文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年3月12日】今年、私は70歳になりました。1968年に田舎に行った際、農作業ができなかったので負けん気を起こして、地面をシャベルで掘る時、鍬やシャベルの持ち方がわからなかったので、左手の手首をひねってしまい、しばらくすると手首の骨が突き出てきて、それからは左手で仕事ができなくなりました。片手で洗濯するしかなく、当時、私は若くて、家から遠く離れていて、誰も私の面倒を見てくれる人がいなかったので、片手で作業するしかなかったのです。あれから、50年以上が経過しました。
1998年10月に法輪大法を修煉し始めてから、法輪を抱えることができず、左半身の手首、腕、肩、足が特に痛くなり、何度か泣いたことがあります。以前は30分法輪を抱えることも難しく、動きも普通ではなく、さらに1時間、法輪を抱えることになったときは、左手首から骨が突き出てきたり、特に頭の両側に法輪を抱える時、手が腕と一直線に立たなかったり、左手の高さが耳と一直線になっていなかったり、何年も苦労しました。
ある日「法輪を抱える動作を基準どおりにしなければならない」と思い、鏡を見て、手首、肘、肩、頭を壁にもたれさせて行い、とても痛かったのですが、左手がまだ基準になっておらず、一秒一秒が過ぎる中、娘も時々手伝ってくれ、痛くても一時間法輪を抱え続けました。後に息苦しくなってきたので、師父の詩「大覚は苦を畏ず 意志は金剛より鋳られる 生死に執着無く 坦坦たり正法の路」 [1]を暗唱し、真・善・忍を暗唱し、ただただ耐えていました。
このような日々の中耐えていると、師父の詩「圓満となって佛果を得る 苦を嘗るをもって楽とす 身を労するを苦と算せず 心を修するは最も過ぎ難し」 [2]がしばしば頭の中に叩き込まれてきました。
ある日、坐禅しながら静功を煉って、結印をしようと思うと左手首に特別な痛みを感じました。煉功を終えて手首を見てみると、突出していた骨が元の位置に戻っていて、まだ痛かったのですが、傷跡は全くなく、手首の痛みは10日ほど続きましたが治りました。
今では手と腕が一直線になり、動作も基準になり、腕もあまり痛くなくなりました。それは本当に「弟子正念足りれば 師は回天の力有り」 [3]ということになります。
慈悲なる偉大な師父は私のために耐えてくださったことに感謝します!
注:
[1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「正念正行」
[2] 李洪志師父の詩:『洪吟』「その心志を苦しめる」
[3] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「師徒の恩」