長春の電波ジャック 目撃者の証言「容赦なく殺せ」の内幕
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 【明慧日本2021年2月15日】「2002年3月13日の午後7時頃、私が6階にある事務室に戻る時、2階にある刑事課の取調室から罵声が聞こえてきました。 私がドアを少しだけ開けて中を覗いてみると、何人かの警官が拷問を行っているのを見ました。 劉海波さんが全身裸にされて、手錠で虎の椅子に固定されており、頭は動かすことが出来ずに跪いていました。2人の警官が高圧スタンガンを肛門に挿入して電撃しており、横には折れた数本の木の棒がありました」と霍介夫さんは話した。この光景は霍さんの脳裏に深く残り、忘れることができなかったという。

 霍介夫さん(男性)は1970年、吉林省の農村に生まれ、1993年に吉林公安専門学校を卒業し、長春市公安寛城分局南広場派出所の巡査部長である。

 霍さんが、劉海波の拷問を目撃する前の週、つまり2002年3月5日、世界に衝撃を与えた「3.05電波ジャック事件」が起きた。3月5日、長春ケーブルテレビは電波ジャックされ、法輪功の真実を伝える画像が放送されたのである。このことについて霍さんは「それは全国人民代表大会の期間中のことで、このことを知った江沢民は激怒し、省の党書記である王玉君を批判し、事件の解決に向けて期限を設けた。その後、公安部が担当する事件になったのです」と話した。

 3月6日から12日までに「容赦なく殺せ」の命令を受け全市で逮捕が始まる

 「3月6日午後7時、公安局寛城分局は中堅幹部会議を開催し、周春明局長は会議で、市公安局の行動計画を伝え、全局幹部に江沢民を核心とした党中央委員会を中心に団結し、高い政治的責任感を持って艱難な任務を果たすように求めたのです。 同時に、学習者に対して常軌にとらわれることなく、厳しく処罰するよう指示を出し、全市で6000人以上の警官に行動に参加させると言ったのです。 このようにして、私たちは偵察や防備するために長い行動に身を投じたのです」と霍さんは話した。そして霍さんは緊急の命令を受けた。 長春の放送電波ジャックについて、江は、中南海で「容赦なく殺せ」という密命を出し、期日までに事件を解決するために、公安副部長・劉京を長春に急行させた。

 地元の軍隊、公安局と政府官員が相次いで動員された。狂ったように長春の法輪功学習者(以下、学習者)5000人以上を不当に逮捕し、刑務所や強制収容所に送り、秘密裏に拷問し迫害した。

 霍さんは証言の中で、「3月12日、重犯罪を扱う公安局寛城分局刑事課2班は、参与者の宿泊を提供したとして、劉海波さんと侯艶傑さん夫婦を逮捕しました。 劉海波さんは長春緑園区の春城病院の放射線科の技師です。国際刑事公安本部で、劉さん夫婦は長時間にわたり拷問を受けました」と語った。

 そして3月13日午後7時頃、寛城分局の2階の刑事課で、劉さんに自白を強要して拷問する場面を霍さんは目撃したのである。

 「偵察課の魏国寧もいました。私は艾力民隊長に「なぜこのようにするのですか?」と聞きましたが、隊長は「必ず口を割らせるのだ、上からの指示なので、大丈夫だ!」と答えました。そして私たちはその部屋から追い出されました。部屋から出てきてから魏は私に、『残忍すぎる、何か起きるだろう』と言いました。私は『彼らの大隊長・孫立東に頼んで、もう殴らないようにしてもらう』と言うと、魏は『関わらない方がいい』と言いました。私は孫隊長を探してみましたが、見つかりませんでした。事務所に戻った私は居ても立っても居られなくなり、止めなかったことを後悔しました」

 「事務所に10分ほどいて、私は再び3階に降りて孫隊長を探しに行きましたが、2階の方から孫隊長の叫び声で『隣の部屋は殴るのを止めなさい!』と聞こえました。ある人が『何かあったのか』と尋ねると、孫隊長は『この部屋の人が死んだのだ』との返事が聞こえました。劉さんはトラの椅子から降ろされて床に横たわり、孫隊長が劉さんに服を着せていたのが見えましたが、劉さんはすでに死亡していました。数人の警官が慌てて、劉さんに服を着せようとしましたが、うまくいかなかったのです。この時、魏も降りてきたので、この場面を見ました。私たちに気づいた孫は、その場から離れるように追い払ったのです。そして『艾にこの事は言わないように、彼が上に報告する』と話しました」

 それでは、長春ケーブルテレビ放送への電波ジャックの理由は何だったのか? なぜ劉さんは、電波ジャック参与者に宿泊を提供しただけで、残忍に殺害されたのか? なぜ江は激怒して「容赦なく殺せ」という密命を出したのか?

 「天安門焼身自殺」から語り始める

 2002年3月5日、長春市の放送電波ジャックの1年前の2001年1月23日、北京で世界に衝撃を与えた「天安門焼身自殺」事件が発生した。長春市の電波ジャックの放送内容が「天安門焼身自殺」の真相であったからだ。法輪功が陥れられたことが分かった長春市民は驚いた。しかしこのことが法輪功の根絶に躍起になっていた江を怒らせた。

 1992年、李洪志先生は長春で法輪大法を公に伝えられた。「真・善・忍」を原則とし、穏やかで柔軟な五式の動作があり、健康づくりに道徳の向上に顕著な効果があり、1999年の時点で1億人が法輪功を学んでいた。社会の道徳水準が回復し、人々の心が正に帰し、『陽城晩報』と『医療保健新聞』は、法輪功が人々に広く歓迎されていると報じた。

 中国国内の政界、学術界が法輪功に注目し、相当数のエリートたちが修煉を始めた。1998年、喬石氏が率いる全国人民代表大会の一部の退役幹部は、法輪功について詳細な調査や研究を行い、「法輪功は国と人民とって百利があっても、一害なし」との結論に達し、年末に江が率いる政治局に調査報告書を提出したが、この行為が江を怒らせた。1989年「六四天安門事件」を踏み台にトップの座に就いたが、能力も仁徳もない江は、喬石氏などの長老に対してわだかまりがあり、長老の意見を受け入れなかったのである。

 事実、1996年の時点で江は、公安を法輪功に潜り込み調査をさせたが、結果として問題が一つも見つからなかったのである。

 1999年の夏、法輪功は人々に広く歓迎され、1億人もの修煉者がいることに嫉妬した江が、他の常任委員メンバーの法輪功迫害を認めていない意見を無視して、一人の決断で1999年7月20日に法輪功迫害を開始した。

 2000年までは、政治局委員のメンバーは弾圧について気に留めず、山東省と遼寧省の一部を除いて、多くの省や市は弾圧に興味がなかった。体制内部も弾圧に消極的に抵抗し、広範な民衆の憤りによって、持続不可能なものとなった。

 2001年1月23日は旧正月の大晦日であり、全国民が家族と団らんし、語り合い、餃子を食べ、テレビを見ていた。突然、天安門広場で、5人が体にガソリンを撒いて火をつけた衝撃的な映像がテレビに流れた。 燃え上がる炎と消火器を持った警官ら…、そして顔が焼けた少女が人々の心を痛めた…。

 「天安門焼身自殺」事件は、江一派が、法輪功を残忍に弾圧するための最も重要な「根拠」となった。そして江が自ら陣取り、全国の大小のメディアで批判する報道を展開させた。2001年1月31日からの4日間で、新華社通信社と中国通信社のオンライン版には、それぞれ法輪功批判と糾弾する107篇の記事と64篇の記事が掲載され、14以上の省、市、自治区の「各界の人々」が相次いで法輪功を糾弾し非難した。

 その1カ月後には、中共は2000以上の新聞社、1000以上の雑誌社、数百のラジオ局、テレビ局に全面的に協力するように指示し、全国民を法輪功への憎悪の嵐に巻き込んた。この悲惨で捏造した映像が放送されると、国民の怒りを抑えられないほどに煽り、多くの人々は以前に見た法輪功の素晴らしさと、学習者が行った良いことのすべてを忘れさせられた。

 この「虚言のクラスター爆弾」の砲撃を受けて、人々は嘘を信じ始めた。 CCTVは、各階層の人々のインタビューを高頻度で放送し、それを繰り返して放送したことで、誰もがそのことを知り、法輪功に対する何億人もの人々の憎悪を根付かせた。

 情報封鎖を突破した先駆者

 2002年3月5日午後7時19分、長春市は唖然とし、そして沸き返った。

 長春ケーブルテレビの八つのチャンネルが一斉に「焼身自殺なのか、それも欺瞞?」、「法輪大法が世界に広く伝わる」などの真相を伝えるの画像が流れ、衝撃を受けた人々は、友人や同僚に電話をかけ、テレビをつけて真相を見るように伝えた。

 40分が過ぎ、50分が過ぎ、何十万人もの人々が夢から目覚め、人々の憎悪に火をつけたいわゆる「天安門焼身自殺」事件は偽りであることが分かった。焼身自殺者・王進東は全身が焼けているのに、股に挟んだペットボトルが高温の中でも原型のままで留まっている。焼身自殺者・劉春玲は、渦巻煙の中で頭を、警官による致命的な一撃を受けて死亡した。子どもの焼身自殺者・劉思影が気管の切開手術を受けているにも関わらず、3日後には話ができて歌っていた…、常識破りの脚本はミスが多く欠陥だらけで、中共が捏造した自殺の虚言が人々に知られたのである。

 アメリカの『週刊スタンダード(The Weekly Standard)』紙は、長春の電波ジャックについての長編レポートを発表した。 この記事は当時の長春の様子を記録したもので、法輪功の八つのチャンネルでの50分間の放送で、10万人以上が視聴したという。

 電波ジャックの情報が素早く中南海に伝わり、「天安門焼身自殺」が起きて1年足らずで、このように大々的にわたり暴かれたことが、江を激怒させた。正気を失った江は、「容赦なく殺せ」という密命を下し、長春市に厳戒令に置かれ大規模な逮捕が始まった。わずか数日で5000人以上の学習者が逮捕され、電波ジャックに参与した学習者数人は殴り殺された。

 中共は長春での大規模な逮捕が、国際世論の注目を浴びることを恐れ、メディアと一緒に真相を隠ぺいした。霍介夫さんは、「3月16日午後1時30分、公安局分局で刑事課部課長会議を開いた。周春明は学習者・劉海波さんの死は心臓病によると言い、遺体安置所の警備を増やすように指示し、病院に送った侯艶傑さんの監視に女性警官を派遣しました。この時の私は、どこから勇気が湧いてきたのか、『内の課は認めない、劉さんは殴り殺されたのだ、このような仕事は協力できません』と話しました。そして私は会議への参加を打ち切られたのです」と話した。

 霍さんは自分の意見を堅持し、法輪功に対する取り締まりは、法律的な根拠に欠けていると指摘したため、停職させられた。その後法輪功を支持したとの名目で15日間拘留された後、解雇されたのである。霍さんは2002年6月末、中国を離れ海外に移住した。中共が拷問で劉さんを殺害したことに霍さんは忘れる事ができず、2004年1月7日、明慧ネットに実名で証言し、劉さんが虐殺されたことを暴いた。

 19年が過ぎ去り何か起きたのか?

 「天安門焼身自殺」の事件から20年が経ち、長春での電波ジャックから19年が過ぎ去ったが、この19年の間に何が起きただろうか?

 長春の電波ジャックから半年間、非人道的に自白を強要する拷問が繰り返され、長春高等裁判所は2002年9月18日、学習者15人に対して不当な実刑判決を言い渡した。周潤君さん20年の実刑、劉偉明さん20年の実刑、劉成軍さん19年の実刑、梁振興さん19年の実刑、張聞さん18年の実刑、雷明さん17年の実刑、孫長軍さん17年の実刑、李德海さん17年の実刑、趙健さん15年の実刑、雲慶彬さん14年の実刑、劉東さん14年の実刑、魏修山さん12年の実刑、庄顕坤さん11年の実刑、陳艶梅さん11年の実刑、李暁傑さん4年の実刑となっている。劉成軍さん、雷明さん、梁振興さん、侯明凱さんの学習者は迫害によって死亡したのである。

 時間はいつも黙々と一切を記録している

 以下は、2002年3月5日、電波ジャックが発生後、江の指示した「容赦なく殺せ」に参与した各レベルの公安の警官、検察官、裁判官の19年来おかれた状況である。

 1、孫立東

 孫立東は、1952年11月生まれで長春市公安局寛城区分局刑事課の元大隊長である。1999年以降、学習者迫害の手先として、部下を率いて100人近くの学習者を強制連行した。「3.05電波ジャック事件」で学習者・劉海波さんを殺害した元凶である。2004年の初め、孫立東は事務所で急死した。部下らは「学習者を強制連行したことで悪の報いに遭った」と言っている。 彼の死後、2004年の長春市の「トップ10ニュース人物」に仕立てられ、司法部門を代表する唯一の「ニュース人物」として中共から指名された。

 中共は包み込む手法を使って宣伝したが、孫立東の急死は長春で大きな波紋を呼び、老若男女の間でも話題になった。迫害に参加した警官の家族からは、自分と子供たちを巻き込むのを恐れて、転職を希望する声が多く、恐怖に怯える迫害参与者もいて、もう江の手先になる気はないという。

 2、劉元俊

 54歳の劉元俊は、元長春市政治規律検査委員会書記である。 長春市公検法と610号室を管轄している。 1999年7月20日、法輪功への迫害を開始して以来、特に長春の学習者がテレビで真実を放送した後、劉元俊は江の「容赦なく殺せ」」の指示に従って、5000人近くの学習者を不法に逮捕し、その結果、多くの法輪功学習者を不法に重刑に処し、労働教養などを受けさせている。 2006年5月4日、肝臓ガンのため死去した。

 3、張暉

 46歳の張暉は、長春高等裁判所刑事部第一部長である。  長春の「3.05電波ジャック事件」の裁判長を務め、学習者の不当な重刑を言い渡し、2006年3月2日に脳出血のため死去した。

 4、孫万勝

 孫万勝は、元長春高等裁判所の所長で、私利私欲のために、江一派に追随して狂ったように学習者を迫害し、「3.05電波ジャック事件」の裁判の総責任者である。孫は自ら審理し長春の学習者を重刑に処した。彼は賄賂を受け取り処分を受け、悪の報いに遭ったのである。

 5、田中林

 66歳の田中林は、元長春市副市長兼公安局局長である。長春の電波ジャックが発生するまでは、度々現場に出向いて、椅子に縛り付けられて血まみれになっている学習者の迫害に直接指揮をした。2011年、田中林は警察に逮捕され、11年の実刑判決を受けた。

 5、宋利菲

 宋利菲は、元長春市高等裁判所の書記である。宋は、劉成軍をはじめとする5人の学習者を冤罪で4~20年に処した。当時、吉林省政法委副書記だった宋は、2018年6月21日、責任から逃れることができない法規違反をして調査を受けた。

 7、劉培柱

 劉培柱は、吉林省公安庁の元党委員会副書記であり、常務副庁長でもある。長春の電波ジャックが発生したのは、劉が長春市公安局副局長の職にあり、江が下した「容赦なく殺せ」の命令に積極的に実行した。2020年1月22日、劉は二つの役職を一度に失った。

 この「天安門焼身自殺事件」に関わった者たちも、犯した異なる罪を償っている。指揮した元CCTVニュース解説部副部長の陈虻は、2008年に47歳で胃がんと肝臓がんで9カ月苦しんた末死亡した。放送に携わり、国民への憎悪を煽ったCCTVのアナウンサー羅東は、2009年にリンパ腫を患い、口の中が腐乱し話ができず48歳で死亡した。2005年に「天安門焼身自殺」を『焦点訪談』で4周年の再放送した際、アナウンサーを務めていた方静は2015年に、台湾で癌のため44歳で死亡している。 まさに「善悪には報いがあり、輪廻して報いに遭わなければならない。信じなければ見てごらんなさい、天は誰かを許すことがあるのでしょうか!」

 歴史はいつも気が付かないうちに、人類に過去の洞察や未来に契機を残している。2020年1月23日、「天安門焼身自殺」から19年が過ぎ去り、武漢市はロックダウンされ、全人類は疫病がやってきたことを分かっている。時間はこのように偶然なのか、それとも天からの啓示なのだろうか? この一年の疫病の伝染経路が顕らかで、武漢肺炎は中共と親中共者に目標を定めており、だから「中共ウイルス」というのである。

 結び

 「真理はこのような力が具わり、あなたは攻撃すればするほど、あなたの攻撃がますますそれを充実させ、それを証明することになる」というガリレオの言葉がある。

 19年が過ぎ去り、劉成軍さんと劉海波さんなどの放送電波ジャックした勇士たちは、私たちに別れを告げたが、しかし、幾千万もの学習者が死を恐れることなく、街角で、高層ビル街で、そして田舎町で、大切な中国人に真実を届け、自分を大切にして、虚言に騙されないようにと伝えている。

 武漢肺炎は、今なお加速して猛威を振るっており、天からの警告であろうと、古今の内外の予言であろうと、より大規模な疫病が間もなくやってくることを告げている。学習者からあなたに『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい 』という心からの九文字の言葉を告げられた時、「あなたは必ず覚えておいてください。 2020年の武漢肺炎の時、この心からの九文字の言葉は、多くの武漢市民を危険から救ったのです。機会を失ってはならず、必ず大切されることを願っています」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/2/7/419617.html)