着実に修煉して、はじめて向上できる
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文/日本の大法弟子  

 【明慧日本2021年5月7日】私はあることに気づいています。海外の多くの同修は、どのように内に向けて探すべきかが分からないために着実に自分を修めることができず、結果的に同じ次元に長く留まってしまい、様々な魔難にしつこく纏わり付かれ、言葉にならないほどの苦しい思いをしています。真相を伝えることや法を実証することをしっかり行うことができないだけでなく、修煉による次元の向上に対する自信でさえ失ってしまった人もいて、非常に危険です。

 実は、師父は『轉法輪』の第1講の最初の二つの小見出し、「本当に高い次元へ人を導く」、「異なる次元に異なる法あり」を以ってすでに明示されています。

 自分の次元での理解としては、師父は初めからこの二つの小見出しで弟子たちに天機を明らかにされています。つまり、一旦、私たちが修煉を始めると、師父は絶えず私たちを高い次元に連れて行かれ、絶えず人間から異なる境地(次元)の神が知るべき天機と法理を明らかにして下さるのです。

 これは紛れもない事実です。もし着実に修煉し続けることができず、遭遇するトラブルや魔難が絶えず次元を向上させ、業力を消去し、自身を清め、神やさらなる高次元の神に向かうための良い機会であると捉えることができなければ、私たちは人間の次元、または神に向かう道中の一つの次元に長く留まることになるでしょう。業力が積み重なっていく中で、最終的には魔難から抜け出せなくなってしまうかもしれません。これは師父の教えに従わず、着実に修煉しなかった結果です。

 着実に修煉しなければ、師父が絶えず開示されている各次元の天機と法理が見えず、自身が絶えず師父によって高い次元に引き上げられる過程を経験することもなく、法を読むとき、次元が向上した後に法が明らかにして下さる異なる次元の異なる法理も見えません。そのため、大法に対して困惑が生じ、信念を失うことにもなりかねません。

 海外の大法弟子の中には、国内の厳しい迫害環境による試練がないため、高い次元まで修煉できず、ひいては自分の根基がよくないと考える人もいます。これは、大法修煉に対する完全な誤解です。

 師父にはできないことは何もなく、大法は万能です。どんな小さなことでも修めることができ、身分や教育水準、住んでいる場所や迫害を受けているかどうかは関係なく、誰でも修めることができます。ただ一つ、トラブルの中で自分の人心と向き合い、放下する勇気があるかどうかだけです。人心さえ放下すれば、師父は弟子を一視同仁に扱われるのです。また、大法修煉による次元の向上も目覚ましいものです。

 師父は『轉法輪』の中で釈迦牟尼佛について言及されたとき、このようにおっしゃっています。「彼は四十九年間にわたる説法の間も、絶えず自分を高めていました。次元を一つ上がる度に振り返って見ると、説いたばかりの法はみな違っていました。さらに上がれば、先に説いた法もまた違ってきました。四十九年の間に、彼はこのように絶えず昇華していきながら、次元が上がる度に、自分の以前に説いた法は認識が低かったことに気づいたのでした」[1]。この一節に、私は深い感銘を覚えています。というのは、長年の修煉の中で、私は肌でこれを経験してきたのです。多くの大法弟子も同様の経験をしてきたと思います。私たちの修煉に伴って法理も絶えず高まっていき、精進している同修にとって、その高まるスピードは信じられないほどのものでしょう。

 身近にいる同修ですが、去年、彼女が家庭のトラブルの中で厳格に自分を修め、良くない人心を次々と取り除いていく中、法理も絶えず顕現してきたと彼女は言いました。毎回、魔難や争いの中で、相手がどんなに悪くても、彼女は必ず自分自身を探していました。彼女が言うには、やっと内に向けて探し、着実に修煉することに潜む天機が分かったそうです。つまり、法理は詮索して得られるものではなく、着実に修煉して、人心を取り除いた後に師父が示して下さるものであり、着実に修煉しなければ、いくら考えても考え出せないのです。

 以前、各地での説法を読めば、着実に修煉することを経ずに新しい法理、さらに高い天機が見えると思っていた彼女は、それが完全に好奇心で、神のみ知ることを知ろうとする人心の働きによるものだと分かってから、思い出す度に赤面してしまうと言いました。

 今回、着実に修煉してから、彼女は何度も私に「修煉のとりこになってしまった」と興奮気味に言いました。それは、彼女が単に自分自身を見つめ、人心を見つけ出して隠そうとせず、夫や子供を責めず、真心から内に向けて探すという法理に従って行動しただけで、師父は彼女が法を読む度に新しい法理を見させたのです。時には、本の内容がまるで新しいものかのようでした。また、漸悟の過程も彼女の身にはっきりと現れていました。彼女は何度も私にこう言いました。「私はやっと分かりました。どこでも修煉でき、圓満成就できるのです」

 より高い法理が分かるようになったため、彼女は明慧の文章にある多くの国内の同修たちが経験している魔難がどのようにして生じたのか、迫害の中でどうすれば正しいのかが分かり、文章を読むだけでも昇華していると実感し、内心の神の状態がますます明らかになっているのを感じていると言いました。

 20年ほど修煉してきて、修煉とは何かが分かったのはこの2年だけで、十数年も時間を無駄にしてきて、本当に後悔しても後の祭りだと、彼女は感慨深く言いました。また、彼女は未だに自分に修煉の機会を与えて下さり、すべての弟子のために時間を延ばされ、皆が人間から抜け出て神に向かうのを待って下さっている師父のご恩に感謝し、これからは一分一秒を惜しんで修煉に励んで、はじめて師父の苦心なる期待と引立てに申し訳が立つとも言いました。

 子育て中の主婦である私の修煉には、特筆すべき大きな出来事はありません。編集の仕事以外に、私は主に日常生活における些細なことの中で自分を修めてきました。上述の同修と同じく、私も自分を厳しく律して内に向けて探すたびに、師父がすぐに業力を消去して下さり、次元を向上させて下さり、奇跡や高次元の法理を示して下さることを経験しました。同修が言っていた、自分の向上に伴い本全体の意味合いがすべて変わってしまったという感じ方は、最近の私にもよく起こり、ますます明らかになっています。大法の偉大さは本当に言葉では言い表せないほどのものです。

 簡単な一例を挙げてみます。成人した娘は自分の私的な事にはあまり口出ししてほしくないと言っています。現代の観念や法律もそうなっているため、私は娘の意思を尊重することにしました。しかし、母親としては娘が道徳的に堕落している彼氏を持つのではないかと常に心配してしまうのです。もちろん、そのようなことはまだ起こっていませんが、当時はどうしてもその心を放下できませんでした。ある日、娘はおしゃれをして、私に挨拶もせずに出かけてしまいました。そこで、私は不安に駆られて、あれこれ下らないことを考え始めました。「もしかして男性とデートしに行ったのではないか? 騙されたらどうしよう? 相手は修煉者ではないよね?」。そのとき、私は自分の恐れる心が出てきたのを自覚し、「放下しなければならない。これは人心だ。子供に対する情を取り除くべき時期が来た」と自分に言い聞かせながら、絶えずこの恐れる心を消すようにも努めました。以前はこのやり方でも効き目がありました。

 しかし、師父の私に課されている基準がすでに変わり、ただこうするだけでは上手くいかないことに私は全く気づくことができず、完全にこの恐れる心を消すことができませんでした。私はひたすら「師父の法理にはっきりと書かれているのではないか? 人にはそれぞれ自分の運命があり、それが定められたものなので、気にする必要はない」と自分に言い聞かせて、これで修めていると思っていました。これが今までの私の修煉の経験とやり方でした。しかし、どうしてもその心を放下できませんでした。

 悟らない私を見兼ねて、師父は同修に電話をかけるように按排してくださいました。電話の中で、私は心配事や修める過程を話し、直ちに内に向けて探し、恐れる心を取り除こうとした自分が褒められると思ったのですが、彼女は一言で私の問題を言い当てました。「あなたは向上する必要があります。元の修める方法に留まり続けてはなりません。あなたは自分の恐れる心を慰めています。その恐れる心が、師父の法理を探してそれ自身を慰めようとしているだけで、あなた自身は修めていないのです。気づきませんか? だから、あなたの恐れる心が消えないのです。今でもあなたはそれを自分の中から取り除いていないのです。恐れの中で恐れを修めても、永遠に恐れを根絶することはできません。あなたの本当の生命は神であり、そこにはそもそも恐れが存在しません。その恐れはあなたではなく、その恐れの感覚もあなたのものではなく、それが偽りのあなたであり、あなたの身体にくっついている一層のものだけです。早くそれと分離して、はじめて師父があなたのためにそれを取り除いてくださるのです」

 「そうだったのか!」と気づかされて、私は同修の口を借りて啓示を下さった師父に心から感謝しました。その後、身体が変化していることをはっきりと感じました。また、学法の際は真新しい法の内包を読み取れるにつれて、すべての心の取り除き方について新たな認識を得ることができ、次元の昇華も身をもって体験することができました。そのとき、すべての情緒や感覚が自分自身ではないことが分かり、かつて見えていた人心に対する見方も変わり、人間の次元の物事がはっきりと見えるようになり、それらに簡単に動じられることはなくなりました。

 しかし、師父は私がこの認識に留まることを許されませんでした。まもなく、私はすべての人心や偽りの自我は旧勢力が按配したもので、輪廻転生の過程で蓄積され、完全に旧勢力によって押し付けられたものだと分かりました。現れる執着心のどれもが按配されたものであり、どのタイミングでどのような心が出てくるかはすべて、旧勢力によって計画されているのです。そのため、元から人間の身体が有する執着心であれ、様々なマイナス的な情緒であれ、または外部による妨害であれ、どれもが真の自分ではありません。今回も、小さなことをきっかけに内に向けて探す過程でようやく分かりました。そこから、私は執着心についての理解が深まり、旧勢力による迫害を徹底的に否定すべき意義もより分かるようになりました。

 内に向けて探すことで、私はいつでもどこでも自分を高めることができ、それに伴い法理も高まっていきました。その後、人心が現れると、私はすぐに気づくことができ、こう否定しました。「これは私ではなく、旧勢力が私に感じさせ、認めさせようとして私の肉体に按配したものだ。そのような念が動じれば、それに力を与えることになり、按配された難も私の身体に置かれることになるだろう」

 それらの策略を見破って、私は「すべての人心は私ではない。隙に乗じて悪事を働くことを考えるのはよせ!」と、きっぱりと否定しました。その後、私の人心はますます少なくなり、その気配を察知すると、一瞬にしてそれを解体することができます。こうすることができるようになったのは、長年の着実な修煉が欠かせませんでした。そうでない場合、どうしても人間の心の感覚や苦痛などの感情をすべて自分のものとして考えてしまいます。たとえ法理にはっきりとそれがあなたではないと書かれていても、あなたはそういう法理があると知っているだけに留まり、真に理解できないでしょう。

 私の次元は本当に限られたものであり、誰もが同じような向上の状態にあるとは限りません。ほんの小さな一例、しかも私の個人の修煉の道のりにあるものだけを挙げさせてもらいました。

 高い次元の法理は、着実に修煉してからはじめて読み取ることができると、私は身をもって知りました。着実に修煉しなければ、永遠に人間の次元から抜け出すことはできません。師父による高い次元の法理の開示がなければ、高い次元の法理による導きもなく、神へ向かうことは不可能でしょう。修煉は非常に厳粛なことです。着実に修煉してはじめて神になることができます。残された僅かな時間を惜しみ、トラブルの中での向上のチャンスを大切にし、急いで向上しましょう。

 個人の次元での僅かな悟りに過ぎず、法に符合しない部分があれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

【編集者注:この文章は筆者の個人的な観点を代表しているものであり、正しいか否かについては筆者個人が責任を負うものとし、読者は自身で判断してください。】

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/3/28/422559.html)
 
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