根本的な執着心を取り除けば 円満成就できる
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文/サンフランシスコ・西洋人の大法弟子 

 【明慧日本2021年5月2日】数カ月前、私はある道理を悟りました。「私たちはどれだけ多く真相を伝える仕事をしても、プロジェクトをどれだけ成功させても、どれだけ多く煉功をしても、または自分がどれだけの衆生を救ったと思っていても、もし私たちが根本的な執着心を取り除かなければ、私たちは円満成就できないと思います。なぜならば、法を実証し、真相伝えることはこの迫害を終わらせるためであり、私たちを円満成就させるためだからです」

 私はもう一つ悟ったことがあります。ある角度から言えば、私たち1人1人が独立した空間にいて、そして私たちはこの空間をきれいにしなければならず、私たちの執着心も含まれます。そうしなければ、法を正す全体の進展が延長され、1人1人がこれに責任を負わなければなりません。師父は弟子に最も素晴らしい按排をしてくださっています。私たちはすべきことを必ず終わらさなければならず、師父の按排に協力しなければいけません。そうしなければ、多くの事が延長され、そして修煉ができている同修と私たちに託した無数の衆生は、ずっと待たなければなりません。

 ですから私が悟ったことは、向上する機会が目の前にあり、すべての根本的な執着心を取り除く機会も目の前にあり、自分によって法を正す進展に阻害する要素を作ってはなりません。私は自分の根本的な執着を取り除くと決心した後、最近、多くのことが発生しました。それは私が間違ったことをしたとき、すぐ指摘を受け、自分はどこが間違っていたのか、どのようにして正に帰すればいいのかを分からせてくださいます。それでは2例ほど挙げて交流したいと思います。

 長い間、私は色欲心が時々現れ、少しの色欲の考えだけだからと、厳格に取り除いていませんでした。それは大きな問題ではないと思い、ある時期になるとこの執着が自然に消えました。しかし、実際は消えてはいませんでした。私は根本からこの色欲心を取り除こうとしたとき、身体中に違和感を覚えました。数日続けて発正念をしてその執着心を取り除いた後、大きな変化が現れ、色欲に直面しても自分の念をコントロールできるようになりました。

 2例目はもっと明らかになっていました。私は毎日二回学法をするようにしています。昼間は大紀元のグループ学法に参加し、夜はオンラインで学法をしています。学法をしているときによく妨害され、息子の用事がある時もあれば、何かやらなければならない仕事があるのではないかと考えてしまいます。そこで私は学法をするとき定力が足りていないことを認識し、さらに奥深く探してみると、法に対する尊敬が欠けていました。

 およそ2週間前、私の学法はいつもよりもっと状態が悪かったのです。私は学法中にほかの部屋に行っていろんなことをしていました。時にはショートメールやメールの返事をすぐにしなければならないとも思いました。特に私たちはオンラインで学法していますので、「メールの返事を書こう」という念に妨害されやすいのです。この時、私は確かに妨害されていました。

 そして学法をしているとき、身体に不適切な状態が突然現れました。呼吸が苦しく、熱もあって口も乾き身体が弱っているのを感じました。幸運なのは、すぐその原因が分かったことです。私の最初の一念は、この状態は自分が真面目に学法をしていない、法に対しての不敬によって招いてしまったということです。このような自分を情けないと思いました。これは師父がこの機会を利用して私の身体を浄化して下さり、問題の重要さを認識するように按排して下さったのだと思いました。このようにしなければ、私は永遠に学法を重視していなかったことでしょう。

 発正念をしたあと、大分良くなったように感じ、数日後、完全に元に戻りました。ある日の朝、左の胸に赤い斑点があることに気づきました。しかし、私は特に気に留めませんでした。翌日、その斑点は広がり、しかも色がとても赤くなっていて、痒く感じました。私はこのことを気にしていませんでしたが、後にその部位に感染症の症状が現れ、その斑点に近い部位からも黄色い液体が流れだし、黄色い水疱が現れました。そこで、私は「常人の角度から見れば、私は毒蜘蛛に噛まれたのか、でも噛まれたあとはないし、しかも毒蜘蛛は服の上から噛むことはできない」と思うでしょう。しかし、この症状の始まりは、ちょうど私が真面目に学法をしないために引き起こされ浄化された翌朝のことでした。このことは偶然ではないと思いました。全体から見れば、この按排はどれほどの緻密さがあったのでしょう。

 2週間後、胸部の色が引き始めました。私はこの出来事を通して教訓を学んだことに喜びました。長年来、私は全身全霊で学法をしておらず、法を敬う気持ちで学法していませんでした。

 私が感じたことは、私が向上しようとする願望があったとき、師父はこの魔難を通じて、自分の問題の所在を認識させて下さいます。小さな出来事のように見えますが、実際はとても厳粛なのです。修煉の機縁が瞬く間に過ぎ去り、法を正すことがいつ終わってもおかしくありません。私たちは修煉の向上の機縁を必ず大切にしていれば、円満成就できるのです。

 【編集者注:この文章は筆者の個人的な観点を代表しているものであり、正しいか否かについては筆者個人が責任を負うものとし、読者は自身で判断してください。】

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2021/4/9/423163.html)
 
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