文/瀋陽市の大法弟子・辛明
【明慧日本2021年3月16日】本当の自分と、偽りの自分とは何かを考える時、私個人の理解としては、偽りの自分は人間の執着で、本当の自分は神の本性です。このように説明するのは容易ですが、実際に偽りの自分を捨て、本当の自分を復活させることは難しいのです。なぜならば、それは大法弟子の修煉の目的と過程だからです。
この世に生きている人は、自分のために生きていると思っていますが、実は後天的に形成された人間の観念や七情六欲、名利心、闘争心、顕示心、嫉妬心、色欲の心、歓喜心など、偽りの自分のために生きているのです。更に、この偽りの自分は1人だけではなく、人心の数と執着心の数だけ、偽りの自分が存在します。今の人々はインターネット、携帯電話、パソコン、ゲームなどから離れられませんが、社会環境の変化によって、より多くの偽りの自分が生まれます。しかし、本当の自分はたった1人で主元神です。多くの偽りの自分が本当の自分を支配し、加えて、人間の迷いの環境と汚染によって、本当の自分の純粋で善良な本性が埋もれ、失われてしまったのです。
どのように偽りの自分と本当の自分を区別するのでしょうか? 師父の言われることに従い、大法に照らして自分を修め、自分は修煉者だと認識すれば、本当の自分と偽りの自分を見分けることができます。例えば、トラブルに遭い、言い訳をして他人に責任を押しつけ、相手の短所ばかり見ているのは偽りの自分です。内に向けて修め、自分の悪いところを探している場合は本当の自分です。怒り、争い、怨恨は偽りの自分で、忍耐、寛容、善良は本当の自分です。名利を争い求めることは偽りの自分で、名利に拘らないのが本当の自分です。利己的になることは偽りの自分で、無私なことが本当の自分です。色欲に溺れ、欲望的になるのは偽りの自分で、色欲に動ぜず、淡々としているのが本当の自分です。顕示、歓喜することは偽りの自分で、冷静で、穏やかなことが本当の自分です。修煉者とは、偽りの自分と本当の自分を見分けて、真に自分を修めなければなりません。そうでなければ、正念と精進が足りず、本当の自分に責任を持っていないことになります。本当の自分と偽りの自分を区別して、確実に修めれば、やっと向上できるのです。
万物にはみな生命があり、人類社会で最も尊い生命は先天である本当の自分の主元神です。偽りの自分は本当の自分に憑依した後の天の生命です。生命はみな生きていきたいので、修煉は偽りの自分と本当の自分との生死の戦いです。偽りの自分が滅びれば、本当の自分は復活できます! 主意識が強くない時、正念が足りない時、執着を手放せない時、偽りの自分と本当の自分を区別できない時に、偽りの自分が本当の自分をコントロールし、修煉者の基準に合わないことをさせるのです。そして、偽りの自分が大きくなり、生き延びる機会を作るのです。もし、私たちが自分を修煉者として認識し、心を用いて学法し、主意識と正念を強く持ち、執着と人心を放下し、更に何事も大法の法理で自分に対して要求すれば、本当の自分の正念が主になります。正々堂々と堅く修煉できる大法弟子になれば、偽りの自分は徐々に滅亡し、本当の自分が覚醒して復活し、正果を修めて円満成就に向かって行けるのです。
師父の説法をもとに、同修と励まし高め合っていきたいと思います。「今日は復活祭であり、神が復活する日です!(熱烈な拍手) 多くお話しませんが、今日という良い日に大法弟子の神の一面を復活させましょう!」[1]
以上、個人の浅い悟りです。法に則っていないところがあれば、ご指摘をお願いします。合掌!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『各地での説法六』「二〇〇四年復活祭ニューヨーク法会での説法」