文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年5月8日】3月5日午前6時30分に正念を発し終えた後、私は法を暗記し始めました。寒さを感じたので、ベッドに入って寝ていました。夢の中で、5、6歳の女の子が「知らない人が私の住所を聞いてきました」と言いました。その言葉で私は警戒し、何か悪いことが起こりそうな気がして慌てて警官に電話をかけましたが、電話はつながリませんでした。
住所を聞いてきた人は、空き地に走って行き、そこで誰かに話しかけていました。その人が振り返り、手を振り始めました。すると、地面から数10人の人が突然現れてきました。どの人も凶悪な顔をして、大きな棒を振っていました。彼らは私の名前を叫びながら、私の家に向かって走ってきました。
ショックを受けた私は、すぐに緊急連絡先110に電話をかけましたが、つながりません。心臓がドキドキして目が覚めました。
夢の中の光景は、私に衝撃を与えました。夢とはいえ、とても鮮明だったのです。私は異次元の光景を見ることが許されているのだと思いました。この人たちは私が負っている業の負債を回収しに来たのだと思いました。私がショックを受けたのは、私がとても多くの業の負債を抱えているということでした。
私は子供の頃から体が弱く、病気がちでした。法輪大法を修煉するようになってから、私の健康問題は解決しました。それから特に大きな苦難もありませんでした。師父がしてくださったことに感謝する代わりに、私は自分の業がほぼ返済されていると思っていました。
夢の中の人々が持っていた大きな棒は警鐘の象徴でした。この20年間、私の修煉の道はかなり順調だったことを理解しました。それは私の業が減少したからではなく、師父が私のために大きな業に耐えてくださっていたからです。師父は、私が法輪功への迫害の実態について人に話すとき、危険な状況も解決してくださいました。
慈悲深い師父は、私が地獄に落ちないようにしてくださいました。また、私を浄化し、私が一生かけて犯したほとんどの業を受け止めてくださいました。もし、師父がいなかったら、衆生を救うことはおろか、この大きな業を返すこともできなかったでしょう。私がここまで来られたのは、師父が守ってくださったからです。
修煉者が出会う事は偶然ではありません。私は自分自身に問いかけました。なぜこの夢を見たのでしょうか? どんな執着を指摘されていたのでしょうか?
それは、私の修煉の状態に大きな漏れがあることを意味していると感じました。漏れが大きすぎて、大きな棒が数十本ないと目が覚めないのです。これは緊急事態ではないでしょうか。真剣に自分を見つめ直さなければならないと思いました。
自分の修煉の道を調べてみて初めて、私は暇や快適さに執着していることに気づきました。そのため、私は修煉を怠り、常人のように快適さや楽しさを追求していました。その結果、私は次第に真面目に修煉する気力を失っていきました。自分でもびっくりするくらいのスピードで落ちていったのです。
最悪なのは、それに気づかず、自分では精進しているつもりになっていたことです。香港民主化デモ、そして昨年のアメリカの選挙では、ニュースやソーシャルメディアを追いかけることに多くの時間を費やしました。煉功をしても、法を読んでも、正念を発しても、落ち着くことができませんでした。結果に執着するあまり、不公平だと感じていました。私の心は状況の変化に合わせて上下しました。法を読みながら、最新の状況について考えていました。
師父は「中共は最後のあがきをしており、人に危害を加えるため社会を掻き乱しています。大法弟子はこの混乱した状況に動かされないようにしてください。根本を守り抜いてはじめてこの混乱した状況を正しく認識することができます」[1]と説かれました。
私は師の説かれたことに従わず、人間世界の変化に執着しすぎていました。私の心は法に向いておらず、次第に修煉者としての正念を失っていきました。その結果、競争心、恨み、不公平感、対立した時に外に目を向けるなど、多くの執着が出てきてしまいました。その結果、修煉が落ち続けていたのです。
特に今年は、自分の外見を気にするようになりました。他人と同じような格好をしていないと、真実を明らかにするための努力の効果に影響するからです。買い物に行っても、新しい服を買ったりしました。結局、時間を無駄にしてしまいました。素敵な服への執着が再び芽生えてきたのです。
夫が体調を崩していたので、夫のために特別な食べ物を買い続けていたら、冷蔵庫があふれてしまっていました。若い頃は食べ物に関心がなかったのですが、買い物をしているうちに食べ物を欲するようになりました。ある日、私は冷蔵庫に詰め込まれた食べ物の種類が、他の次元での欲求や執着に対応していることに気づきました。
コロナウイルスの影響で、旧正月には子供たちが1人も遊びに来ませんでした。そのため、今年は過去10年間で最もリラックスした新年になるはずでした。この貴重な時間を使って、三つのことをするべきだったのです。しかし、私は感傷的な気持ちを捨てきれず、夫が1人でテレビを見ていると寂しい思いをするのではないかと思っていました。なので、CCTV(中国中央電視台)は見ないと言っていたのに、毎晩一緒にテレビを見ていました。お菓子も食べました。
何日か前から、夜中に正念を発する時間になると、アラームが聞こえなくなりました。おそらく、アラームが鳴った後、無意識のうちに消してしまったのでしょうか。その後、私は起きて朝の煉功をすることができなかったです。
朝6時に正念を発し終えても、私はいつもベッドには戻らず、結跏趺坐の姿勢で法を唱えていました。次第に、横になって唱えるようになりました。そして、最後には寝てしまいました。
夢を見た後、私はようやく何が起きているのかを理解しました。今では、これは深刻な問題だと思っています。修煉についていけないので、足も痛くなってしまいました。煉功をしていても、正念を発するときには心が静まらないのです。昔は正念を40分発する事が出来ましたが、今では20分でも難しいのです。一番深刻だったのは、法を勉強しても心に入らなかったことです。法を勉強すると、うとうとと居眠りしてしまい、心に余裕がなくなってしまいました。今にして思えば、私の脳内に充満していたテレビドラマの中の共産党の影響を受けていました。
本来の自分に戻るためには、法に同化して人間性から抜け出さなければなりません。人間的な観念や執着をすべて排除しなければならないのです。執着をなくすことがいかに難しいかは誰もが知っていますが、私は執着を招き入れ、抱え込んでいました。
長年、私は常に強い使命感を持ち、衆生を救うことを最優先に考えていました。今では、人に会っても話しかけるのをためらっています。思いやりの心がなく、困難や危険を恐れるようになりました。人々の意識を呼び覚ますのは難しいと感じていました。人に話しかけるにしても、ただひたすら任務を遂行するだけでした。夢の中で危険な状況になったときも、師父を呼ぶのではなく、緊急電話をかけていました。私は修煉者らしくありませんでした。
今まで、このような行動をとったことはありませんでした。三つのことをやっていても、法に基づいていないので、修煉者が人を救うのではなく、常人がやっているような感じだったのです。自分のやっていることが神聖なことだとは思えなくなっていました。
快適さへの執着が、勤勉さを失わせたのです。そして、だんだんと大法から遠ざかっていきました。これは危険ではないでしょうか?
師父は私たちのために多くの苦難を乗り越えられてきました。しかし、私たちが基準を下げて常人のようになった途端、旧勢力は私たちを見逃さず、すぐに清算しに来ます。私は長い間、修煉を怠っていたため、危険な状態に陥ってしまいました。危険が迫っていて、旧勢力が攻めてきそうです。私は人間性に執着していたので、それに気づかなかったのです。
もし、師がこのような警告を与えてくださっていなかったら、私を待ち受けていた苦難がどれほど大きなものになっていたのか、本当に想像がつきません。
この夢を見て、私は修煉の厳粛さを実感しました。
師父は「精進していない大法弟子、極端に走る大法弟子は直ちに、自分自身を正し、誠心誠意に法を勉強し、修煉してください。なぜならば、このような弟子は最も危険だからです」[1]と説かれました。
これを読んだとき、師父が自分のことを説かれていると感じました。安逸心は、旧勢力が私たちを破壊するために使う武器です。昔の修煉者は一瞬たりとも気を抜くことはできませんでした。しかし、この重大な歴史的瞬間に、私は快適さへの執着から修煉をやめてしまいそうになったのです。
この教訓は非常に大きいのです。私の2年間の挫折は長すぎました。師父の慈悲深い済度を裏切らず、衆生の希望に応えられるよう、力強く前進して行こうと思います。これからも精進して参ります。
この教訓を忘れないようにしたいと、この文章を書きながら反省しています。また、同じような境遇にある修煉者にも言いたいことがあります。師父の慈悲なる思いと、この貴重な修煉の機会を大切にしましょう。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『理性』