【明慧日本2021年1月22日】この世で起きたいかなることも原因があります。それぞれの人の次元の違いから、事件に対する理解と認識も異なります。信仰の角度から見て、善には善の報いがあり、悪には悪の報いがあり、善悪には報いがあるのです。疫病の出現はきっと悪人を懲罰するためなのです。もし、ある地区の道徳が高尚であれば、人民の気風は素朴で善に向かい、官員は清廉潔白で、災難がなく天下が泰平であり、人々は幸せな暮らしができます。この種の文化の伝承が我が国の長い歴史に刻まれ、すでに人々の心深く入り込んでいます。このような文化の上に立って疫病の発生を見れば、理解するのはそれほど難しくないのです。
邪悪な中国共産党(以下、中共)は、「真・善・忍」を信奉する法輪功団体を邪教と誹謗中傷し、恣意に残酷な迫害、人権蹂躙、消滅を行い、佛を誹謗中傷し、正信を迫害し天が許すことのできない大罪を犯しました。最終的には清算や葬られる羽目になってしまいます。そして良心を失い悪を手助けして悪事を働き、私利私欲のために善良な人の迫害に参与し追随する者は、同じ道を辿ることになります。これらの人が悪を改め善に向かえば話は別ですが、そうしなければ天理は許さず、必ず報いに遭うのです。
河北省石家荘市藁城市を例にとって言えば、一夜の内に疫病の被害地区になったのです。中共が法輪功迫害の当初、石家荘市の法輪功学習者(以下、学習者)十数人が迫害によって死亡し、藁城市增村鎮黄家庄村之の農民・李畴人さんも含まれています。2001年12月23日、李さんは数人の学習者と家で法輪功を学んでいたところ、警官に強制連行され、留置場に拘禁され残酷に、殴打され、立たされ、睡眠を奪われ、飛行機を飛ばす(上半身を前へ屈曲した状態で壁面に強い力で押しつけ、両手は後ろ手にして伸ばして壁面に沿って上げさせる)などの迫害を受け、尿まで飲まされました。李さんは拷問で体が虚弱になりました。李さんの両親は早く亡くなり、妹は結婚しており、知能障がいの弟と2人暮らしで、2人は互いに助け合い、家庭はとても貧しかったのです。警察は李さんの妹から1500元(約23,000円)を強請って李さんを解放しましたが10日後李さんは亡くなりました。
中共の拷問イメージ図(殴打) |
藁城市增村鎮果庄村の村民・武秀琴さんは、修煉するまでは全身浮腫、糖尿病、婦人病など多くの病気を患い、よく寝込んでいました。法輪大法を修煉した後、すべての病気が消えました。2001年7月、武さんの右半身が突然感覚を失い、失禁して動けなくなり、喋れなくなりました。しかし、武さんは法輪大法を確固として信じ、20日後には奇跡が現われ、毎日快方に向かい、そして歩けるようになり、簡単な家事ができるようになりました。しかし、地元の無法者らは、憲法で認められている公民の信教の自由を侵害し、江沢民の悪しき弾圧令を実行しています。增村鎮派出所の警官らは武さんの家の鍵を壊し家に突入し、壁をよじ登ったり、天井に登るなど部屋中暴れまわり、法輪大法の書籍、煉功音楽テープを没収しました。そして武さんを強制連行して藁城市の610洗脳班に監禁して、彼女に信仰の放棄を強要しました。武さんは迫害に耐え切れずに体に病状が現われ、藁城市の610弁公室は責任から逃れるため、家族に迎えに来させました。2003年11月3日、武さんは再び洗脳班まで連行され迫害を受け続けました。普通の農村の女性が、ただ、煉功して健康になりたいために、このような残酷な迫害に遭わされたのです。
李文素さん(女性)は教師であり、97年の後半から法輪大法の修煉を始めました。それまでの李さんは神経衰弱、頭痛、狭心症、喘息などの疾病を患い、短気な性格もあって夫婦喧嘩が絶えませんでした。修煉を始めた李さんは「真・善・忍」の基準で自分を律し善い人になり、健康を得られただけでなく、家族の間も睦まじくなりました。1999年から一時的に姑と同居することになった李さんは、毎日、早起きして姑の便器の尿を捨て、暖炉の灰を片付け、部屋を掃除し、ご飯を作りました。この行動は姑と夫を感動させ、2人は法輪大法は素晴らしいと話してくれたそうです。学校においても李さんは「真・善・忍」に基づいて、真面目に仕事を行い、学校は手に負えないクラスを李さんに預けました。それまで平均が18点だったクラスが、期末のテストで全校一位となったのです。クラスは整然としていて、校長からよく褒められていました。このような優秀な教師が1999年、藁城市教育委員会に不当に解雇され、その後4回拘禁され、地元の政治保安課に6000元(約94,000円)をゆすり取られ、領収書を発行されず、3年の労働教養を強いられました。
路峰さんは增村鎮果庄村の住民で、增村鎮の中学校の教師です。献身的に仕事に取り組み、真面目に職務を果たしています。路さんは法輪大法を修煉しているため、いわゆる敏感日(4.25、7.20、国家が主催する会議)になると、学校の管理職が路さんに修煉しない「保証書」を書かせようとし、「真・善・忍」対する信仰を放棄するよう強要し、応じなければ職を失うと脅迫していました。
董翠芳さん(29歳女性)は藁城市興安珍の生まれで、河北省医科大学を卒業しています。1999年7月20日以後、法輪功が受ける迫害の陳情に北京に行ったため、度々、当地の国家安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の嫌がらせを受けました。董さんは2001年、家を離れ北京郊外で流浪生活を選択しました。2002年春、董さんは法輪功の資料を配っていたところ、強制連行され北京大興労働教養所に拘禁され、残酷な拷問を受け、2003年3月20日、冤罪によって拘禁される中で、死亡したのです。遺体の頭には穴が開いていて、全身あざに覆われていました。
藳城市では、このような案例は氷山の一角にすぎません。不完全な統計ですが、99年ごろ、藁城市で法輪功を学ぶ人は1000人以上いました。多くの家庭は受けた迫害を一言で語ることはできません。明慧ネット2005年3月の報道によると、藁城市防犯委員会は2005年2月1日、各郷、鎮(区)、市が直轄する機関に法輪功を迫害する一連の指示を通知しました。この通知から藁城市は積極的に全力で江沢民が発動した法輪功への迫害、洗脳と転向に参与したことは明らかです。通知によると、「三つのゼロ」を目標に掲げ、北京への陳情をゼロに、当地の集会と抗議をゼロに、放送電波の割り込みやパーソナル無線の電波発信をゼロにすることで、この三つの目標は学習者の自由を制限し、理不尽な嫌がらせ、不当な逮捕と拘禁、拷問と洗脳、公職の解雇、退職金の不払い、罰金などが含まれ、会社や家族まで巻き込み、酷い場合は迫害によって死亡し、家族は崩壊しています。
迫害の悪行に対する報いの警告が長く続いていますが、どれだけの人が心を静めて反省したでしょうか!
張紹国は元藁城市の書記です。2000年ごろ、法輪功迫害の最も酷い時期で、藁城市公安局は張に法輪功迫害について、「(法輪功学習者の中に)身内(官員とその家族)がいる場合どうするか?」と聞いたところ、張韶国はヒステリックに叫んだ。「誰であろうと、全員を逮捕し、殴り、処罰するのだ」。結果として2002年の春に開催された藁城市全人代大会の最中に植物人間になり、半年後に死亡しました。50歳代の若さでした。
魏立岩は政治保衛課(学習者を連行する部署)の元課長です。政治保衛課はのちに国保に名称を変更し、魏は隊長になりました。藁城市のすべての学習者は連行され、罰金を科され、労働教養を受けましたが、全て魏の指示の下で行われました。学習者・董翠芳さんが死亡したのは、魏の指示した迫害によるものです。魏は楊雪翠さん(大学講師)の強制連行に参与し、1年の労働教養に処しました。迫害に参与した結果、魏は2014年胃がんで死亡し、50歳代の若さでした。
張素苗(女性)は藁城市留置場の刑務官です。2000年ごろ、女性学習者が不法拘束に抗議するハンガーストライキを行った際、張は刑務医官と共に野蛮な灌食を行い、靴でその学習者の顔を殴ったのです。迫害に参与した結果、2003年ごろ、張の一人息子が乗っていたバイクが駐車中のトラックに衝突して死亡しました。わずか18~19歳の若さでした。
李路平は中共組織の元副部長でした。藁城市政府は度々、学習者を強制的に「転向」させる洗脳班を開催し、法輪功を誹謗中傷するビデオを見せ、修煉しない「保証書」を書かせようとし、真実を伝えるための陳情を許さず、十数日、もしくは数十日学習者を拘禁していました。李は「転向」の総責任者であり、2014年、腐敗の罪で逮捕されました。
一人や二人が悪に報われても、周囲の人たちは自分に関係ないと思い、戒めだと認識していません。疫病が来てしまった今、みんなが危険に晒されているのです! 中国国内の疫病が重い地区を見てください、法輪功の迫害が酷い地区なのです。明慧ネットの調査で明らかですが、1999年から2013年までの14年間、黒龍江省、河北省、遼寧省、吉林省、山東省、四川省、湖北省、湖南省、河南省、北京などは法輪功の迫害が最も残酷な場所で、迫害で死亡した学習者は黒龍江省が最も多く国内ではトップで、河北省と遼寧省が続いています。中共は虚言と暴力で善良な人を迫害し、利益で官員らを誘惑し神佛と学習者に対して罪を犯させています。中共の悪行こそが疫病の流行を招き、中共の正法に対する迫害こそが疫病の根源なのです!