文/暁明
【明慧日本2021年2月19日】私は暁明(68)といいます。父は陸軍軍官学校を卒業し、国民党軍の機密事項を担当する秘書をしていました。文化大革命の時、私たちは「黒五類」(※)と呼ばれました。
小学生の頃は勉強がよくできていて、全校生徒の代表的な存在でした。しかし、中学に行くと民間の中学に配属され、基本的に授業はありませんでした。そこで私は田舎に帰って、農民たちと一緒に糞尿の桶を運ぶ荷車を引いたり、重い石を持ち上げたりしていました。都市への帰還も大変だったのです。病気だらけで、特に胃腸の調子が悪く、体調を崩してばかりでした。その後、生計を立てるために小さな店を開いて薬を売りました。
麻薬中毒者に注射器を売っていたこともあり、その間、麻薬中毒で人が死んでいったこともありましたが、その時は、お金を稼ぐために、何をすればいいのか、何をしていけないのか、何が業力を作るのか、作らないのかなど、考えていなかったのです。麻薬を直接売っているわけではないからいいのではないかと考えて、お金さえ稼げれば、何でもやりました。お金があれば、何でも手に入ります。大病が来なければ、私の考えは変わらなかったでしょう。
2018年の暮れに、私は極度の痛みで家族に病院に連れて行かれ、癌であることが判明しました。糖尿病、胃潰瘍、肩関節周囲炎、高血圧などの検査も受けました。その時の血圧は200を超えていました。
大法を修煉している妹が来てくれて、妹に「あなたを救えるのは大法の師父しかいません。『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』と心から唱えてみたら、どうですか? 血圧を下げられるかもしれないですよ」と言われました。私は半信半疑で唱えていましたが、妹が「血圧を測ってみましょう」と言ってくれたので、疑心暗鬼になっていたのですが、測ってみると130でした。信じられない、すごいと思いました。妹が言うには、これは大法の師父が励ましてくださっていますと言うので、大法の本を頼んで読んだり、大法に関する資料も読んだりしましたが、煉功はしませんでした。徐々に私は元気になっていきました。
2019年の初めに退院しました。 自宅で法輪功迫害に関する資料を読んだり、師父の説法を聞いたり、説法ビデオを見たりしました。『オーストラリア学習者への説法』というDVDを3回見て(1回目は理解できませんでした)、わからないときは、理解できるまで早戻しをして、字幕(師父の法)を読みました。
師父の説法を見ているとき、禁煙という念が生じ、次の日には煙の臭いをキツく感じました。20年以上禁煙に挑戦してきましたが、20年も辞められなかったのに、大法の本を読んで本当に禁煙できるなんてすごいと思いました。心の中で師父に感謝し、しっかりと修煉して真の弟子にならなければならないと思いました。
ちょうどしっかり修煉をしようとしていた時に妨害が来て、急に「病気」になってしまいました。家族から市内の病院に入院させられ、その時は悟りが浅かったのですが、まさか師父が浄化してくださるとは思ってもいませんでした。その時「元気になったら、しっかり修煉しなければならない」と思っていたので、病院の他の患者さんに大法の素晴らしさや、妹が法輪大法を修煉して癌から回復したことを話しました。その後、1日2回煉功をしました。朝5時に起きて煉功をし、日中は大法の勉強をしました。そうこうしているうちに、日に日に元気になっていきました。
ある日突然、脳血栓症になったかのように意識不明のまま再び地面に倒れ、家族に連れられて再び病院に行きました。これはまさに師父が説かれた、「ところが、あなたが修煉するとなれば、彼らは承知しません。『お前が修煉すると、お前は行ってしまい、しかも功が伸びるのだから、こっちは手が届かなくなり、お前をつかまえられなくなる』と、承知しません。あらゆる手段を考えてあなたを妨害します。修煉させないようにいろんな手を尽くして妨害し、あなたを本当に殺しに来ることさえありえます」[1]と同じです。私は借りを返さなければなりません。私はこれほど多くの業力を作ってしまって、私の病気の業力に対するこれらの数少ない反応は、常人からみると、私の命を奪いに来ています、もし私が師父に保護されていなかったら、私はずっと前に死んでいたでしょう。慈悲深い偉大な師父に感謝致します
大法を修煉する機縁は得難いですが、これからどんなに困難なことがあっても粘り強く頑張っていきたいと思います。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
(※)黒五類(こくごるい):中華人民共和国において文化大革命初期に、出身論(血統による差別)に依拠し、労働者階級の敵として分類された5種類の階層のこと。具体的には地主、富農、反革命分子、破壊分子、右派を示し、その家族も含めると中国全土で2億人が存在したとされ、共産党組織への加入、就職、入隊等で差別を受けた。