明慧法会|危険な状態でも正念が出れば一念が邪を制することができる
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文/中国の大法弟子 志明

 【明慧日本2020年12月27日】私は1996年に法輪大法を修煉し始めた弟子です。師父の慈悲深いご加護の下、ずっと平穏に今日(訳注:2020年11月)まで歩んできました。1999年「7.20」の後、中国共産党(以下、中共)の江沢民が自分だけの利益のために、手中の権力を利用して法輪大法を残酷に迫害し、億を下らない人数の大法弟子を対立に追いやりました。しかし、師父は「歴史上、正しい信念に対しては、いかなる迫害も成功したことはありません」[1]と説かれました。

 21年来、迫害停止を呼びかけ、衆生を救い済度する中で、私は師父の教えに従い、師を信じ法を信じ、正念正行し、私の周りで多くの奇跡的な出来事が起こりました。今回の中国大陸大法弟子修煉体験交流会(訳注:明慧法会)の機会を借りて、同修の皆さんと切磋琢磨して交流し、ともに精進し、最後の道をしっかり歩みたいと思います。

 正念で危険を脱する

 2003年初めの長期休暇中に、私は同修のAさんとBさんと一緒に、地方に法輪功の資料を配りに行くことを決めました。私たちは大きな袋二つ分を準備し、法輪功のパンフレットを含め、真相DVDと真相シール、合わせて100部前後を準備しました。計画通りに、私たちは長距離バスで行政機関のある街から180キロ離れた湖水地方の農場まで行きました。私たち3人は、簡単に作業を分割し、私は袋の運搬を担当し、他の2人は資料の配布を担当しました。夜8時には空が暗くなってきたので、資料を配り始めました。

 配り始めて2時間は順調に行うことができました。その後、Aさんに歓喜心が起き、正念を発することをおろそかにしてしまい、また表面的な安全にも注意を払わなかったため、人々が集まる場所にシールを貼りに行ってしまい、気づかれてしまいました。私とBさんも、周囲の雰囲気がちょっとおかしいことに気づきました。明らかに他の空間の邪悪が圧力をかけに来ており、表面空間にも不審な状況が現れました。私はすぐに、私たちを加持してくださるように師父にお願いしました。併せて「他の空間で大法弟子を迫害する中共の人間をコントロールし、衆生が救われることを妨害するすべての邪悪生命と要素を取り除く」と強大な正念を発しました。それと同時に、私たちは速やかにその場所から離れましたが、もっと早くこの場所から離れるべきでした。

 折りよく、人を乗せる「パンパンバス」(人力三輪車)が来て、私たちはすぐに乗ることができたので、その場所から離れることができました。3人は同時に、「これは師父の慈悲深いご加護であり、私たちを危険な状態から抜け出させてくださった」と悟りました。

 約40分後、私たちは別の街に着きました。その街で、数百部の資料を配った後、再び気づかれてしまいました。私たちは、「この地域の治安聯防隊(訳注:公安機関指導の下で警察の治安維持活動をサポートするために隣近所が組を作る治安管理員で、民間人が組織する自警団)の間で互いに話をしていた可能性があり、そうでなければこんなに早く見つかるはずがない」と分析しました。治安聯防隊がパトロールするオートバイは数分で一回りし、私たちが資料を配った区域をとり囲んで一周していました。それでもまだよかったことは、その地方の道は、両側に2列の木が植えられており、ほとんどが低木で、1メートル以上の高さがあり、密生していました。私たちはしばらく資料を配った後、木の下で正念を発し、精神を調整し、師父の『洪吟』の「威徳」を暗唱し恐れる心を取り除きました。

 夜の11時半、私たちはちょうど電柱にシールを貼っていました。突然、中共の警備員の3台のオートバイが向かって来ました。私はAさんとBさんに「2人とも散らばって、木の下の陰に隠れてください。私はあなたたちを援護します」と言いました。

 その日の夜は月がなく星があるだけで、湖水地方の視界はよくありませんでした。私は道路わきにばらばらに置いてあった建築用の赤煉瓦の後ろに、1袋の資料を置いて保護し、中共が発見できないようにしました。私は大通りに沿って、追ってきたオートバイと同一方向にゆっくりと前に進みながら、同時に掌を立てて正念を発しました。私が前方のT字路に到着した時、3台のオートバイはすでに私の前方まで走って来ており、私の周りで止まりました。私は驚きも、恐れもせず、正念を発し続けました。5分近くが過ぎ、警備員たちは勝手に私を置いて行ってしまい、遠くへ行ってしまいました。「師父は、再び慈悲深いご加護と援助で弟子を危険から救ってくださった」と知りました。

 その日、私たちは朝の4時までずっと資料を配りました。私たちは疲れ、お腹が空き、その場所でタクシーを呼び、街に連れて行ってもらいました。朝食を食べ、10分間休んだばかりの時、誰かが「高速艇で川を渡るのは、1人20元です」と叫ぶ声が聞こえました。私たちが同時に悟ったのは「空が明るくなる前に、この場所を離れなければならない」という師父のお導きでした。もし空が明るくなった後に高速艇で川を渡るのは、危険だからです。私たちが高速艇を降りて上陸したばかりの時、対岸に白い警察の車が停まっているのを見つけ、明らかに到着したばかりでした。「彼らは私たちがこんなに早く離れるだろうとは思っておらず、私たちを遮り止めるつもりでいたのだ」と思いましたが、しかし、私たちは師父のご加護の下、順調に戻って来ることができました。

 現在(訳注:2020年11月)「あの時私たちはまだ十分に成熟しておらず、気づかない執着があり、資料を配る過程で際限のない危険につながったのだ」と思いました。しかし「弟子正念足りれば 師は回天の力有り」[3]でした。危険に遭った時、私たちが本当に自分を大法弟子とみなし、正念正行できたので、師父は私たちのためにこの難を溶かしてくださったのでした。

 行動してはじめて変化をもたらすことができる

 2005年10月中旬、私の市で、川沿いの大通りの脇に突然に大法を中傷する1組の宣伝用掲示板が現れました。この宣伝用掲示板は、10枚の大きなパネルで構成されていました。中共はさらに人員を手配して、24時間見張りました。1週間以上過ぎても、依然としてそこでは衆生を毒害していました。同修たちはみな悲しみましたが、しばらくの間どのようにすればよいのかわかりませんでした。私も焦り、心の中で決め、どうなろうが、さらに大きな危険があったとしても、宣伝用掲示板を取り除かなければなりません。宣伝用掲示板が、師父と大法を誹謗中傷するのを絶対に許すわけにはいきませんでした。

 10月18日の夜、私は5人の同修を集め、ある同修の家で会いました。その中の2人は70歳過ぎの年配者で、他の3人は若い同修です。私たちは一緒に、宣伝用掲示板を取り除く方法について話し合い、その夜の10時に、中共のパネルを取り除くことに決めました。まず20分間正念を発し、それから「私たちが行うことは最も正しいことであり、宇宙大法を守り、神兵と神将、護法神、風の神、雨の神に助けを求める。大風を吹かせ、大雨を降らせ、人々の注意力を分散し、張り込みの人員はそこにとどまって動けず、私たちが見えない」という一念を発しました。

 私たち皆が文房具用のナイフを準備し、ポケットに入れ、タクシー2台で現場に向かいました。その時は10時半ごろで、風も吹いていなければ雨も降っていませんでした。みんなが私を見て、私が他の人を見て、少し躊躇しました。この時私の頭の中に「中共を除去し、大法を実証することは神聖なことであり、精神が純粋でなければならず、条件を課すことはできない」という一念が浮かびました。この時、Wさんが最初に階段を上り、パネルの方向に向かって歩いて行きました。私は「彼女はこんなに年を取っているのにまったく恐れていない、私は若いのにまだ何を恐れているのか」と思いました。その瞬間、自分には勇猛さがあると感じ、強大なエネルギーが頭から足まで注ぎ込まれ、私はすばやく階段を駆け上がりました。

 急に大雨と強風が吹き荒れ、通行人の雨傘はみな地面に吹き飛ばされました。5分ぐらいで、私たちは中共のパネルのすべてを除去し終わりました。見張りの中共の特殊警察部隊は何の反応もせず、私たちのことを見ていなかった様子でした。除去し終わり、私たちは各自安全に家に帰りました。

 家に帰った後、私はまだ「年配の同修の家で正念を発し終わった後、なぜすぐに風が吹かず雨が降らず、私たちが中共のパネルを除去し始めた時になって、やっと強風と大雨が降ったのか?」という問題を考えていました。私は「神佛は人の心を見ていらっしゃる」ということを悟りました。私たちは中共のパネルを除去するという願望を持っていましたが、現場に到着しても、まだ自分たちが生死を放下できるかどうかを見なければならず、本当に出て行けるかどうかにかかっており、こうすることこそが一番大事なことであり、この行動によってはじめて変化をもたらすことができたのでした。もしあの場所に着いたとしても、恐れる心が深刻で、決心がつかないでいたり、行うのを恐れたり、さらには、ひるんでしまったのでは、その後の強風と大雨は絶対にありえませんでした。

 「私が行うことは宇宙の中で最も正しいことである」

 私の故郷は二つの省の境界にあり、中規模の町であり、大法弟子は少なかったのです。その場所の資料の大部分はみな私が仕事の合間に、その町の人たちに送ったもので、10年以上ずっとこのようでした。経済的な原因により、多くの場合私はいつも長距離の旅客バスで戻っていました。

 長距離の旅客ステーションには、定期的なセキュリティチェックがあり、荷物はセキュリティーチェッカーを通さなければなりませんでした。セキュリティーチェッカーで検査する時は、私はいつも20分か30分前から正念を発し始め、たいしたことはないと軽く見たことはありませんでした。師父の慈悲深いご加護の下、毎回いつも順調に通過しました。しかしその中のある経験を、私はどうしても忘れられません。

 それは、2013年の春から夏へかけての土曜日でした。私は2袋の資料を準備して故郷に戻りました。その日、私は正念を発し終え、荷物がセキュリティーチェッカーの検査をやり終え、それからちゃんと切符を買いました。午前9時半、バスに乗る準備をし、すべてが順調でした。しかし、バスに乗った途端、かつて私を迫害したことのある(首謀者が二度不当に私に労働教養を科した)県の「610弁公室」のリーダーが、バスの入り口の一番前の席に座っていました。私がバスに乗ると、610弁公室のリーダーは敏感に私に気づいた様子で、私はその時「バスに乗るか、乗らないか?」と少し躊躇しました。もし乗らなければ、切符は無駄になり、また610弁公室のリーダーの疑いを引き起こすかもしれません。

 瞬間私は、「私が資料を配り衆生を救うのは、宇宙の中で最も正しいことであり、彼を恐れるべきではない」という正念が出てきました。そこで、私はバスに乗り、後ろから7番目の席に座りました。私が座ると、610弁公室のリーダーが立ち上がって私の方を振り返りました。610弁公室のリーダーは私を見ましたが、私も恐れず、私はその時「私は神であり、邪を制することができる。私が誰であるかあなたはまったく思いだすことができない」という一念を打ち出しました。その瞬間、私は師父が説かれた「煉功者の一生はすでに変えられており、手相、人相、生年月日などによるものは、身体に所持している信息などとすでに違っており、変えられています」[4]を思い出しました。

 このことを考え、私の心はさらに安心し、正念もさらに強くなりました。610弁公室のリーダーはすぐに座り、二度と私の方を振り向きませんでした。私は絶えず正念を発し、リーダーをバスの中で眠らせました。このようにして2時間が過ぎ、しばらくして町に着き、町から10キロ前後離れたところで、長距離バスの検問所があり、旅客はおりて数分間休むかあるいはトイレに行くことができました。私はそこで早々にバスを降りました。この時、リーダーは椅子でぐっすり眠っており、私がバスを降りたことさえまったく気が付きませんでした。

 私がバスを降りた後、町とは逆方向に2キロほど歩き、それから町まで行く短距離バスに乗り、順調に目的地に到着し、資料を故郷の同修に手渡しました。

 帰った後、私は市内の同修とこのことを切磋琢磨し、同修たちは私の話を聞いた後、みな私の替わりに手に汗を握りました。私は「修煉者が重んじているのは、正念です。正念が強ければ、何でも食い止めることができ、何でも行なうことができるのです。あなたは修煉者で、神の道を歩んでおり、常人の要素、低次元の法理に制御されていない人だからです」[5]という師父の法を思い出しました。

 もし私たちすべての大法弟子が、みな大法の要求に達し、みな強い正念を持つことができれば、迫害に反対し衆生を救い済度する中で、回り道が少なくなり、損失も少なくなり、より多くの衆生を救い済度することができるでしょう。

 二十数年間の法を正す修煉の中で、大法の中で経験した奇跡は、実にあまりにも多かったのです。私は「弟子のすべての向上はみな、師父の心血と大きな慈悲が凝集している」ということを知っています。

 ありがとうございます、師父!

 ありがとうございます、同修の皆さん!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「強制は人心を変えられない」
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「正念を発する時の二種類の手印」
 [3] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「師徒の恩」
 [4] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [5] 李洪志師父の経文:『ロサンゼルス市法会での説法』

 (明慧ネット第17回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/11/23/415008.html)
 
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