤め先の保衛部門の人員が家まで来て、嫌がらせをされたり、尾行され、行動の自由を制限されたり、暴力を受けたりした。

 2001年7月、葛さんは涿州南馬洗脳班に強制的に入れられ、毎日100元を支払わされた。お金がなく、迫害を避けるため、葛さんは余儀なく放浪生活を強いられた。

 23歳で懲役8年の判決を下される

 2001年のある日、葛さんは北京で人に法輪功の素晴らしさを伝えたとき、石景山派出所の警官に連行され、石景山留置場に拘束された。その3日後、涿州市公安局に地元に送還された葛さんは、610弁公室の警官に尋問室でスタンガンで脅迫されながら、跪いて尋問を受けた。その日の夕方、葛さんは涿州留置場に送られた。

 留置場で葛さんは6日間断食して拘禁に抗議した。その後、体が極度に虚弱したが、8~9カ月間拘禁された。その間。葛さんは不当に開廷され、懲役8年の実刑を言い渡された。家族にも2万元の支払いを強要された。

 2002年、涿州市留置場は葛さんを満城刑務所に送った。入所の身体検査で胸膜炎と診断された葛さんは刑務所に入所を拒否されたが、留置場側は不正に裏で操作し、葛さんを無理やり入所させた。刑務所で体が衰弱した葛さんは二段ベッドの上に上がれず、科された労働もできなかった。満城刑務所で3日拘禁された後、葛さんは石家庄第四刑務所に移送された。

 第四刑務所で葛さんは毎日、法輪功への誹謗中傷のビデオを見せられ、ほかの学習者と話すことは許されず、3~4人の受刑者に監視され、トイレ、洗顔などは全て監視人の同意を得ないとできなかった。受刑者らは減刑になるため、警官の命令を受けた後、葛さんにひどい拷問を加えた。

 ●長期的に睡眠をはく奪された。刑務所の中にある特別管理棟に拘禁された葛さんは立たされ、毎日食事は1回しか与えられず、睡眠を許されず、目を閉じて眠ると殴られた。18日間、睡眠をはく奪された葛さんは目の下にクマができ、全身があざだらけになった。

 ●タバコを足の指に挟まれ、やけどを負った。睡眠を許されなかった葛さんは耐えられないとき、目を閉じると、殴られるか、あるいは足の指にタバコを挟まれて、火傷を負わされることがあった。

 ●足にのしかかって胸部を押さえられた。睡眠をはく奪されていた間、葛さんは両腕も両足もシーツで縛られ、床に寝かされた。そして、足の上にのしかかった受刑者に胸部を強く押さえられた。それにより、葛さんは呼吸困難になり、足と腰を痛めつけられ、骨折しそうになった。

 ●手枷足枷を繋がれた。独房で断食して抗議を行った葛さんは3~4日手枷足枷を繋がれ、足首に血が出ていた。さらに、葛さんは毎日、睡眠時間以外は幅20㎝、奥行き15㎝、高さ20㎝の小さい椅子に座らされた。そのため、臀部を痛め、座りだこができた。

中共酷刑示意图:手脚连铐

拷問のイメージ図:手枷足枷を繋がれる

 ●独房に拘禁された。葛さんは毎年1回、計7回独房に拘禁された。毎回15日間、睡眠用の板1枚と、水管、便器しかない24時間電気がつけたままの小さい部屋に入れられた。さらに、手枷足枷をつけられ、外に出ることを許されなかった。

演示:关<span class='voca' kid='85'><span class='voca' kid='85'>小号</span></span>

拷問の再現:独房に入れられる

 ●強制採血された。葛さんは特別管理棟に「転向」を強要され、ひどく殴打された2004年冬のある日の夜8時、刑務所外から来た医者に採血された。その女医は黙って、葛さんの血液を何本も採取した。

 葛さんはなぜ、採血をしたのかと聞くと、教育科の隊長が「身体検査のためだ」と言った。「死ぬほど殴られて医者が傷口を見ないで、採血するのか」と、葛さんはその行為を怪しいと思った。

 その後、毎回身体検査のとき、「伝染病になったことがあるか?」と聞かれた葛さんは「小さいときに肺結核にかかった」と答えた。刑務所で毎年、学習者に2回の身体検査を実施しているが、他の受刑者は年1回だけである。刑務所から出てから、葛さんは中共当局による臓器狩りについて知り、強制採血のことを思い出した。

 葛さんは九死に一生を得て、刑務所から出られたが、若くして髪の毛は半分白髪で、6本の歯が抜け落ち、記憶力は低下し、高血圧、脳梗塞、不整脈、脂肪肝の症状が現れていた。

 葛さんの母親は法輪功を学んでいないが、当局に15日間拘束され、殴られたり、手錠をかけられたりした。父親が解雇されたため、母はこじきになったことがある。心身ともに重圧を受けた50代の母親は2005年2月に亡くなった。父親は寝たきりになってしまった。

 37歳で再び懲役4年の判決を下される

 2014年2月26日、葛さんは他の学習者5人とともに連行された。葛さんは2万元相当の私財を押収された。以前の刑務所での迫害で健康状態が悪くなったため、身体検査のとき、「血圧が高くて、血管がいつでも破裂する可能性がある。危険な状態だ」との医師の診断により、葛さんは帰宅できた。

 しかし、2015年2月11日、涿州市裁判所は二審で、葛さんに懲役4年の実刑を宣告した。同年8月2日の身体検査で、血圧229mmHg/165mmHgの葛さんは入所の条件を満たさなかったが、8月5日に強制的に涿州市留置場に入れられ、そして、8月15日、唐山冀東刑務所に送られた。

 父親は寝たきりで、妻が幼い子供の面倒をみていて、経済状況が良くない葛さん一家は葛さんの不在でより一層困難になった。

 2019年2月5日、葛さんは刑務所から解放された。計12年間、刑務所での迫害を受けた葛さんは精神異常になり、部屋に閉じこもり、正常な生活が送れなくなっていた。

 8歳の娘が葛さんの様子を見て、母の後ろに隠れ、近寄れなかった。優しいお父さんが変わってしまったことで、娘はショックを受けた。

 2020年11月29日、葛さんは冤罪を晴らせぬままこの世を去り、家族は泣き崩れた。近所の人も葛さん一家の境遇に心を痛めた。

 42歳の若い男性が法輪功を学んで健康になり、真・善・忍に従って良い人になろうとしただけで、中共に殺された。これは21年以来、中共が行ってきた法輪功迫害の氷山の一角にずぎない。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/12/10/416254.html)
 
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