迫害された遼寧省の楊雪さん一家4人 相次ぎ死亡
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 【明慧日本2020年12月21日】(遼寧省=明慧記者)遼寧省葫蘆島市の法輪功学習者・楊雪さん(41)は、2008年に夫を亡くし(拷問されて死亡)、両親も相次いで他界した。楊さんは12年間、肉親を失ったことで悲嘆に暮れ、さらに懲役4年の判決を言い渡された。楊さんは、国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の警官により長期的に監視と嫌がらせを受けた末、11月2日に亡くなった。

 楊さんは河北省燕山大学美術学部を卒業後、デザイナーとして瀋陽で就職した。その後、楊さんは実家の綏中県前所鎮に戻り、学生向けの美術教室を開いた。多い時には50~60人の生徒がおり、保護者や生徒から良い評判を得ていた。

 2008年2月25日、楊さんの夫の範徳震さんが綏中県国保の警官により連行されたため、やむを得ず美術教室を閉鎖した。その時、楊さんの息子はまだ生後7カ月だった。

 夫の範徳震さんは迫害され死亡、遺体は強制的に火葬された

 楊さんと夫の範さんは2008年2月25日、葫蘆島市綏中公安局の国保と楊家辺防哨所の警官らにより連行された。範さんは綏中留置場に拘束されたが、国保の隊長・李長華らに綏中匯陽ホテルまで秘密裏に連行され、拷問を受けた。

 同年4月20日、つまり範さんが連行されてから55日後、葫蘆島毛祁屯派出所の警官は、範さんの父親に「息子に会いに来い」と告げた。範さんの両親、兄夫婦はパトカーに乗って留置場に到着した。

 一方、同日の午後、妻の楊さんと実母の伊桂珍さん、生後9カ月の息子も、楊家辺防哨所の警官に留置場まで連れられ、範さんの両親たちと同じ部屋で待機することになった。

 綏中の所長・王学平は、「家族が全員揃ったようだ。一つだけ知らせる。範徳震は今朝7時に亡くなった」と言った。これを聞いた家族は、泣き崩れた。

 範さんの家族が死因について尋ねると、留置場の所長は栄養失調で死亡したと答えた。家族はとんでもない嘘を信じる訳にはいかないと憤った。なぜなら、4月14日、妻の母親が200元を持って留置場に行った時、範さんは一日に2杯のご飯を食べていてとても元気だと言われたばかりであった。そんなに元気な人がわずか1週間で栄養失調で死ぬはずがないからだ。その時、ある警官は「打ち殺したのだ。まだ何かあるか」と言った。

 留置場側は、家族に「今晩、遺体を見た後、サインをしなければならない」と強要した。 楊さんと母親の伊桂珍さんはサインに同意せず、翌日に見ると返事した。留置場側は、遺体を強制解剖するため、翌日になれば遺骨しかないと脅迫した。そして、範さんの両親と兄の3人が、深夜に遺体を見に行った。

  目の前の遺体は裸であった。以前の範さんは体重が70キロ以上あり、とても健康そうな身体だった。2カ月経たない間に骨と皮ばかりに痩せこけて、顔が変形し、目と口は開いており、口は噛みしめたまま、髪とひげは非常に長く伸びていて、ショックを受けた表情をしていた。また、腹部は黒くなって3センチほどの傷があり、四肢と背中は青紫色で、肛門は緩んでおり、血便が流れ出ていた。激しい殴打を受けて激痛の中で命を失ったことは明らかだった。

酷刑演示:毒打

拷問の再現:滅多打ちにされる

 4月21日、火葬現場には多くのパトカーが止まり、100人もの警官と私服警官が待機していた。伊桂珍さんは大声で「遺体はまだ見ていないし、死因も特定できていません」と言った。

 1人の人員が、「家族の皆はしっかり聞け、今から要件を発表する。死因が特定されたこと(家族に伝えていない)。検死が行われたこと。責任は取らないこと。家族は賠償しないこと」と言った。

 午後2時10分頃、家族の許可を得られないまま、範さんの遺体は強制的に火葬された。最後まで楊さんと母親の伊桂珍さんは、遺体を見ることができなかった。

 両親と楊さんが相次いで死亡

 楊さんの母親の伊桂珍さんと、父親の楊佳濱さんは学習者で、「真・善・忍」に基づいて良い人を目指しており、健康であった。

 2011年9月29日、伊桂珍さんと郭振洪さんは綏中高嶺鎮で法輪功迫害の実態を人々に伝えた時、地元の人に通報され、警官に連行された。その後、郭さんは懲役4年の実刑判決を宣告され、伊さんは体調不良のため帰宅した。

 範さんが迫害で死亡した後、楊さんは懲役4年の実刑判決を言い渡され、授乳中であるため、刑務所外の執行となった。収監を避けるため、楊さんは放浪生活を余儀なくされた。その頃、綏中の国保の警官らは、度々母親の伊さんの家に行き、楊さんの居場所を探ったりして嫌がらせをしていた。伊さんはプレッシャーに耐えきれず、悲しみと憤りの中で、体調が悪化し、2013年4月20日に亡くなった。享年59歳。

 楊さんの母親が亡くなってから1年6カ月後、父親の楊さんが2014年11月4日に亡くなった。享年60歳。

 それ以来、35歳の楊さんは、7歳の息子と苦しい日々を過ごしていたが、肉体的にも精神的にも苦しんだ末、2020年11月2日に41歳の若さでこの世を去った。

 (注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/12/13/416425.html)
 
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