【明慧日本2021年5月19日】遼寧省錦州市の凌海(りょうかい)市の法輪功学習者・李国剛さんは2010年7月、中共の警官に連行された後、労働教養処分を科された。馬三家労働教養所に入れられ、そこで迫害を受けた末、李さんは精神障害、記憶喪失、目の動きが鈍くなった。それから9年以上の苦闘の末、2020年1月3日、この世を去った。享年65歳。李さんの妻・王蘭芝さんも法輪功を学んでいるとの理由で、懲役6年の実刑判決を宣告され、刑務所で残酷な迫害を受けた。そして、無念な思いを晴らせないまま、李さんは2013年に死亡した。
李国剛さんは、凌海市金城製紙工場の職員だった。1995年に前立腺の病気を患い、やむを得ず休職した。錦州市へ行き、李さんは病院に1カ月入院して治療を受けた。暫くして病状が緩和したが、体が弱わり、真夏でも綿を入れた服を着なければならなかった。1996年3月、病気治療のために、法輪功を学び始めた李さんは暫く経って、病気が完治した。それから、李さんは復職して穏やかな家庭を築き、家族も相次いで法輪功を学び始めた。
しかし、1999年7.20、中国共産党当局は法輪功に対する弾圧を開始した。李さん夫妻は数回も北京へ行き、法輪功への迫害停止を求めた。そのため、李さんは1999年末、凌海市拘留所に1年拘禁された。2003年、李さんは錦州労働教養所に1年拘禁された。
2010年7月18日、李さんは夜勤の帰りに自転車で大凌河大橋を渡るところで、凌海市公安局国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)と右衛派出所の警官らに止められ、連行された。尋問を受けた後、凌海市留置場に送られた李さんは、15日間拘留されて労働教養処分1年を下された。その後、馬三家労働教養所に収容された。
2011年7月18日、李さんは解放されて家に帰った。帰宅して5日目の夜3時50分、突然、李さんに異変が現れた。「部屋の中は変な匂いがしている。臭いから外へ出る」と言う李さんに、妹は「早く帰ってきてね」と言った。5分も経たないうち、李さんは帰ってきて「外も変な匂いがする」と言った途端、口を大きく開け「ああ、ああっ!」と大声を出した後、地面に倒れ、口から泡を吹き、意識を失い、痙攣を起こした。15分後に目が覚めたが、午前10時半頃まで、4回も痙攣を起こし、失禁も伴った。
家族は李さんを大凌河病院に送った。病院で採血、脳波、CTなどの検査を受けた。脳炎だという結果が出て、3日間入院し、病状が良くなったため、李さんは退院した。
しかし、あれから、李さんは失禁したり、記憶力が低下し、出かけると家に帰る道がわからなくなった。いつも、自己コントロールができなくなり、食欲旺盛で、すぐに怒ったりするようになり病状は日々重くなった。
2011年9月7日、李さんは錦州市の病院に連れて行かれ、医師はMRI検査をするようにと勧めた。検査のとき、李さんの体が無意識に動いているため、検査ができないため、鎮痛剤を打たれたが、薬が効かず、更に注射3回を追加された。しかし、それでも効かないため、検査を諦めるしかなかった。医者は撮ったレントゲン写真で病状を分析し「大脳の中枢神経系の感染だ」と言った。十数日間入院したが、好転しなかった。それに1日の治療費が1000元(約1万7000円)必要で、経済的に無理になり、娘は李さんを家に連れて帰った。
それから、李さんの病状はさらに悪化し、記憶喪失となり、夜になっても眠らず、あちこちの物をひっくり返したりした。家では誰も面倒を見てくれる人がいないので、凌海市の白羊老人ホームに一時的に預けることになったが、状態はさらに悪くなった。
労働教養所に入所する前の李さんは、丈夫な体で、明るくて誠実で性格は優しく、友人や家族、近所の人たちから良い人だと言われていた。たった1年で、善良で元気な李さんが迫害によって精神に障害を負った。李さんの病状をみて、友人や親戚は「労働教養所で食べ物に中枢神経を破壊する薬を混入されたか、それとも注射をされたのではないか?」と話していたという。
9年余りの苦闘の末、2020年1月3日、李さんは亡くなった。
王さんの妻も迫害されて死亡
李さんの妻・王蘭芝さんは1999年7月、北京へ行き、法輪功の無実について陳情した。北京で同年10月28日、王さんと他の17人の学習者が連行されて北京市東城区留置場に拘禁され、38日間刑事拘留された後、北京の7つの刑務所に移送された。
同年12月4日、王さんに逮捕状が発付され、1カ月後にまた、北京市東城区留置場に戻された。その後、東城区裁判所は王さんに懲役6カ月の判決を宣告した。
2000年1月17日、王さんと他の12人の学習者は判決を不服として、北京市第二中級裁判所に控訴したが、原判決維持だという結果が出された。
2000年4月26日、王さんは北京から地元に戻ったが、凌海市金城派出所の警官に地元の洗脳班に入れられ「法輪功を止める。北京へ陳情に行かない」という誓約書を書かされた。家族は1000元(約1万7000円)を強制的に支払わされた。
2003年2月中旬のある日の晩、王さんは「法輪大法は素晴らしい」という横断幕を掲げたため、勤務先の公安局の所長に連行された。その後、懲役6年の判決を言い渡され、遼寧省瀋陽女子刑務所に収容され、ひどい拷問を受けた。
明慧ネットの報道によると、王さんは刑務所に入所して、1日目の夜、洗濯室に立たされ、警官に指示された受刑者たちが、靴で王さんの顔、頭や肩などを殴り、王さんの叫び声が響いた。11月で、すでに寒かったが王さんは毎晩、下着だけにされ、洗濯室に立たされた。昼間は寒くて暗い工場に連れて行かれ、罵られたり殴られたりした。法輪功を誹謗中傷する本を読むことを拒否した王さんは、受刑者・張に平手打ちされ、地面に押しつけられて髪の毛を引っ張り上げられた。
受刑者・張は、30回以上王さんを叩いたと言った。警官に利用されて人間性を失った受刑者たちは王さんの体を痛めつけた。王さんの体には大きなあざがあった。ある受刑者3人組は、何か不愉快なことがあると、気分を晴らすため王さんを猛打した。
警官は王さんが受けた酷い暴力を見て見ぬふりをしていた。王さんは受刑者に学習者に暴力を振るうと悪報に遭うと忠告したが、さらに暴力を振るわれた。受刑者らは王さんをスリッパやハンガーで叩いた。王さんの口に衣服を詰めて声を出させないようにした。
苦しめられた王さんは脳にダメージを受け、反応が鈍くなり、意識が朦朧とし、刑務所から解放されて帰ったときはぼーっとしていた。
2010年7月、夫・李さんが連行された後、家に押し入った警官が家宅捜索を行ったとき、王さん1人しか家にいなかった。警官の行為に恐怖を感じた王さんは、病状がひどくなり、怖くて1人で家にいられなくなって、大切なものをカバンに詰めて家を出た。そして、2013年旧暦の1月3日、王さんは亡くなった。