文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年4月7日】数日前、私は自分の空間場にまだ正されていない変異した要素があることに気づきました。身近なごく普通のことでも私はすぐに苛々してしまい、その落ち着かない気持ちがどこからやって来ているか分かりませんでした。
表面的には、「考えが万全でなければよくない影響をもたらすのではないか? 安全上の問題はないのか?」といった心配のようでしたが、掘り下げていくと、強い「自我」の変異した物質が深く隠されていることが分かりました。この偶然にも思える不安な気持ちが現れてこなければ、それを容易に見つけることはできなかったでしょう。
では、「自我」と「無神論」はどのように関連しているのでしょうか?
今朝、師父の詩『洪吟五』の「明示」を暗記していました。
明示
私たちは大法徒である
とても良いものと祝福を携えて
真相を人々に現し、済度する
世の風紀と道徳は、益々低俗になり
現代の観念と行為には毒がある
無神論は神性を覆し
進化論は人と神を冒涜した
私は歌声で真相を伝え
神と共に舞い、あなたの危難を取り除く
伝統の道から離れて、危険な道を歩まないで
創世主は、すでに人間のところに降りている
危難の前、人を救い、早く目覚め悟らせる
世人が待っているのは彼しかなく、こんがらがらないで
真相は天に通じており、再び躊躇しないように
私は、「無神論は神性を覆し」という言葉が深く心に響き、ふと自分の空間場にこの変異した物質が残っていることに気づきました。と同時に、この変異物質に関係する自分の良くない状態の数々が目の前に現れてきました。
常人社会にいる私は、常に自分が他人より優れていて、誰もが私による保護を頼りにしていて、皆が可哀想で大変だという習慣的な観念を持っています。そのため、私は人間の情を持って物事に対処し、自分の思い込みで他人を「助け」、無意識に相手の自尊心を傷つけてしまったにも拘らず、自分の「好意」を受けてくれない相手を「恩知らずだ」と責めてしまいます。このような悪循環の中で、周りの人たちの大法に対する敬意が薄れてしまうこともありました。
実際、これは自分が邪党の「無神論」の宣伝に汚染されてしまったからです。20年以上修煉してきて、これが根本的な問題だと思います。つまり、自身の空間場には、大法や師父を敬っていない要素があり、常人社会で形成された考え方、柔軟性が欠けている物事への対処の仕方、大きなことをして功績を上げたがり、自分が他人より優れていることを顕示したがるなどの党文化による習性があります。これらの潜在的な変異物質が、修煉における私の振る舞いが大法の要求から大きくかけ離れてしまうようにさせた原因だと思います。
師父の法によって造られた私たちは法の中で絶えず自分を正し、法に同化していかなければなりません。私たちの修煉の一切も含めて、宇宙のすべては師父の掌握の中にあります。それならば、なぜ私は「天の功を貪る」ことができ、心性がまだ基準に達していないのに、自分が大法を超えていると思うことができたのでしょうか? 個人的な理解では、まさに「無神論」という腐敗した物質がまだきれいに取り除かれておらず、徹底的に解体されていないからです。本文を書く目的は、それを完全に解体し、再び操られないようにするためです。
わずかな浅はかな体得に過ぎず、法に符合しない部分があれば同修の慈悲なるご指摘をお願いします。
【編集者注:この文章は筆者の個人的な観点を代表しているものであり、正しいか否かについては筆者個人が責任を負うものとし、読者は自身で判断してください】