貴重な書籍を1ページ読んでがんが消失 三退を勧め10年が1日のよう
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 文/日本の大法弟子が口述し同修が整理

 【明慧日本2021年4月3日】私は今年すでに70歳を過ぎ、2004年春に法輪大法を修煉し始め、現在(訳注:2021年3月)まですでに17年間が経過しました。大法を修煉して以来、毎日大法の恩恵を受けており、この上ない幸福を感じ、歩む道で師父の慈悲とご加持に感謝申し上げ、今日(訳注:2021年3月)少しばかりの修煉体験をお話いたします。

 一、修煉を始める

 1999年7.20以前、私の息子はすでに大法を修煉していました。7.20の時は息子はすでに日本におり、はっきり覚えているのですが、その時は息子は毎週家に電話してきて、話す内容で最も多かったのは大法がいかに素晴らしいか、どうして中国共産党(以下、中共)の迫害に遭っているのか、私たちはうそを信じてはいけない、ということでした。しかし、私たちは毎日いつも中共のテレビでの洗脳プロパガンダを見ており、まったく大法の真相を聞くことができず、さらには「国家が修煉させない以上は修煉してはいけない」などと、ひたすら息子に勧めました。

 2004年春、娘が米国に行く前に私たちに一度総合健康診断を受けさせ、検査結果は私の体内に腫瘍があることを示し、入院治療が必要で、私は呆然となりました。息子は知った後、法輪功を修煉してみるよう何度も勧め、さらにすぐに電子版の『轉法輪』を送ってきました。プリントアウトした後、私はびっしりとした字を見て「どうやってわかるのか?!」と思いました。私は幼いころから数年も勉強しておらず、ほとんど字が読めず、書くことはなおさらで、この人生で本を読み字が書けるようになるとは思ってもいませんでした。しかしなぜか私はこの本はまた素晴らしいと思い、そこで一文字一文字尋ねながら学び、一文字一文字理解していき、ゆっくりと一言をマスターし、一言一言が1段落につながりました。『轉法輪』の第1ページを、私は1カ月以上かけて読み、やっと学び終えました。

 1カ月以上が過ぎ、私はちょうど第1ページを学び終わり、病院に再検査に行き、検査結果を見ると、主治医は「体内のしこりはなくなりました」と言いました。私はまるで信じがたく『轉法輪』をわずか1ページ読んだだけで、体のしこりが無くなってしまうなんて?! 医者もとても不思議に感じましたが、検査結果が目の前にあり、確かにがんはなくなっていました。

 私はあまり字が読めず、またさらに師父が説かれる法もよく理解できませんでしたが、ずっと心を込めて法を学び、すべての字をみな読み、私は「これは師父が私が心を込めていることをご覧になったので、私の病業を取り除いてくださり、これで体はよくなったのだ」ということを悟りました。

 私は長年神経衰弱、胃潰瘍、婦人病など多くの病気を患い、いつも夜になっても眠れず、力仕事はできませんでした。かつて知人の紹介を信じ神や佛にすがり、病気治療のために医者を求めましたが、まったくうまくいきませんでした。しかし『轉法輪』を拝読する過程で、これらの病気がすべて消えてしまい、体はこの上なく軽く感じ、本当に無病で全身が軽く、師父の慈悲深い済度に感謝申し上げました。

 法を学ぶ過程で、私が『轉法輪』の中の「円満」の2文字(円満成就の意味)を読んだ時、突然「円満とは師父に従って家に戻ることである」というその中の内包がわかりました。法輪大法とは私が輪廻転生で待っていたものであり、「私は法輪大法を修煉しなければならず、私は師父について家に帰ります」と決めました。

 二、修煉

 2005年初め、初めて親戚を訪ねるために日本に来て、五式の功法をマスターしました。しかしはじめは座禅がまったくできず、さらには片足の座禅でも両足とも高く上げ、毎回いつも米袋で押さえて、縄で縛り、はじめて続けることができました。このようではありましたが、私は毎日煉功を続け、ゆっくりと、少しずつ片足の座禅が安定してきて、それから両足の座禅も少しできるようになり、私は毎日五式の功法を修煉し続け、師父のご加持の下、約2年後ようやく両足の座禅を1時間できるようになりました。2018年に第二式の1時間の音楽が発表された後、私は毎日第二式の功法を1時間煉功し続けました。

 私は修煉を始めるのが遅く、学ぶのもゆっくりだったので、ただ時間を無駄にせず多く法を学び多く煉功することができるだけでした。

 大法は本当に不思議で、学ぶ心を持っている限り、できないものは何もありませんでした。私はほとんど字が読めない状況下で、学法を堅持し、知らないうちに、私は『轉法輪』を通読できるようになり、私はそれから各地での説法を学び始め、各地での説法は読めない字が多く、私は聞きながら覚え、ゆっくりでも読めるようになりました。現在(訳注:2021年3月)私は毎朝法を1講学び、夜に時間があると各地での説法を学びます。師父が新経文を発表なさるたびに、いつも読めない字がありましたが、私はすでに恐れなくなり、すぐに読めるようになりました。

 活動拠点で真相を伝え三退を勧め、衆生のために仮名や幼名を書かなければなりませんでした。この過程も私にとってとても不思議で、私が書きたいと思いさえすれば、書くことができましたが、字が曲がっていて、とても読みづらく、時には筆画さえ間違っており、家に帰ってから息子に渡し、時にはどんな字なのかわからないものもあり、息子が私に尋ねにきて、私は書きたかった字を息子に伝え、息子がそれから書き直しました。このようにして、私が書ける字はどんどん多くなり、教養のある同修と比べるとまだまだですが、どうにかこうにか衆生のために対処して仮名や幼名が書けるようになりました。これは大法の威力が私の体に現した奇跡でした。

 同修との交流の中で、多くの人がみな師父の『論語』を暗唱できることがわかりました。私も暗唱したくなりましたが、どのように覚えればいいのかわからず、焦りました。息子は私に「最初に二つの単語を覚え、この二つの単語を覚えてから、また二つを覚え、一つの文を覚えてからまた一つの文を覚えれば、いつか覚えることができます」と伝えました。私はこの方法がいいと感じ、思いもしなかったことにすぐに本当に『論語』を覚えました。活動拠点に行く道で、私は何度も『論語』を暗唱し、絶えず法の中に溶け込み、本当に素晴らしかったのでした。

 修煉を始める前は針仕事をするのも老眼鏡を着用する必要がありました。修煉を始めた後は当然老眼鏡を着用しますが、老眼鏡を着用しないとはっきり読めませんでした。3年前のある日に活動拠点で1人の年配の同修に会い、私よりさらに年上で、その年配の同修は、眼鏡をかけなくても大丈夫で読んでいるのはさらに小さい『轉法輪』だ、ということを伝えました。私はそれを聞いた後に啓発を受け「これは師父が私を悟らせてくださっているのではないだろうか?」と思いました。それなら私も眼鏡をかけたくありませんでした。家に帰るとすぐに眼鏡を捨て、それから私はもう眼鏡をかけず、本を読み法を学ぶのにメガネは必要なくなりました。法輪大法は超常的であり「修は己にありて、功は師にあり」[1]であり、私にこのような考えがあり、このような願いがありさえすれば、師父はすぐに私のために行ってくださるのです。

 三、悪人に通報され警察に家宅捜索を受ける

 日本の親戚を訪ねている間、私はさらに多くの大法の真相を知りました。2006年秋にビザの有効期限が切れたため中国に戻り、ある工場でアルバイトをしました。労働者は皆知り合いで、時間があれば私は法輪大法のすばらしさと自分が修煉した後に心身に起きた大きな変化を伝えました。仕事を終えて食事を終え、戸別に訪問し、二言三言あいさつした後、大法の真相を伝えました。訪問した先ではみな私の話を聞きたがり、ある人はさらに「迫害がなくなったら、私たちもあなたと一緒に大法を学びます」と言いました。このようにして私がいる村は伝え終わり、付近の村に行き、だんだん遠くなりました。私はすべての機会を利用して大法のすばらしさと迫害の真相を伝えました。こんなにすばらしい功法を、私はさらに多くの人が大法を修煉しに来てほしいと思い、このような考えがすべてでした。

 初めて通報される

 ある時、家から30キロ離れた自由市場で買い物をし、物売りに出会い機会を見つけて真相を伝え、結果その物売りに通報されました。問い合わせのために家まで来るようにと県警を呼びました。私たちの村は比較的辺鄙で、警察が来たと聞き、何が起こったのかと同郷の人がたくさん見に来ました。私は生まれてから初めて警察と向き合い、緊張しておびえ「あなたは法輪功を修煉しているのですか」と聞かれた時、恐れる心がすぐに起き、自分が大法弟子であることをあえて認めず、ただ「私は日本に行っている間、法輪功はどのように良い人になるのかを人に教え、法輪功を修煉している人の体は健康で、世界中の多くの国の人々がみな修煉し、ただ私たち中国だけが修煉させないのだ、と聞きました」とだけ言いました。私が「煉功していません」と言うのを聞くと、警察は帰っていきました。

 その後で私は後悔し、中共に直面したために、私は大法を修煉していることをあえて認めず、大法が世界に広く伝わっている真相を話しましたが、大法を修煉していることを積極的に認めなかったことがもたらした恥と後悔を消すことはできず、もし再びこのような機会があったら、私は必ず正々堂々と「私は大法弟子です」と人々に伝えます。

 この出来事の後、私は今度は真相を伝えに出かけることに注意深くなり、自分を保護することに注意し始め、相手の受け入れ能力に合わせて、どの程度まで伝えるべきかをすぐに判断しました。善良で縁のある人に会った時だけ多めに真相を伝えました。師父の慈悲とご加持の下で、私は揺るぎなく力の及ぶ限り真相を伝え続けました。何も資料がない時は、私は言葉だけで伝え、どこへ行っても、その場所で真相を伝えました。

 2回目の通報

 2007年の年末、私は再び親戚に会うために日本にきて、女の子の孫を世話しました。元旦の間に実家に電話をしてはじめて、私が出ていくのと入れ違いに、翌日に警察が私の家にきて家宅捜索を行ったということを知りました。ドアが壊され、私が大法を修煉している証拠を警察が徹底的に集めようとし、家具もみな蹴破り、物を床に投げつけました。警官たちは『轉法輪』を1冊奪い、さらに師父の写真を奪いました。

 私は親戚の一人が新聞記者で、警察が電話の監視を通じて親戚の新聞記者が私たちと連絡を取ったことを知り、新聞社の社長を通じて、脅迫して利益で釣り、私の日本での住所と電話を親戚の新聞記者に白状させようとし、迫害を海外にまで拡大し、引き続き私を迫害しようとしました。親戚は警察に協力しようとせず、最終的に辞職を迫られました。親戚は電話の中で何度も「決して帰ってはならない、彼らはあまりにも悪い」と言いました。それから私も二度と中国へ帰っていません。今(訳注:2021年3月)、老母も90代で寝たきりになっており、いつも私の名前を呼び、私に会いたがりましたが、私は帰って親孝行することはできません。

 四、真相を伝え人を救う

 ある中国の同修が交流会に投稿した文章の中で、その同修は最初は伝えることはできず1日に1人三退させればそれでいいと思った、ということを言っていました。その後ゆっくりと毎日三退する人がどんどん多くなっていきました。私は「私はさらに伝えることができず、北京語でさえ話すことができず、もしかしたら私は大法弟子の中で最もバカな弟子であるかもしれず、そんな私は2日に1人三退させよう、私は真相を伝え三退を勧めに行かなければならない」と思いました。

 私は師父にお願いし「私も真相を伝え人を救いに行かなければなりません」と申し上げました。すぐに、師父が按排してくださり同修が私を連れて東京の池袋に真相を伝えに行きました。

 始めたばかりの時私は何もできず、さらに致命的だったのは私の話が方言であり、多くの人がみな理解できなかったことでした。ある30歳代の上海の人が、いつも池袋に来て、上海の方言は私の故郷の方言に似ており、その上海の人は私が伝える話を理解してくれました。その上海の人が来るたびに私はその上海の人に少し伝えましたが、最後の重要な瞬間に何を言うべきかわかりませんでした。ある日、この若者(訳注:上海の人)が自分で「それなら私を三退させてください」と言いました。私は「これは師父が私を励ましてくださっているのだ」とわかり、これが私のはじめての三退の成功であり、それから私の三退を勧める道が始まりました。

 師父は毎日縁のある人が真相を聞きに来るように按排してくださり、毎日いつも誰かが三退しに来ました。

 このようにして、毎日頑張り、真相がわかり三退をする人数がだんだん多くなり、少ない時は1日十数人で、多い時は1日に50〜60人三退させることができ、私は救い済度されえる衆生のために喜び、救い済度されえる衆生たちの無事と幸せを本当に祝福しました。

 2010年ごろ、銀座の観光客が特に多く、観光地の人手が不足で、協調を担当する同修が、私が銀座へ行って真相を伝えるよう按排した、と言いました。銀座八丁目に歩道橋があり、雨を避けることができ、それは良いことで、雨が降る日も真相を伝えることができ、重要なことは雨が降る日も多くの中国人観光客が来るということでした。今回(訳注:2021年)行けばちょうど10年で、10年来、風雨に関係なく、私は毎日いつも観光地に行って真相を伝え続け、人を救うことは急務であり、私は家で座っているわけにはいきませんでした。多くの感動する出来事に出会い、ここではいくつかの例を挙げて皆さんと交流したいと思います。

 ある時、1人の軍人が来て、公式の口調で、軍隊の上級士官だと名乗りました。私は「あなたの位がどれだけ高くても、お金がどれだけあっても、やはり平安を保たなければりませんよね? 中共は悪いことしかしておらず、法輪功を迫害しています。天が中共を滅ぼし、三退だけが平安を保つことができます。私はあなたが無事で幸せになれることを願っています」と言いました。その軍人はゆっくりと顔色を変え、最終的に三退に同意しました。

 またある時、4人の中国人の警官が来て、私は追いかけて行って警官たちに「あなたたち警察は庶民の警察であり、私たち庶民を守っていますが、天は中共を滅ぼし、私はあなたたちが平安であることを願っています。三退だけが平安を保つことができます」と伝えました。最終的に警官たち4人はすべて三退しました。

 ある時、50代の人が来て、私を見るなり「あなたは天から来た人だ」と言いました。その人は、自分は天目が開いており多くのものが見える、と言いました。私は「歓喜心を起こしてはいけない、大法弟子の誰が天から来た人ではないというのか? 見えたのならそれでいい」と自分に言い聞かせました。同じようにその人に三退を勧め、その人はすぐに三退しました。

 中国人観光客は銀座に来た後、大型バスからいつもバタバタと大勢の人がおりてきて、こんなに多くの貴い中国人を見ても、私はやはり伝えることができないので、私はパネルを掲げて人々の中を行き来してパネルを見せました。同修が作ったパネルには写真があり真相があり、善良な人が見て、見ようとしさえすれば救われるチャンスがありました。

 ある観光客は銀座を一回りして戻ってきて、道端で座って休むことがあり、私は観光客たち一人一人にパネルを見せ、多くの人が指をさし「法輪功、法輪功」と言い、さまざまに議論を交わし、真相に耳を傾けてくれる縁のある人に出会うと、聞き終わった後に三退させることができました。

 活動拠点で真相を伝え、私は行脚しているかのように少し感じました。師父は「行脚は非常に辛いことで、社会の中を放浪し、物乞いをしながら、いろいろな人に出会って、嘲られたり、罵られたり、いじめられたりして、どんなことにも遭遇する可能性があります」[1]と説かれました。

 ある時、20代の若者がおり、私はその若者に真相資料を渡し、その若者は資料をつかんでバラバラに引き裂きました。私は怒らず、その若者を見て静かに「いいですか、このようなことはあなたにとってよくないことで、法輪功の資料は人を救うためのものです」と言いました。言い終わるとまた無視されました。しばらく経ってその若者がひと回りして戻ってきて、その若者が自分から資料を1部取りに行くのを見て、私は急いで駆け寄って行って「お兄さん、よく読んでください、早く三退して平安を保ちましょう」と言い、その若者はうなずき、三退に同意しました。

 2020年2月以降、中共ウイルスが発生し、銀座は空になり、中国人観光客はいなくなりました。

 協調を担当する同修による調整を経て、2020年4月から、私と他の数人の同修は、入国管理局の前に行って真相を伝えることにしました。毎日多くの中国系住民に接触し、三退人数も大幅に減少し、時には1日に数人が三退し、最も多い日でも三十数人でしたが、江沢民の告発に署名する人の数は増加しました。

 活動拠点から家に帰った後、私は故郷の家族をどうやって救い済度すればいいのかと考えました。夜に時間があると、故郷の親戚や友人に電話をかけ、時には誰かが親戚や友人の家を訪ねているのに出くわし、時間を惜しんで三退を勧めました。私の2番目の弟は工場を経営しており、2番目の弟の家では毎日いつも多くの人が訪れに来て、私はいつも2番目の弟に電話をかけ、縁のある人に出会うと三退を勧めることができました。ある時は一気に5人を三退させました。私はさらに真相を理解した衆生に真相を彼らの家族に伝えてもらい、さらに真相を理解した衆生たちの仕事が順調であり、平和で幸せであることを祝福しました。電話では人々は話を聞きたがらないので、私は孫娘にパネル資料の内容を紙に書いてもらい、それから映像を通じて人々に見せ、人々に心からの九文字を覚えてもらいました。

 五、病業の関を乗り越える

 大法を修煉して以来、何回もの病業の関を経験しました。

 2018年のある日に銀座で真相を伝え、私は突然めまいがして、立っていることすらできませんでした。私はすぐに傍らに座って正念を発して妨害を排除し、良くなった後、早めに家に帰りました。なんとか家に家に帰った後、息子に「今日私は食事を作れない、立っていられず、寝ないといけない」と言いました。息子は急いで私にものを食べさせてから休ませました。私はまず正念を発し、旧勢力のいかなる妨害をも否定し、少し良くなったと感じ、誰も食事を作っていないことを思い出し、料理を作ろうと思いました。息子は「寝てください、食事は作らなくていいから」と言いました。私はお風呂に入りたいと思いましたが、風呂場に行く力さえありませんでした。私は「旧勢力の按排を認めてはいけない」と思い、私は壁にしがみつきながら師父の写真の前まで移動してひざまずき「李洪志師父、私を救ってください」と申し上げました。言い終わった後に立ち上がり、すぐにとてもよくなったと感じ、一人で風呂場に行って体を洗い、その後はすべて正常でした。「大法弟子は師父にお任せします」と思いました。

 何度も高熱を出し、第二式功法の法輪を抱える動作で腕を上げられないのではないかと心配し、私は師父にご加持をお願いし、それからすぐによくなりました。

 自分が輪廻転生で作った業はとても大きいので、師父はすでに私のために多くの業を消去してくださいましたが、私を向上させるために、さまざまな段階で無数の配置に分割して私を向上させ、業力を消去してくださいました。師父に感謝申し上げ、どんなことに出遭おうとも、私はいつも自分が大法弟子であることを忘れません。

 大法を修煉する前、私はさらにどう考えてもわからないいくつかの出来事に出くわし、ここでは一つの出来事だけをお話いたします。

 1998年私の身に重大な交通事故が起こり、私の右足は車に押しつぶされ、足首が粉砕骨折になり、骨がすべて砕けました。救急車に病院に運ばれ、石膏で固められました。主任外科医は「だめだ、この足は障害が残る」と言いました。私は「これからは歩くことはできない」とため息をつきました。1カ月以上が経って石膏を開いてみると、医者は「とても良いなっています! 砕かれた骨片がなんとみな治っており、障害はなく、ただ傷跡があるだけです」と言いました。医者はみな不思議に思いました。

 何年か後の今日(訳注:2021年3月)、私はこのことを思い出し「なんと師父はすでに私を保護してくださっていたのだ」とやっとわかりました。今(訳注:2021年3月)は活動拠点に行くたびに、最も重い資料を持ち、私はいつも恨まず悔いを残さず、これが私が行うべきことだといつも思い、師父が私に与えてくださったものと比べると、まるで何でもないことでした。

 修煉の中で、私にはさらにやり足りないことが多くあり、特に内に向けて探し心性を修煉する問題において、まだまだ足りないと感じ、私は今後心性の修煉において向上に努めなければならず、トラブルの中で絶えず自分を向上させなければなりません。なぜならトラブルの出現は偶然ではないからで、もし「トラブルの中で絶えず自分を向上させる」という念を持つことができれば、もう少ししっかり行うことができます。しかし、もしトラブルの中でトラブルを解決したいと思うならば、常人に陥ります。

 最後に、私は『洪吟四』の中の詩を用いて皆さんと切磋琢磨し励まし合い、私の交流を終わりにしたいと思います。

 意志は堅く

 苦難の中で生まれ
 生きるために必死に苦労し
 いったん法を得たら
 回帰の足取りが停まらないように

 以上は私の少しばかりの修煉体験であり、正しくないところがあれば、同修の皆さんの慈悲深いご指摘をお願いいたします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/3/9/421542.html)
 
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