済南の学習者・王風強さん 迫害されて死亡
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 【明慧日本2021年1月3日】(山東省=明慧記者)山東省第一刑務所の幹部で技術者の王風強さんは、法輪功を学んだという理由で、迫害されて官職を失い、労働教養を強いられ、洗脳班に拘禁された期間中に重度の結核を患い、2020年10月31日に亡くなった。享年48歳。  

'法轮功学员王风强被迫害离世'

王風強さん

 王さんは1997年に山東工業大学の電気電子工学部を4番目の成績で卒業した。在学中の1996年3月、王さんは法輪功を学び始め「真・善・忍」の基準に従って物事に対処し、道徳心を向上させ、専門の学士号を取得したほか、英語の第二専攻の卒業証書を取得した。

 山東工業大学を卒業した後、王さんは筆記試験と面接の両方ともトップ成績で公務員に合格し、エンジニアリングの技術者として山東省刑務所に付属する済南発電設備工場に就職した。勤務期間中、QFW-15-2、QFW-12-2、QFN-4-2、QFW-12-2、QF-7.5-2などの国産発電機の設計に参加した。その後、スイスとフランスから輸入した技術のWXシリーズ発電機の設計を担当し、また、国際先端技術発電機の外国語資料を翻訳し、図面やテキストデータの整理などを担当し、編纂した。

 王さんの友人によると、王さんは正直でおとなしく、勤勉であり、専門分野の技術力が高く評価された。また、いつも謙虚で誰とでもうまく接するタイプで、個人の利益と損失に拘らず、勤務先では良い人として認められていた。

 しかし、1999年4月25日から、勤務先は王さんに対して「談話」や監禁をし、洗脳班に送り、多額の罰金を科するなどの迫害を加え、さらに公職を解雇した。

 2001年12月末、王さんは洗脳班から解放された後、泊まる場所がないため、学習者の友人の借家に泊まっていたが、待ち伏せていた警官らに連行され、腰を強く蹴られて損傷を受け、排尿できない状態が続いた。

 警官は王さんを連行し、済南留置場に37日間拘禁したにもかかわらず、王さんの家族には一切知らせなかった。王さんの母親と姉は招遠市の実家から済南に来て、タクシーであちこち王さんを探していた。

 2002年2月5日、王さんは労働教養3年を科され、済南劉長山労働収容所に拘禁された。そこで、強制労働(箸を巻く、手芸品を作る、印刷物などの作業)を強制され、洗脳迫害を受けて肉体的にも精神的にも大きなダメージを受けた。

 2005年2月22日、王さん、王さんの妻・賈さん、および妻の母親の3人は、歴城区北全福派出所まで連行された。妻は授乳中のため解放されたが、母親は済南市劉長山の洗脳班に送られた。妻の父親(70代)は同年3月4日、洗脳班に行き妻との面会を申し出たが、断られた。ショックを受けた父親は、家に帰った後、周囲に誰もいない中で亡くなった。

 2006年8月23日正午、済南東環国際広場で法輪功の資料を配布していた際、王さんは連行され、洗脳班に拘禁された。そこで、王さんは重度の結核を患い、激しい胸痛などの症状が現れた。

 同年8月30日、王さんは病院で検査を受けた時に、脱走して放浪生活を余儀なくされた。当時、王さんの娘は2歳だった。その後、王さんの妻は王さんと離婚した。

 何もない状態下の王さんは実家に戻り、両親と一緒に暮らしていたが、逃走中のため、家から遠くない場所で行方をくらまして生活していた。その時の王さんは、結核がますます重症化し、痰と血を吐くようになり、胸痛が伴い、激痩せした。

 2019年の冬から2020年の春の間、王さんの両親は疑問を抱えたまま、相次いで他界した。王さんの母親は近年、認知症を患い、父親は脳卒中で寝たきりになっていた。

 長期にわたり居場所のない王さんは、2020年10月末に亡くなった。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/12/29/417448.html)
 
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