3回冤罪を着せられた湘潭市の教師・呂松明さんが死亡
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 【明慧日本2021年4月21日】(湖南省=明慧記者)湘潭市電気機械会社の付属中学校の元教師・呂松明さんは、誠実で心が優しく、湘潭市の「見義勇為奨(正義感から捨て身で人助けをした人)を受賞したことがある。法輪功を学んだという理由で、呂さんは3回、計14年の不当な判決を宣告され、赤山刑務所、網嶺刑務所、津市刑務所で拷問を受け、重度の心不全となり、数十回命の危険に晒されたことがあり、2018年8月に帰宅したが、仕事をする能力を喪失し、非常に窮迫した生活を送っていた。2021年3月28日の夜、53歳の呂さんは亡くなった。

吕松明

迫害される前の呂さん

 呂さんは幼い頃に母親を亡くし、父親に育てられた。 1990年、湖南師範大学の歴史学部を卒業し、地元の中学校教師となった。1996年に法輪功を学び始め、心が優しい良い教師として知られていた。

 呂さんは自分の信念を貫いたため、2001年に勤務先から除名された。それ以来、呂さんは3回不当な判決を宣告され、累計14年間4カ所の刑務所に拘禁され、長期にわたり吊るし上げられ、ひどく殴打され、スタンガンによる電気ショックを与えられ、超負荷の労働を強制され、長時間立ったまま姿勢を強制されるなどの拷問を受けた。そのため、完全に健康を失ったが、「真・善・忍」への信念は変わらなかった。

 懲役5年を宣告され、赤山刑務所で拷問を受ける

 2001年3月11日、呂さんは法輪功の資料を人に手渡したとして、警官に連行され拘禁された。その後、懲役5年の実刑判決を受けた呂さんは赤山刑務所に収容された。刑務所で6日間睡眠を剥奪され、「大」の字にして手錠でベッドに固定された。その後、警官は呂さんに「三書」を書くよう強要したが、呂さんは従わなかったため、殴打された。

酷刑演示:死人床

拷問の再現:死人ベッドに縛り付けられる

 長年の強制労働を強いられた呂さんは、体が非常に弱り、毎日15~16時間も立ちっぱなしで働いていたため、足が腫れて歩くこともできず、毎日職場まで運ばれていた。

 2003年1月20日の朝、呂さんは労働を拒否し、警官に「毎日15、16時間の超負荷労働、長期にわたり吊し上げ、殴打などが法に違反しており、また毎日14~18時間直立を強要され、監房には多くのネズミがいて、掛け布団は噛み砕かれ、夏には蚊が山ほどいる」と訴えた。その話を聞いた警官は、大変な怒りようで、呂さんを12時間吊るし上げ、2カ月間、夜寝る時にも手錠をかけるように命じた。

中共酷刑示意图:吊铐

拷問のイメージ図:吊るし上げられる

 医療従事者の受刑者2人が、長いチューブを呂さんの胃に挿入して灌食した時、痙攣を起こし、呂さんは窒息状態になり青紫色になった。吐き出された流食が圧力で、0.5メートルの高さまで噴出し、受刑者の服に飛んだ。受刑者らは呂さんを地面に倒し、手足を踏みつけ、瓶を口に入れて強く押したため、呂さんの歯はすべて緩んだ。

酷刑演示:野蛮灌食

拷問の再現:野蛮に灌食される

酷刑演示:顺地拖着走

拷問のイメージ図:地面を引きずられる

酷刑演示:

拷問の再現:スタンガンで電気ショックを与えられる

 2006年、呂さんは解放された。しかし、妻は当局に脅迫され呂さんと離婚してしまった。それから、家庭を崩壊された呂さんは靴の修理や落花生を売るなどして、生計を立てていた。

 再び懲役5年を宣告され、津市刑務所で拷問を受ける

 2007年2月4日、呂さんは双峰県の街で法輪功の資料を配った際、警官に連行された。その後、双峰県留置場に11カ月間拘禁された呂さんは、再び懲役5年の実刑判決を言い渡されて常徳津市刑務所に収容された。

 刑務所で、呂さんは「転向」を拒否し、奴隷のような労働も拒んだ。そのため、呂さんは警官の指示を受けた受刑者に殴打され、左脳に打撃を受け、頭部麻痺の寸前となった。その後も、長期にわたって、さまざまな体罰、殴打などの迫害を受けた呂さんは重い心臓病と高血圧症の症状が現れ、十数回も危篤に陥った。

 2008年2月、呂さんは重労働を拒否したため、警官の指示を受けた受刑者に服を引っ張られ、背中を押された。それで、呂さんの歯全体がぐらぐらに緩み、徐々に抜けてしまい、6本しか残らなかった。

刑務所で拷問され歯が抜けた呂さん

 2012年2月3日、障害を負った呂さんはやっと解放され、帰宅した。

 再び懲役4年を宣告され、網嶺刑務所で拷問を受ける

 呂さんは2014年8月31日、湘潭市梅橋で法輪功の資料を配っていた時に、梅橋派出所の警官に不当に連行され、翌日家財を押収され、湘郷市留置場に拘禁された。

 2014年12月9日の午前、呂さんは再び裁判にかけられ、懲役4年の実刑判決を受け、網嶺刑務所に拘禁された。

 迫害され死亡

 2018年8月31日、呂さんは4年間の冤罪を終えて帰宅したが、身体が衰弱し働けなくなり、野菜市場で捨てられた野菜の葉っぱを集めて生活していた。

 2021年3月28日の夜、頻繁に心不全を起こしながら苦しい生活を送っていた呂さんは、53歳で亡くなった。

 
(中国語: http://www.minghui.org/mh/articles/2021/4/3/422900.html)
 
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