【明慧日本2021年5月23日】重慶市永川区の法輪功学習者・戴大奎さん(以下、学習者)(82歳)は、2021年5月12日昼、警官に連行されて同区の留置場に拘禁された。
最近、戴さんは司法関係者たちに、法輪功迫害の実態を伝え、真実を理解して、迫害に参加しないで下さい、そして大惨事を安全に乗り越えられるようにと手紙を書いて、実名で郵送した。
戴さんは1959年に軍隊に入隊し、1965年に退役して四川省石油掘削の仕事に転職した。そこで、長期間、野宿をして仕事をすると言う不規則な生活と疲労で、重い胃病、五十肩、リウマチなどの病気を患った。しかし、幸いにも法輪功に出会い、戴さんは病気を治すため、法輪功を学び始めた。戴さんは誠実で優しくなり、病気が完治し、強度の近視だったが、眼鏡を外してもよく見えるようになった。
1999年7.20、中国共産党の江沢民グループが法輪功迫害を開始した。そのため、法輪功を学び続けている戴さんは当局から迫害を加えられた。戴さんは4回も連行されて麻薬中毒回復所に拘禁された。さらに、永紅機械工場の洗脳班に2回拘禁され、拘留5回、実刑判決2回を宣告され、合わせて9年間拘禁された。勤続年数37年の戴さんは、現在、年金の支給を停止されているという。
1999年9月5日~10月11日、戴さんは永川市麻薬中毒回復所に拘禁され、370元(約6000円)を生活費として強制的に支払わされた。
2000年3月6日、戴さんは2回目に麻薬中毒回復所に入れられて11日間拘禁され、食事代など生活費110元(約1900円)と保証金400元(約7000円)を支払わされた。同年7月13日、同施設に3度目に連行された戴さんは、23日間強制洗脳を受け、230元(約4000円)の支払いを強制された。その半月後、戴さんと妻はともに洗脳班まで連行され、46日、44日とそれぞれ拘禁され、戴さんは3300元(約5万6000円)を強制的に支払わされた。
2001年1月18日~2月21日、戴さんは再度、洗脳班に入れられ、35日間拘禁された。その後「天安門焼身事件」は偽りなものだと暴露した戴さんは15日間拘留され、200元(約3000円)を支払わされた。同年4月30日~5月11日、戴さんは4度目に麻薬中毒回復所まで連行されて12日間拘留され、120元(約2000円)と3000元の保証金を支払わされた。
2002年11月18日~12月3日、戴さん夫妻は拘置所まで連行された。その理由は、戴さん夫妻は他の学習者3人と一緒にお寺に行ったことで「社会の治安を乱した」との罪を被せられたからである。そして、警官は戴さんたちを探した時に使った費用を戴さんに負担させ、戴さんの年金から6349元を差し引かれた。
2003年2月16日夜11時50分、永川市萱花派出所の警官5人は、戴さんの家に行って家宅捜索をし、法輪功創始者の写真、煉功用のテープなどの私物を押収した。その後、戴さんは「社会の治安を乱した」との罪を被せられ、15日間拘留され、265元(約4000円)を支払わされた。
同年4月23日、戴さんは連行され、15日間拘留された後、留置場に移送され、さらに28日間拘禁され、495元(約8000円)を支払わされた。7月16日、永川公安局の警官は戴さんを連行し、留置場に拘禁した。理由は戴さんが2001年11月「法輪大法は素晴らしい」などの横断幕を30枚書いたことだった。これは当時、起訴する条件には満たなかった。今回、最終的には違法な手段で拘留し、そして、戴さんに懲役5年の判決を言い渡したという。
刑務所で戴さんは睡眠のはく奪、拷問などを加えられた。出所してから、戴さんは2回も洗脳班に入れられたことがある。
2012年4月16日、戴さんは再度、家宅捜索をされて洗脳班に連行され、1か月間拘禁された。その後、留置場に移送された。同年10月16日、永川区裁判所は戴さんに対して不当な裁判を開廷をした。法廷で、戴さんは「私は『憲法』の第35条、第36条の言論、出版の自由、信仰の自由という規定に従っています。罪を犯していません」などと、自己弁護をした。その場にいた法曹関係者は反論する言葉が出なかったが、突然「戴大奎、これ以上話すな。お前は俺を審判しているのか」と裁判長に怒鳴られた。
結果、戴さんは懲役4年の実刑判決を下された。2013年4月17日、永川刑務所に収容され、迫害を受けた戴さんは、2015年5月24日に解放され帰宅した。
2019年、警官は、数回戴さんの家に侵入して嫌がらせをした。2020年1月3日、戴さんは永川高速列車で成都市へ行こうとしたが、荷物を検査されて止められ、行けなかった。
現在、戴さんの年金は永川区社会保障局に2020年9月から、支給を停止された。社会保障局からは事前に何の通知もなかったという。