【明慧日本2021年5月8日】黒竜江省大慶市の法輪功学習者・呂観茹さんは2018年11月9日に大慶市譲胡路公安支局の警官に身柄を拘束された。2019年7月1日、大慶市譲胡路裁判所に懲役7年、罰金4万元(約64万円)の不当な判決を宣告され、黒竜江省呼蘭刑務所で迫害された。2021年4月4日、呂さんは拷問を受け脳出血で亡くなった。享年69歳。
呂観茹さん |
呂さんは大慶石油管理局住宅建設会社の元職員で、建設の予算を担当していた。1994年から法輪功を学び始め、「真・善・忍」の教えに従い、より良い人になることを目指し、病気は完治し、心身とも恩恵を受けた。呂さんは職場で好評を得て、毎年職場の先進者として選ばれた。しかし、1999年の7.20以降、呂さんは身柄を拘束され、拘禁され、縄掛け、凍えさせる、長時間にわたって立たせる、棒で頭を叩かれる、「飛行機を飛ばす」、ヒールで打たれるなどの拷問を受けたことがある。そのため、18年間の放浪生活を余儀なくされ、引っ越した回数は数えきれないほどだった。
一、上京へ陳情、1カ月拘禁された
2000年4月12日、呂さんと妻の孫忠萍さんは法輪功の無実を伝えるため、上京へ陳情した。しかし、北京陳情局で大慶市の北京駐在事務所の者に連行され、大慶市に戻され、1カ月拘禁された。呂さんは大慶市龍凰留置場、孫さんは大慶市留置場に拘禁された。
呂さんは龍凰留置場で警官に指図された囚人に殴られ、歯はグラグラになってしまった。また、坊主頭にされた。北京に行った時着ていた新しい服、革靴、ベルトなどは囚人に取られた。呂さんと妻は同じ日に戻されたが、他の囚人のボロボロの服、ズボン、スリッパを履きウエストバンドを持って帰宅した。
二、小屋に取り調べられ、4時間殴打された
2000年6月18日、呂さんと孫さんは大慶石油管理局の南側にある広場で煉功をしたとして身柄を拘束された。数日後、大慶市乗風派出所の警官・李樹新、曹曽恩および大慶市譲胡路区公安局支局の警官は呂さんを小屋に連れて行き拷問した。
呂さんの生前の話では「彼らは私を小屋に連れて行き、ドアを閉めてから、1人の肌が黒く痩せ方の警官が革靴の底で私の臀部、頭部を殴打し、午前10時から午後2時までの4時間をかけて私を殴りました。その間、警官が疲れて時々腕を休めるほどでした。私は留置場に戻った後、他の囚人に何でこんなにひどく殴られたのかと言われました。彼らは私に鏡の中の自分を見せました。その時の私は頭が腫れて、目も腫れて少ししか目が開けられませんでした。私はお尻を触ってみましたが、全く感覚がなく、横になったら、お尻はゴムのような感じで黒紫になっていました」
中共の拷問イメージ図:殴打 |
今回の連行では、呂さんは1年の労働教養処分を科された。「転向」しないとの理由で1カ月と7日間の刑期を延長された。
三、大慶市東風新村労働教養所で残酷な迫害を受けた
呂さんは転向しないとの理由で大慶市東風新村労働教養所で縄掛け、凍えさせる、長時間に渡って立たせれる、棒で頭を打たれる、飛行機を飛ばす、ヒールで打たれるなどのさまざまな拷問を受けた。
夜に煉功し、「縄掛け」拷問を受けた
呂さんは夜に煉功したとの理由で縄掛け(ひどい拷問の一種で、ビニールの縄が肉に食い込むことがある)の拷問を受けた。労働教養所の第二大隊の隊長・王喜春、頼2人は前に座り、警官の張旺柱、翟洪峰が拷問を加えた。
呂さんは生前、こう述べた「彼らは太さが小指くらいの縄を使って私の首から両腕を回し、強く締めました。両サイドにはそれぞれ2人が強く縄をひっぱり、後ろで解けないように結びました。4人の力で締められたので、身体は全く動けず、途中縄を強く縛っているところはさらに叩かれ、痛みは倍増しました。15分後、縄はさらにきつく縛られました。解放された時、腕は全く血色がなく、揉み板のような深い跡が残されていました。私は痛くて声を出ましたが、1人の警官にテープで口を封じられ、さらに、足で蹴られて床に転倒しました。私はとても辛かったのですが、全く声が出ませんでした。その時はまるで皮膚が剥がれるほど辛かったです」
拷問実演:縄掛け |
冬のマイナス20度の室外、凍えさせる
2001年2月、第二大隊の警官は転向しない法輪功学習者の服を脱がせ、マイナス20度の室外で学習者らを鉄のパイプに手錠をかけ、2時間以上凍えさせられた。そのため、学習者は意識不明になってしまった。呂さんの両手は鉄の柱にかけられ、身体の感覚を失い、意識はももうろうとしており、警官は呂さんの身体を刺し、大きな声で呂さんの名前を呼んでいた。
拷問実演:凍えさせる |
夏は外で蚊に刺される拷問を受けた
呂さんの話によると「労働教養所はよく私たちに保証書、反省文などの文章を書かせました。しかし、私は書きませんでした。夏、私と他の法輪功学習者を外に行かせ、蚊に刺されました。夜、留置場に戻ると、上半身を前へ屈曲した状態で壁面に強い力で押しつけ、両手は後ろに伸ばして壁面に沿って上げさせました。どれくらい立たせたのかはわかりませんが、下の者の頭に汗が流れ落ちました。第二大隊の警官・馮喜はモップで私たちの頭を叩き、モップは折れました」
拷問イメージ図:飛行機を飛ばす |
四、懲役7年の不当な判決、泰来刑務所で迫害されて死亡
2018年11月9日、呂さんは大慶市譲胡路公安支局の警官・程龍、陳曦に身柄を拘束された。当日、大慶市においては60人以上の学習者は身柄を拘束され、100近くの学習者は家財を押収され、嫌がらせを受け、脅迫された。情報によると、連行行動は黒竜江省の法曹機関が前から企んだという。呂さんは警官に立たされる、足枷をかけられる、取り調べられた。呂さんは何度も断食で迫害に抗議し、強制に灌食された。そのため、胃からの出血、重体に陥り、何度も応急処置された。2018年12月15日、呂さんの案件は譲胡路検察庁に提出され、不当に逮捕状が発付された。
拷問実演:野蛮な灌食 |
2019年6月6日、大慶市譲胡路裁判所は呂さん、劉恩権さんに対して開廷した。呂さんの弁護士2人と劉さんの弁護士1人はそれぞれ根気強い無罪弁護をした。最後、呂さんと劉さんも自ら無罪だと述べた。
2019年7月1日、呂さんは大慶市譲胡路裁判所に懲役7年、罰金4万元の不当な判決を宣告された。呂さんは中級裁判所に控訴したが、2019年7月23日、大慶市中級裁判所に原審維持と宣告された。
同月30日、呂さんはまだ病院で応急処置を受けている状況下、秘密裏に黒竜江省呼蘭刑務所に送られた。
呼蘭刑務所では、呂さんは信念を貫き、転向しなかった。2019年11月、またチチハル泰来刑務所に移送された。
2021年4月4日、呂さんは泰来刑務所で迫害されて脳出血になり、他界した。
黒竜江省の泰来刑務所は黒竜江省の610弁公室、黒竜江省刑務所管理局の法輪功学習者を迫害する強化の場所である。いわゆる「四書」を書かない人はさまざまな拷問と体罰を受けた。例えば、「大挂」にかけられる、飛行機を飛ばす、立たせる、しゃがませる、睡眠禁止、唐辛子の水で灌食する、冬に冷たい水牢に立たせる、小号の床にあるリンクにかけられる、トラの椅子、辱めるなどの拷問を受けた。チチハル漢方病院の法輪功学習者・劉晶明さんは2007年2月8日に泰来刑務所で拘禁され、わずか46日間で迫害で死亡した。享年39歳。
大興安嶺の地方税務局の幹部・盧玉平さんは2009年5月30日、泰来刑務所で迫害されて死亡した。かつて6人の命を救った法輪功学習者・潘本余さんは泰来刑務所で迫害された結果、肝臓腹水、心筋梗塞、吐き血、心臓病、身の回りの生活ができず、全身がつり、しきりにうめき声を上げた。2011年7月17日に他界した。
拷問:トラの椅子 |
(注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)