中共最高裁の裁判長・周強の迫害事実(一)
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 【明慧日本2021年1月13日】周強(男性)は、1960年4月生まれ、湖北省黄梅市の出身で、現在、中国共産党(以下、中共)最高裁の裁判長、党書記、審判委員会委員、首席大法官を務めている。周強は、中共中央政法委の委員で、法輪功迫害の専門機関である「610弁公室」の主要メンバーでもあり、中共共青団第一書記に就任してから、湖南省省長、省党委員会書記を経て、現職の中共最高裁裁判長に、江沢民集団の法輪功迫害政策と犯罪行為を強く推進し、参加してきた。また、共青団と裁判所を直接指示、思いのままに操り、法輪功と罪のない一般人を迫害し、法輪功への憎悪を扇動した。

 周強を告発する資料は、すでに29カ国の政府に提出され、周強と家族に対してビザの拒否や資産の凍結を含む、法律に基づく制裁措置を執るよう求めている。

 一、周強の略歴

 1998年~2006年 中共青年団中央書記処第一書記

 2006年~2006年 中共湖南省委員会副書記、代理省長、中共青年団中央書記処第一書記

 2006年~2007年 中共湖南省委員会副書記、代理省長

 2007年~2010年 中共湖南省委員会副書記、省長

 2010年~2010年 中共湖南省委員会書記

 2010年~2013年 中共湖南省委員会書記、省人民代表大会常任委員会主任

 2013年~ 最高裁裁判長、党書記、審判委員会委員

 周強は中共第16、17、18、19期中央委員会委員、全国人民代表大会第9期常務委員会委員。

 二、主な犯罪事実

 1999年~2006年、中共青年団中央書記処第一書記を務める期間中の迫害事実

 中共青年団(以下、共青団)は、300万の末端組織と6000万人以上の団員を擁する中共が主導する青年組織である。1999年7月、江沢民集団による法輪功への迫害を開始して以来、共青団の巨大な組織を利用して若者に虚言と憎悪のプロパガンダを植え付け、真実を知らない青年学生に法輪功の迫害に参加させ、法輪功への信仰を根絶する目標を達成するために、中央から各階層、そして末端組織まで漏れなく通知を下達した。

 1999年7月20日に法輪功への迫害が始まった後、共青団中央(以下、団中央)は速やかに、「共青団員が法輪大法の修煉を禁止する通知」、「中央の精神を徹底的に実行し、団内で綿密な教育活動を行うことに関する通知」を連続して下達し、法輪功を誹謗中傷し、法輪功に対する憎悪を煽り、一人一人が態度を表明するよう強要した。

 同年7月24日、周強は団中央が主催した「法輪功を認識する」シンポジウムで、中共中央の「政策」を断固として支持し、実行することを表明し、高度な一致性を維持した。9月10日、中国青年報と中国青年誌の宣伝発行に関するテレビ電話会議で、周強は公然と李洪志先生と法輪功を中傷し、法輪功への憎悪を煽った。

 2001年1月31日午後、団中央は会議を開き、「全国青年文明共同体が法輪功に反対する運動」を全面的に展開した。2月1日、団中央は暗号電報の形で、「『全国青年文明共同体が法輪功に反対する運動』の実施プログラム」を各層の関連組織に下達し、精緻な計画を立て、徹底的に実施するよう要求した。

 2001年1月31日、団中央と全国青年聯盟は、北京で各界の青年を対象としたセミナーを開催し、1月23日の天安門広場焼身自殺事件を利用して法輪功を中傷し、法輪功に対する憎悪を扇動した。第一書記の周強は、会議でスピーチをし、「法輪功との戦いは、長期で厳しく複雑である」と強調し、迫害の勢いを助長した。

 2001年2月7日から、北京では、「学校で法輪功を拒否する運動」を展開した。共青団北京市委員会が編集し、若者向けの法輪功を誹謗中傷する読本を出版した。冬休みが終わって開校の初日、全市約2000人の校長は、共青団と未委会が編纂した「法輪功を理解するための北京市校長ハンドブック」を教材として、小・中学生に法輪功を憎悪する授業を行った。

 2001年2月6日、団中央の呼びかけで、中国全土の800万人の若者たちは、100都市の1000近くのコミュニティで、「法輪功に反対する活動」を行った。 共団中央第一書記の周強と関係者は、活動の発進式に参加した。

 2002年3月1日、周強は2002年度全国共青団宣伝工作大会のスピーチの中で、「青年団員は法輪功との戦いで新たな勝利を収め、若者の間で科学を崇拝し、文明を擁護し、邪教を拒否する環境ができている」と述べた。

 周強は2003年7月、共青団第15回全国大会の報告の中で、「青少年を率いて法輪功と闘う経験」を紹介した。

 2007年~2013年、湖南省省長、省党書記を務める期間中の迫害事実

 周強が2007年2月から2012年まで、湖南省の省長と省党書記を務めていた間、法輪功迫害の政策を推し進めた下で、湖南省政法委、610弁公室、公安局は法輪功学習者(以下、学習者)を思う存分連行し、労働教養、実刑判決を宣告したことによって、致死された学習者の人数が、全国でトップ10に入った。不完全な統計によると、この期間中少なくとも38人の学習者が迫害されて死亡し、多くの学習者が拘禁され、拷問を受け、高額の現金をゆすり取られた。周強は逃れられない責任がある。

 学習者の許興国さんは2007年2月28日、法輪功迫害の実態を伝えた時、公安局610弁公室の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の警官により連行された。拘禁中、許さんは不明な薬物を注射された後、涙や鼻水が出て止まらず、意識が朦朧とし、記憶も失った。許さんは帰宅した後にも、身体が非常に弱り、四肢の力がなく、めまいがし、理由もなく地面に倒れることが多くなり、2007年11月14日に亡くなった。

 学習者の郭会生さんと妻の李菊梅さんは2009年7月、学習者・肖四蘭さんの解放を求めるため、善意を持って藍山県公安局局長の席小剛に手紙を書いたが、湖南省の610弁公室へ報告された。同年8月6日、嘉禾県国保の警官らが、郭さん夫婦を連行し、家宅捜索を行い、数十万元の現金と貴重品を押収した。郭さんは両手を背中で縛り付けられ、床に押し付けられ、強く殴打されたために、頭や顔が血まみれになり、10月12日に死亡した。享年52歳。妻の李さんは留置場で4カ月余り迫害され、下半身から大出血して意識不明になったため、保釈された。2010年3月、肖四蘭さんは懲役3年の実刑判決を言い渡された。

 学習者の蒋美蘭さん(65)は、2012年9月7日に自宅で連行され、長沙市撈刀河洗脳班に収容された。9月30日、蒋さんの息子が長沙撈刀河洗脳班に駆けつけて母親を迎えた時、蒋さんはすでに危篤状態に陥り、意識が朦朧としており、全身に電気ショックを与えられた痕があった。口全体がボロボロになり、内臓も爛れ、下半身から出血しており、救急措置を受けたが助からず、10月2日の夜に無念の思いを晴らせないまま亡くなった。

(続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2021/1/9/418182.html)
 
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