山東省の王鳳強さんが迫害され死亡
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 【明慧日本2021年1月5日】山東省済南市の放浪生活中の法輪功学習者・王鳳強さん(男性)は、2020年10月31日午後1時半ごろ、迫害されたため死亡した。享年48歳。

 王さんは山東省遠市の出身、1973年生まれ。1997年に山東工業大学(現在山東大学)を卒業。その後、国家公務員に合格し、山東省刑務所済南発電設備工場で働いていた。

 1996年、王さんは法輪功に出会った。法輪功の教えである「真・善・忍」に従い、自らを律し、職場の同僚に「謙遜、親切で、コツコツと働き、個人の利益に執着せず良い人」だと評価されていた。

 しかし、1999年に江沢民グループによる法輪功への迫害が始まり、王さんの職場は何度も王さんと話し、転向させようとした。王さんを長期に監禁し、洗脳班に送り、大金の罰金を科すなどの迫害をしたが、王さんは屈しなかった。職場は王さんをクビにした。収入がなくなることは王さんにとって大きな苦難だが、王さんは信念を諦めなかった。

 法輪功を学んでいるという理由で、王さんはかつて長期にわたり済南市、招遠市の610弁公室に迫害された。

 2000年から2002年まで、王さんは3年の労働教養処分を科された。2003年、元同僚らの強い要求の下、元職場は王さんを契約社員として雇った。

 2005年2月22日、王さんの妻・賈鋆与さんと義母の賈秀芳さんは歴城区公安局610弁公室に身柄を拘束された。鋆与さんは赤ちゃんに授乳が必要なため、解放された。

 2002年10月、秀芳さんは歴城区610弁公室に夜中に秘密裏に連行され、東風派出所で拘禁された。その後、脱出できたが、放浪生活を余儀なくされ、済南市公安局に指名手配された。秀芳さんは2005年2月22日、悪名が高い「済南市法制トレーニングセンター」に洗脳された。秀芳さんは断食で抗議したため、身体は衰弱した。秀芳さんの夫は洗脳班へ行き、面会を求めたが、拒否された。その結果、憂鬱になり、絶望の中、突然亡くなった。

 2006年8月23日の昼、王さんは済南市東環国際広場で法輪功のDVDを配布した時、広場の警備に見つけられ、済南市歴城区東風派出所に連行された。当日夜9時ごろ、王さんは職場と歴城区610弁公室に済南市劉長山にある「済南市法制トレーニングセンター」に送られて迫害を受けた。 

 王さんは連行されてから洗脳に協力せず、歴城区610弁公室のリーダー・張文遠に殴られ、その結果、王さんはひどい肺結核を患った。2006年8月30日、王さんは済南市胸科病院で健康診断を受けた時、脱出した。迫害から逃れるため、放浪生活を余儀なくされた。

 当時、王さんの娘はわずか2歳であった。家族の唯一の収入源の王さんが迫害されたことは家族に大きなダメージを与えた。

 2012年10月8日午前、招遠市610弁公室の警官・宋少昌、李建光など7人および金嶺鎮政府610弁公室の2人は車2台(黒と白それぞれ1台)で招遠市金嶺鎮官荘村にある王さんの実家へ行った。当時、家には王さんの父がいた。宋らは王さんのことを心配しているふりをして、父のところから王さんの住所と他の情報を教えてもらった。王さんと母が帰ってきたとたん、すぐに身柄を拘束された。警官らは何も提示しないまま、家宅捜索を始め、パソコン2台、A4紙のプリンター2台、A3サイズのプリンター2台、レコーダー1台、ラミネーター1台、カッター、資材1箱、VCD数百枚、DVD数百枚、カメラ1台、スキャナー1台、MP51台、王さんの母の自宅にある私物、現金1万元以上(約15万円)、生活用具などを押収した。しかし、押収リストは出さなかった。王さんの母はショックを受け、救心を飲んでからやっと落ち着いた。しかし、警官らはそれを無視し、王さんを連行した。

 派出所へ行く途中、王さんは同席の警官・宋少昌に名前を尋ねたが、宋は後ろめたくて教えなかった。その後、王さんは脱出できたが、家に戻れず、再び放浪生活を余儀なくされた。

 長期の放浪生活は王さんの身体に大きなダメージを与えた。また、王さんには親の最期の見送りもできず、永遠に遺憾を残した。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/12/23/416912.html)
 
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