明慧法会|正念で執着を取り除き魔難を歩み向上する(二)
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 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年5月9日】(前文に続く)

 五、真に内に向けて探し魔難を歩み向上する

 今回私は中国共産党(以下、中共)の裁判所に懲役4年の実刑判決を下され、留置場から刑務所に監禁され、単独で禁固刑の処分を受け始めました。師父は「修煉の中で、皆さんは良いことに出会っても、良くないことに遭っても、すべて良いことです。なぜならば、それらは皆さんが修煉しているからこそ、現れたことだからです」[3]と説かれました。暗い小部屋の中にいる時、私は「むかし修煉の人は縄で這い上がり、中に入ってから縄を切って、洞窟の中で修煉しました。修煉が成就できなければ、中で死ぬしかないのです。水もなければ、食べ物もありません。このようなきわめて特殊な環境の下で特殊な修煉方法が採用されたわけです」[4]という師父の法を思い出しました。私は「自分はいくつかの人心を蓄積し、修めて取り除くことが間に合わず、中共に隙を突かれ、私を暗い小部屋の『洞穴』にしばらく閉じ込めたのだ」ということを悟りました。その6人の監視役の受刑者は洞穴のそばで私に付き添っている小さな生命であるかのようで、私にお茶とご飯をくれ、すべてがみな私の修煉要素でした。大法の指導があり、私の心は法のエネルギーに満ち、慈悲深くすべての生命に接し、監視役の受刑者たちが私に対してどのように不善をなしたとしても関係ありませんでした。過去の洞窟内の修煉者と比べて私ははるかに幸運であり、なぜなら私は宇宙大法を修煉しているからでした。

 師父は「三界は反対になっているため、人間の理と宇宙の正しい法理を比べても、反対に認識されてしまいます」[5]と説かれました。私は「人の頭の中で形成された人の観念と認識はみな逆の理であり、正しい法理に反する」ということを悟りました。師父はさらに「例えて言えば、瓶の中に汚い物を一杯入れて、蓋をしっかり閉めてから、水に投げ入れると、底まで沈んでしまいます。中の汚い物を出せば出した分だけ瓶が浮き上がってきます。全部出せば、完全に浮き上がってきます」[4]と説かれました。私の頭は一つの瓶のようであり、私は自分のこの瓶の中の汚い物を外に向けて出さなければなりませんでした。そこで私は毎日ある一つのことを行い、自分の思想の中の情を滅し、その他の何事にも協力しませんでした。

 外界によって動かすことのできる何かが私の思想の中にある限り、私は心の中で「師父、それは私ではありません。覚者の心は無為であり、外界のすべてのものに動かされることはありません。私を動かすことのできる何かがある限り、私はそれを修めて取り除きます」と師父に申し上げました。私は指でずっと「滅」という字を書き、思想の中でどんな時にも私の執着を滅していました。

 中共の魔窟の中では、いつも一種の憂鬱感と恐怖感がありました。私は「人を恐れさせるものは後天的な観念と『刑務所』というこの名詞に対する認識と感覚である」ということを悟りました。私は自分の頭の中の「刑務所」というこの名詞及びその背後の内涵、感覚、認識に対して正念を発しました。私は天目で「刑務所」というこの名詞が私の頭の中で形成した物質の場が一層一層解体されるのを見ました。恐怖と憂鬱感は消失しました。

 私が囚人服を着ることを拒絶したので、夏の40度の高温の日々の中で、刑務所の警官は3カ月間私が服を洗濯して着替えることを許しませんでした。私は暑さを恐れる心に対して「冬になれば、私は今度は寒さを恐れる心と苦を嘗めることを恐れる心を修め、それによって頭の中で外部環境によって動かされるすべての情の中の感覚と憧れと認識を修める」と正念を発しました。

 ある日、刑務所の警官らは数本のスタンガンと拘束衣を手に持ち、私を縛って感電させようとしました。私は大声で「私を感電させるとあなたが痛くなる!」と叫びました。私は警官たちに地面に押さえられ、スタンガンは青い火花をひらめかせ、私の手を感電させましたが、私は少しも痛くなく、師父が私を保護してくださっているのだと私は知りました。私は刑務所の数人の警官によって強制的に拘束衣を着せられ、後ろ手に手錠をかけられました。3日後、その痛みは本当に耐えがたいものでした。私は「師父、弟子はこれを区別することができ、これらの感覚は業力であり、私自身ではありません」と師父に申し上げました。私は目を閉じ、頭の中のさまざまなつらさと感覚を絶えず滅しました。さらに私は迫害されるという概念と、旧勢力が存在するという概念をすべて滅し『轉法輪』の中の法理である「失と得」「業力の転化」「心性を向上させる」に基づいて修めました。その後、私は再び10日間手錠をかけられましたが、手錠をかけられればかけられるほど楽しくなり、毎日いつもにこにこしながら監視役の受刑者と刑務所の警官に笑顔を浮かべました。15日間手錠をかけられ、刑務所の警官は驚き「どうして手錠をかければかけるほど元気になるんだ? もう手錠は必要ない」と言いました。

 刑務所の警官は「心理テスト」という邪法を使ってもっぱら私の人心と観念を見つけ出し私を攻撃しました。しかし私の人心の弱さを見つけることができないとわかり、私のことを「無心の人」と呼びました。私が師父の要求に基づいて絶えず内に向けて探し、毎日人心をえぐり出し、観念を取り除き、執着を滅し、往々にして警官たちが私を攻撃する時、私はすでにその執着を滅し、その弱点を取り除いていたことを警官たちは知りませんでした。人心、観念、執着を取り除く過程で私は「刑務所の警官が悪魔の心理テストで攻撃した人心の弱点は、ちょうど私が大法に基づいて内に向けて修めて取り除かなければならない人心と執着であり、悪魔のすべてのやりくちは、私が修めて取り除く人心と執着であり、絶えず向上するための梯子になった」ということに突然気づきました。人心、観念、執着を取り除く過程で、師父はずっと私を励まし、保護してくださり、私は大法の素晴らしい知恵を本当に感じました。私は「私がしっかりと師父に従って前に向かって歩めば、中共は私を動かすことができない」ということがわかりました。

 刑務所の警官が私に会いに来れば、私は刑務所の警官たちに真相を伝えました。師父は多くの知恵を私に与えてくださいました。私は慈悲深く刑務所の警官たちに「私の心の中では、あなたたちすべての生命はみな花のように素晴らしく、私はとてもあなたたちを大切にしています。なぜなら生命は貴く『真・善・忍』の中に恨みはなく、敵もいないということを私の師父が私にわからせてくださったからです。私には多くの欠点があり、真・善・忍に基づいて自分を変え、さらに良い人に変わりたいと思っています。あなた達は私を支持しなければならず、なぜなら私が良い人になるということはあなたの善良な本性に符合するからです」と言いました。

 ある日、私は夢の中で「私が舞台の中央におり、周りは邪悪だらけ」なのを見ました。その時私は自然の音のような音楽を楽しく歌っており、邪悪は黒い剣を使って私の頭部を絶えず攻撃しましたが、すべての攻撃がみな師父によって私の体に与えられた回転メカニズムによって私の体のエネルギーに転化し、私の体のエネルギーはどんどん大きくなりました。舞台の下は生きとし生けるものが善と悪が争われるこのショーを見ていました。私は「師父が私に衆生を救い、邪悪を打ち破り、法を実証させてくださっているのだ」ということがわかりました。しかし私は暗い小部屋で禁固刑の処分を受け、一切の自由を失っていました。私はどうやって人を救えばよいのでしょうか? 私は思い至り叫び、そこで私は毎日「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」と叫び始めました。私の声は他の空間の邪悪要素を取り除いていました。私は叫ぶという方式で真相を伝え、たとえば「師父は素晴らしい! 法輪大法は素晴らしい!」「世界は真・善・忍を必要とする」「衆生はすぐに目覚め、万古の機縁を逃さず、党、共青団、少年先鋒隊を脱退して平安を保つ」などなどと叫びました。毎日暗い小部屋の中で大法弟子の歌を40分間歌い、私が知っているすべての大法弟子の歌を歌いました。

 中共がいかなる手段を取ろうとも、法に対する大法弟子の正しい信念を変えることはできませんでした。不当に拘禁された日々の中で、一年中禁固刑の処分を受けていた数人の同修と互いに協力し、互いに励まし合い、毎日朝5時に起きてすぐ、禁固刑の処分を受けている大法弟子は「法輪大法は素晴らしい」と叫び始め「法輪大法は素晴らしい」という叫び声は刑務所の上空にこだまし、邪悪を除去し、衆生を救いました。

 ある日、私が叫び終わると、警官たちが再び手錠とスタンガンを持ってやって来ました。私の心に急に恐れる心が生まれました。私は手を服のポケットに入れ、ポケットの中でスタンガンを恐れる心に対して絶えず「滅」という字を書き続けました。しかしやはり恐怖心がありました。私は「私はどうして包丁は恐れないのにスタンガンは恐れるのだろうか?」と思いました。どちらも鉄でできているものではないでしょうか? なんと私の頭の中でスタンガンで大法弟子を迫害することに対して恐れていたのでした。私は「スタンガン」というこの名詞の背後にあるすべての情報に対して「滅」と念じました。スタンガンを恐れるという観念が消された後、私は再びスタンガンと包丁にどんな区別があるのかを考え、スタンガンも包丁も同じだと気づきました。私は警官に「あなたはこれらの道具を持って何をするのですか? 手錠をかけられたり、感電死したりしていない訳ではありません。手錠をかければかけるほど確固としたのではありませんか? 私は法輪功を信仰しているためにあなた達に連行されました。私はあなた達を救いに来たのであり、私が『法輪大法は素晴らしい』と叫ばなければ何を叫ぶのですか?」と言いました。刑務所の警官は笑い、背を向けて行きました。

 ある日私が叫んでいた時、私を監房から出して廊下に出すように刑務所の警官が監視役の受刑者に命令し、刑務所の警官はスタンガンを振るい、大声で私に「お前はもう一度叫んでみろ! ここのすべての監房の入り口に行き、一部屋ずつ叫んでいく度胸がお前にあるのか」と言いました。私は静かに床から起き上がり、最初の監房の入り口まで歩いていきました。監房には拘禁されている1人の昔の同修がおり、目を大きく開いて恐怖で私を見つめ、話をしようとせず、全体の雰囲気がまるで凝固してしまったかのようでした。私は静かにそしてまじめに監房内の人たちに「私は大法弟子であり、私は真・善・忍に基づいてよい人になりました。私は誰であろうと恨まず、ただ中共の大法に対する迫害だけを認めません。あなたたちすべての人にみな素晴らしい未来があることを私は願っています。あなた達は中共の党、共青団、少年先鋒隊を脱退し平安を保たなければなりません! この万古の機縁を逃してはなりません!」と言いました。言い終わると、私は次の監房の入口へ行き、再びもう一度繰り返して話しました。このようにして、ずっと5番目の監房まで伝えた時、刑務所の警官が「話をやめろ!」と叫びました。私は「あなたが私に言わせたのであり、私はまだ数部屋だけしか伝え終えていません」と言いました。刑務所の警官は私の話を受け入れず、私を監房に戻すように監視役の受刑者に命令しました。

 刑務所の中で、毎年旧正月の大晦日と旧正月に私はいつも「不当に拘禁されている大法弟子は至尊至敬なる師父に新年のご挨拶を致します! 師父、新年おめでとうございます! 師父の慈悲なる済度に心から感謝申し上げます! 法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」「衆生はすぐに目覚め、万古の機縁を逃さず、中共の党、共青団、少年先鋒隊を脱退して平安を保ってください!」と高らかに叫びました。

 ある時私が師父に新年のご挨拶を申し上げ終えたばかりの時、監区の大隊長が私を事務所に引きずり込み、スタンガンで私の口を電撃しました。電撃しながら罵りました。スタンガンはパチパチと音を立て、青い火花を飛ばして、私は自分の顔の筋肉が毒蛇に噛まれているかのように感じました。私は大隊長の目を見ながら「朝早くから何をするのですか? 口が泡だらけになっていますよ、早く紙で拭いてください」と言いました。大隊長は素直にペーパーを引っ張り出して口を拭いて、電撃をやめました。大隊長は今度は私の冬用の衣服を脱がせ、廊下に引っ張り出して私を凍えさせました。私はにこにこしながら行き来する人に挨拶して、「法輪大法は素晴らしい、真・善・人は素晴らしいを覚えて心を込めて念じれば福報が得られます」と伝えました。

 このようにして2日間凍えさせられ、監区の中隊長が私を監房に戻らせました。私は従来から中隊長たちと一緒に歩くのに協力しなかったため、中隊長たちは私を持ち上げなければならず、私は引きずられながら、「法輪大法は素晴らしい!」と叫びました。中隊長に「私は自分で歩けますが、その間は法輪隊は素晴らしいを歌いながら戻らなければなりません。あなたたちが私を引きずり出したので、多くの大法弟子はみな知っています。私は歌を歌いながら戻り大法弟子たちに無事を伝えます」と言いました。中隊長は「この服を着てください、私はあなたを説得しないわけにはいきません」と言いました。私は「あなたにはあなたの考えがあり、私には私の考えがあります」と言いました。このようにして、私は「法輪大法は素晴らしい」というこの歌を歌いながら監房に戻りました。

 師父は「慈悲は天地の春を溶かし 正念は世中の人を救う可し」[6]と説かれました。恐怖の悪の巣の中で、私が大法の中で修め出した前向きな姿勢が周りの人に感染しました。ある監視役の受刑者は「三退」し、ある受刑者は心の中でいつも絶えず「法輪大法は素晴らしい」と念じていると私に伝え、またある受刑者は、隊長が受刑者たちに会議を開いた時、彼らは私が美しくて善良でシンプルだと褒めていたと言うことを内々に私に伝えてくれました。

 そうです! 私はどうして嬉しくないのでしょうか? 私が修めているのは宇宙大法であり、全宇宙の主は私の師父なのです。「真・善・忍」の法理の中に溶け込み、大法に基づいて修め、一層一層の業力、観念、人心を消去しなければならず、私はそうしてはじめて師父について家に帰れるのです。

 私が刑務所を出る半年前に、私は突然夢を見て、夢の中で師父は高いところから私をご覧になっておられ、心配され、また期待されていました。私は言葉では言い表すことができない多くの内涵がありました。多くの老若男女が、頭上に白い帯状の布を乗せ、私に向かってこぶしを高く上げて振りながら私を地面に押し付け叩きつけていました。私は歴史の中で作った業を返さなければならないのだと私はわかりました。私がこの関を乗り超えられるだろうかと師父は心配なさっていました。

 数日が過ぎ、地元の邪悪な「610弁公室」が必ず100%大法弟子を「転向」させるように刑務所に指令を出しました。刑務所は「攻堅組(訳注:刑務所で法輪功修煉者に対する迫害を専門に行う監区)」を成立させ、大法弟子に対する迫害監房を専門に設置しました。監視役の受刑者は「迫害監房の監視カメラは刑務所の上層部と『610弁公室』に直通している」とこっそりと私に伝えました。大法弟子は一人一人引きずられて迫害監房で迫害され、中では悲痛な悲鳴が絶え間なく聞こえてきました。その後に刑務所内の大部分の修煉者がこの残酷な迫害の中で「転向」を迫られ、1人の大法弟子が迫害されて亡くなったということがわかりました。

 最も邪悪な恐怖の雰囲気の中で、悪人は最大の邪悪な手段を用い、この世のものとも思われないほど悲惨な迫害が引き起こした苦しみはまるで私を飲み込んでしまったかのようで、私は自分が何度も極限に達したかのように感じ、考えと精力を集中させることができず、心を静めて内に向けて探しこのような凄まじい、極端な苦しみを根絶することができませんでした。1日また1日と受け入れ、自分にはだんだんと恐れる心と恨む心が生まれて来たことに私は気づきました。私は「目の前のこの残酷な生死の試練に比べれば、これまでに遭ったいくつかの関と難はただ単準備運動でしかなかった」ということに突然気づきました。最も激しい迫害を前にして、私は「自分を大法に溶け込ませてはじめて乗り越えることができるのだ」ということを知りました。自分が以前歩んで来た多くの艱難辛苦な修煉過程で、師父は無数の心血を尽くされたことを私は振り返り、この人の皮がどんなに苦しい思いをさせられたとしてもずっと業を滅し、私の神の体をこの人の皮の中に溶かすことは決してできず、私を拠り所としているあの限りない希望を抱く衆生を決して滅ぼしてはなりません。「私は大法弟子であり、私の心身、私のすべてはみな師父に属し、大法に属し、決して中共に妥協することはできない」という一念を発しました。私は頭の中で一刻も止めずに「法輪大法は素晴らしい」と唱え続け、苦しみの中で体の業力が大きく消えていくのを感じました。

 夜に禁固刑の処分を受け、私は力を入れて自分をつまみ、自分が眠らないようにし、絶えず法を暗唱し、中共に迫害され頭の中に注ぎ込まれた汚物を一掃しました。私は以前の夢が表したものを思い出し、原因と結果がわかり、法の基準に基づいて自分は悪を行う者に対して恨んではなりませんでした。

 同時に「私は漆黒の空間の中で座禅を組み掌を立て正念を発し、体の周りはエネルギーに満ち、中共は私に近づくことができない」ということを師父は悟らせてくださいました。私は「自分が正念を発して邪悪を取り除く力は不十分だ」ということを悟りました。そこで私は発正念を強化し、他の空間の邪悪要素を取り除きました。

 監視役の受刑者が毎日私を苦しめる時、刑務所の警官はいつも迫害室の入り口に立ち、いつも私が口を開き妥協するのを待っていました。毎日監視役の受刑者が私を押しながら刑務所の警官の前を通り過ぎる時、私はいつも平静に刑務所の警官を見ながら微笑みました。私は「佛教では人類社会のすべての現象は幻像で、確かなものではないと言っています」[4]「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」[7]という師父の法を思い出していました。中共がどんなに残酷な迫害を行おうとも、この瞬間私はやはり大法の中におり、私はやはり大法を修煉しており、私はやはり大法弟子であり、私は最も幸せな人間なのでした。

 苦しみの中で向上し、魔難の中で成熟しました。6カ月間の精神と肉体の激しい拷問の後、私は倒れず、最終的に正々堂々とあの中共の悪の巣から出ました。家族が私が出所するのを迎えに来た時、私の体は既に弱りきっており、反応は遅く、髪の毛も半分白くなっていましたが、私の心の中は光明と和やかさでいっぱいになっていました。

 師父の慈悲なる済度に心から感謝申し上げ、すべての言葉を使い尽くしても師父の偉大さ、大法の偉大さを讃える術はありません。中共の悪の巣のあの厳しい環境の中で、大法の要求に基づいて無条件に内に向けて探し、師を信じ法を信じ、慈悲深くすべての衆生に対応すれば、師父は歩み切ることのできる道を与えてくださいます。

 同時にまた、私は「修煉とは非常に厳粛であり、大法弟子には基準があり、この基準は環境によって変化したり改変されるものではない」ということを深く認識しました。着実に修煉する一人の大法弟子は、どこにいようと、逆境あるいは恵まれた環境であろうと、いつも法を師として真剣に最後まで修煉を続けます。

 ありがとうございます、師父!

 ありがとうございます、同修の皆さん!

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「神の路難し」
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「哀しまないで」
 [3] 李洪志師父の著作:『精進要旨三』「シカゴ法会」
 [4] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [5] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「大法とは圓容しているものである」
 [6] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「法は乾坤を正す」
 [7] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「法の中に溶け込む」

 (明慧ネット第15回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 (完)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/11/9/376436.html)
 
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