同修夫婦の離婚問題についての認識
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年4月27日】今世で夫婦になった同修は、大きな縁があるに違いありません。家庭による妨害がなく、共に大法を修煉し、共に三つのことを行うことができ、素晴らしい事だと思います。しかし、修煉において、夫婦の間にトラブルがないわけではありません。夫婦はそれぞれの執着心を取り除かなければならないため、必ず様々なトラブルが現れ、しかもみな常人の形で現れます。法に基づいて問題を見なければ、常人の様なトラブルに陥り、長引くと、常人のように離婚することになるかもしれません。これらは、長年修煉する中で、周りにたくさんの例が見られます。

 家庭のトラブルは本当に修煉によって解決できないのでしょうか?

 師父は「修煉者はどこにおいても良い人であり、相手のことを考えなければなりませんが、なぜ家でご主人のことを考え、思いやってあげることができないのでしょうか? 私たちは未来の人類に最も素晴らしいものを残すのではありませんか? 二人とも修煉者で、お互いに思いあっていれば、なぜ離婚がありえるのでしょうか? 壊すことができないほど固い仲であるはずです」 [1] と語られました。

 修煉者として、私たちは家の中でも、人のことを考える良い人にならなければなりません。夫婦として、互いに相手の長所も短所もよく知っているのですから、なおさら相手を理解し、寛容になるべきです。相手の立場から考え、法に基づいて問題を考えれば、夫婦の間でどんなトラブルも解決できるのではありませんか?

 私は大学生時代に法輪大法の修煉を始めました。当初から大法を修煉する人と結婚したいと思い、その後願いは叶いました。しかし、結婚してから、自分の思い通りに上手くいかず、十数年にわたって、家庭生活の中でいろいろなトラブルが起きてしまいました。離婚しようと考えたこともあり、その寸前までなりました。ある日、私はふと「個人的な観念を抱いていて、これは修煉なのか? 修煉することとは観念を修めるべきことなのに、自分はその観念を放棄しようとしていない。私は大法の要求に従って行なうべきではないか?」と考えました。不思議なことに、私が自分の観念を変えると、物事に対する見方も変わり、以前の考えはとても愚かなもので、私がそれらの観念を真理だと信じ込み、固く守っていたことに気付きました。

 離婚は、今日のような現代社会の変異した形式であり、神と佛の教えから遠くかけ離れています。私たちは最大限に常人社会の状態に符合して修煉していますが、決してこのような変異した離婚の形式に符合するわけにはいきません。それに、夫婦の間でも互いに修める必要があり、師父が説法の中で語られたように、協調を担当する人も修煉者であり、同じくトラブルに遇うことがあるので、遠回りをして避けてはいけません。法に基づいてトラブルに直面し、内に向けて自分の問題を探さなければ、トラブルのなかに陥って抜け出すことができません。どんな環境にも同じことがあり、夫婦である同修の間だけにとどまりません。

 私は乗り越えてここまで歩んできて、共に同修である夫婦が離婚してしまうのを見ると、とても残念に思います。師父が按排してくださった夫婦が一緒に修煉し、共に精進する道をよく歩まず、修煉の機会を逃すことになります。私の周りにも長年トラブルに陥っていた同修もいれば、何かするとすぐ離婚しようとする同修もいます。修煉の時間と環境を大切にするとともに、師父に御加護をお願いすることも師を信じ、法を信じる現れでもあります。私たちが本当に自分を変えようとする考えさえあれば、師父はきっと私たちが修煉の道をよく歩めるよう助けてくださいます。

 夫婦の間でよく修めることは大法を実証することでもあり、衆生の善を啓発し、衆生を救うことになります。

 以上は私の現段階での認識に過ぎません。正しくないところがあれば、ご指摘をお願いいたします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法六』「アジア太平洋地区学習者会議での説法」

 【編集者注:この文章は筆者の個人的な観点を代表しているものであり、正しいか否かについては筆者個人が責任を負うものとし、読者は自身で判断してください】

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/4/21/423559.html)
 
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