法を正す時期の終焉を期待する心は大きな執着である
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年1月31日】先日、グループ学法の交流で、多くの同修は法を正す時期が一日も早く終わることを期待していることに気づきました。迫害が早く終わって、法を正す時期が早く終わることを期待し、中共の高圧下の恐怖感に満ちた生活はもうたくさんです。特にかつて迫害を受けていた同修に、その期待はいっそう強いのです。

 「今回、トランプ氏が大統領に再選し、直ちに中共を滅ぼせばいいな」と率直に話していた同修がいました。しかし、大統領選の結果が思わしくなかったのを見て悲観と失望を覚えて、次はどうすればいいか分からなくなっています。

 迫害が始まってから今日まですでに20年以上経ちました。大法弟子は多くの苦難と圧力を経験し、多くの同修は命を失いました。一方、大法弟子は修煉途中の人間として人心や執着を時々露わにします。

 数年も前に「どうしてまだ終わらないのか、迫害はいつ終わるのか。待ちに待った20年が過ぎたが、まだ迫害は終わっていない」と言った同修がいます。私の考えでは、修煉はあと何年続くかは大法弟子が考えるべき問題ではなく、それは師父によって決められることで、私たちはそれに執着してはなりません。しかしその問題に執着している同修は少なくないようで、迫害が終息しない限り修煉も放棄しがたいようです。

 振り返ってみると、この強い「終わりを期待する」心があるため、私たちは何度も期待して、何度も失望と落胆を繰り返してきました。「終わりを期待する」心があるため、私たちは常人社会の情勢と変化に注目して、心もその変化に動かされやすくなっています。情勢が変化するたびに、大法弟子の心が揺れ動き、その結果、いつも巨大な損失と痛ましい教訓が伴っています。

 かつての私も修煉の終焉を強く期待して、何年もその執着心に苦しめられていました。2012年、「今年に法を正す時期が終わらなければ、これから私は無条件に何でもあなたの言うことを聞く」と言って、夫と賭けをしました。当時、法理についての理解が浅く、いろいろな予言にも惑わされ、2012年の末に修煉は必ず終わると思っていたからです。しかしそうはならず、その年は穏やかに過ぎて、法を正す時期は終わりませんでした。そのことは私の心を大きく傷つけ、夫にもマイナスな影響を与えました。私はすぐに内に向かって探し、「終わりを期待する」心が見つかりました。幸いそれから夫は私に無理な要求をせず、師父と大法にも失礼な言動をしていません。さもなければ、私は大きな業力を作ることになります。

 その事以来、良いことも悪いことも、修煉者は俗世間のことに執着してはならないことを悟りました。修煉者の最終目標は円満成就をするもので、修煉過程に起きたすべてのことに対して無頓着になり、ただ師父の言葉に従うのです。師父は「三つのこと」をしっかり行うようにとおっしゃったので、我々は「三つのこと」をしっかり行えば充分です。

 修煉の途中、常人社会の変動に執着して躓いた経験を、大法弟子は何度も経験したではありませんか。修煉者は、中国の朱鎔基首相に、2008年の北京オリンピックに、「地球の大災難」というマヤの予言に、中国共産党第18期代表大会の、今の習近平政権に執着しました。常人が迫害を制止するために何かをしてくれることを期待すればするほど、かえって逆の結果になっています。

 実は、私たちは師父の言うことに従っていません。大法弟子と常人の関係とは、救う側と救われる側の関係について師父は話されたことがあります。常人は私たちによって救われることを期待しているのに、私たちはどうして常人に期待を持つのでしょうか。しかし、一部の大法弟子は他ならぬそのようにしました。

 どれだけの力を持っていても、どのような能力を持っていても、法輪功を応援しているか否かに関わらず、いかなる常人もこの迫害を終わらせる能力と資格を持っていないと思います。迫害を終わらせることができるのは師父しかおられません。

 中国共産党が崩壊するタイミングになると、我々はそれに構っても構わなくても、いずれにしても中共は崩壊するのです。しかし、常人の力で崩壊させるのではなく、すべては師父によって把握されています。今、師父はそれを行っておられないのは、多くの衆生がまだ救われておらず、多くの大法弟子の修煉はまだ成熟していないからです。

 師父は「ご存知でしょうか? 心に圓満成就を考えている人は圓満成就することができません。まして圓満成就したいのに、まだ情と財に対する執着を放下することができない人です。何も求めず自ずと得るのです! 大法弟子が今日行っている全ては歴史が皆さんに賦与した責任であり、正々堂々と行うべきことを行い、全てはその中にあります。(拍手) 圓満成就をしたいと思っている限り、圓満成就することができません」[1]と説かれました 。

 修煉は極めて厳粛なことで、まぐれで圓満成就を手に入れられるものではありません。普段から各種の執着心を取り除き着実に精進しなければ、いい加減に日を過ごすだけでは最後までたどり着くことができません。法を正すことは最後の最後に来ており、邪悪も着実に修煉していない学習者を淘汰しています。公安局が各地で行っている「ゼロ行動」もそのためのものではありませんか。

 師父が延ばして下さった修煉の時間を無駄にせず、衆生の期待を裏切らず、終わりを期待するという大きい執着を放下して修煉に精進することしか、我々には選択の余地がないと思います。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇〇三年元宵節での説法』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/1/21/418857.html)
 
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