【明慧日本2021年4月3日】(黒竜江省=明慧記者)佳木斯市の法輪功学習者・劉秀芳さんは、中国共産党(以下、中共)による長年にわたり迫害を受けてきた末、2021年1月29日、体調不良の40年以上連れ添った夫を残して永遠に目を閉じた。
劉秀芳さん |
劉さんは1995年5月23日から法輪功を学び、それまで苦しんでいた病気がすべて消えた。しかし、中共による22年間法輪功への迫害の中で、劉さんは8回も連行され、労働教養を3回強いられ、1回実刑判決を宣告され、様々な拷問を受け身体に大きなダメージを与えられた。
2020年7月のある日、佳木斯市向陽区の九州コミュニティの関係者と建設派出所の警官らは、「ゼロ行動」を実施するため劉さんの自宅に行き、法輪功を放棄する書類に指紋を押すようにと劉さんに強制し、さらにビデオカメラで撮影した。迫害を受けて寝たきりになった劉さんは、自分の本心に背いたことをさせられたため、心理的に大きな傷となり、体調はますます悪化し、6カ月後に亡くなった。
一、留置場で滅多打ちにされる
1999年7月20日、劉さんは法輪功の無実を訴えるために北京に行ったが、佳木斯に戻され、200元をゆすり取られ、留置所で15日間拘束された。
2000年の正月の終わりに、劉さんは建設派出所の警官らに再び連行され、留置場に拘禁された。留置場で、警官らは長さ1メートル以上の竹で、劉さんを激しく殴り続けた。劉さんのお尻や太ももが黒紫色になり、留置場の女性警官でさえ見ていられず、「ひどすぎる」と言ったという。
拷問のイメージ図:滅多打ちにされる |
二、労働教養を科され、死人ベッドに縛り付けられる
2000年10月4日、劉さんは北京へ陳情に行ったが、天安門広場で連行され、1年の労働教養を強いられ、佳木斯西格木労働収容所に拘禁された。劉さんは李洪志師父を誹謗中傷する看板を取り外したため、平手打ちされ、さらに3カ月の刑期を加えられた。また、一週間以上死人ベッドに縛り付けられ、ちょっと動くと、手錠が皮膚の中に食い込んでしまい、胸の痛みも伴い、その辛さは言葉で表現できないほどのものであったという。
拷問の再現:死人ベッドに縛り付けられる |
三、再び労働教養を科される
2002年12月12日、劉さんは、馬学俊さん、左秀雲さん、王清栄さん、戴麗霞さんなど7人の学習者と共に、待ち伏せていた警官らに連行され、2年の労働教養を強いられた。
佳木斯西格木労働収容所で、劉さんは労役をさせられ、両手を背中に回されベッドの枠に手錠をかけられた。半年後、劉さんは解放された。2005年4月7日、劉さんは再度警官らに連行され、2年の労働教養を科され、長時間小さな腰掛に座らされるなどの拷問を受けた。半年後、劉さんは解放された。
拷問の再現:両手を背中に回されベッドの枠に手錠をかけられる |
四、懲役3年の実刑を宣告される
2009年2月12日、劉さんは自宅に押し入った佳木斯市前進公安支局の警官ら十数人に連行され、5日間連続してトラの椅子に縛り付けられ、3日間食事と睡眠を奪われ、劉さんは失禁した。その後、劉さんは懲役3年の実刑を宣告され、佳木斯市刑務所に拘禁された。
拷問のイメージ図:トラの椅子 |
法輪功を学んでいない劉さんの夫と息子も同時に連行された。夫は平手打ちをされ、3日間トラの椅子に座らされ、最後に、警官が捏造した証拠の書類に拇印を強制された。息子さんは市公安局に2日間拘束され、一晩中手錠をかけられ、携帯電話を押収された。
おとなしい劉さんの夫は解放された後、過度のショックを受けて何も喋らなくなり、記憶力が落ち、認知症の症状が出て、数年経っても回復していない。