【慶祝513】煉功者は徳を以て怨みに報い 4世代家族が恩恵を受ける
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 文/中国遼寧省の大法弟子 梅

 【明慧日本2021年5月30日】私は農村部の女性で、今年56歳です。1998年に法輪大法の修煉を始めました。私の運命を変え、私をまったく新しい人に変え、完璧な家族を与えてくださったのは慈悲深い師父でした。そして、6人の家族全員が恩恵を受けています。

 一、徳を以て怨みに報いる

 結婚して間もなく、姑から出ていけと言われました。彼女は私たちに2万元の借金以外、何も与えてくれませんでした。私たち夫婦は農作業をして生活していましたが、年収は僅かで、この2万元の債務を完済するのに丸10年間がかかりました。私たちがどのような生活をしていたかは想像し難くありません。

 姑は我が村ですごい人として知られていますが、私は非常に正直な人です。兄嫁が強い人だったため、姑は兄嫁を怒らせる勇気がなく、私だけを虐めていました。美味しいものがあれば、兄の子供にあげても、私の息子にはあげませんでしたし、お正月に豚を殺して、兄嫁を呼んで食べさせても、私たちを呼びませんでした。

 一度、債権者が私のところにやって来てこう言いました。姑がある人の縁談を斡旋して500元の世話料を取ったが、お見合いがうまくいかず、相手がお金を返してほしいと言っているということでした。姑はそれを私たちに返済させようとしましたが、私はそれを断りました。すると姑は舅を惑わして、シャベルで私を襲わせました。私は驚いたと同時にそにまま気を失ってしまいました。

 私の夫は気性が荒く、ギャンブルと酒好きで、自分の思い通りにならないとよく私を殴ったりしていました。私はよく殴られ、さらに殴られてあざまでできてしまい、病院に行って治療を受けたりしなければなりませんでした。私は家で仕事をする役しかなく、それも多くの仕事をしなければなりませんでした。家事をして、畑で農作業をし、子どもの世話もしなければいけません。私は非常にハードで疲れる生活を送っていたので、よく涙で顔を洗っていました。時間が経つにつれて、私は精神的に非常に大きな打撃を受けてしまいました。舅、姑、夫は私をいじめるだけでなく、子供にもひどい仕打ちをしていたので、それが私の悩みの種となりました。

 仲の良い友人に会うたびに、私は自分の苦しみを訴えていましたが、訴え切れませんでした。2時間も3時間も、私だけがくどくどと話し続け、本当に三日三晩語っても語り切れませんでした。私は誰にもいわず800元を貯め、子供がもう少し大きくなってから裁判を起こして夫と離婚するつもりでした。

 1998年8月、私は村の親友の紹介で、幸いにも法輪大法の修煉をはじめました。師父の説法ビデオを見たり、師父の説法録音を聞いたり、師父の著作『轉法輪』を読んだりしました。なぜ自分がこのように苦しんでいるのかが知りました。人間の苦しみはすべて生生世世作った業力によるもので、悪いことをしてきたことが業力の生じる根本原因です。私は、過去世での業力のために、現世でこれほど苦しい思いをしているということが分かりました。

 師父はこう説かれました。「人は、以前に悪事を働いたために生じた業力のせいで病気になったり、魔難に遭ったりしています。苦しみを味わうことはほかでもない『業』を返すことなので、いかなる人といえども勝手にそれを変えるわけにはいきません。変えてしまうと借金を踏み倒してもよいということにもなります。しかも勝手にこのようなことをしてはなりません。さもなければ、悪事を働くことに等しいのです」[1]。

 法輪大法の博大で奥深い教えは私の心を温め、真・善・忍の輝きは10数年以上も私の心に重くのしかかっていた巨石の憂鬱を払拭し、ようやく陽の光を見ることができました。心が明るくなり、泣くこともなくなり、毎日が楽しくなり、近所の人にも「別人になった」と言われました。

 師父は私たちに、善い人になるよう、さらに善い人になるよう教えて下さいました。私は師父の要求通り行なわなければなりません。私は自ら姑に近づき、善の心を以って彼らに接しました。彼らが私にひどい仕打ちをしても、私はそれを心に留めませんでした。彼らは修煉せず、俗世に迷っていますが、私は修煉者であり、天理を知っている人ですから、寛容な態度を取るべきです。彼らのためにどう対応すべきかをいつも考えて、善の心で接するようにしました。

 義理の親には4人の子供がおり、義理の親が威張っていたため長兄の嫁は怒りのあまりどうしても故郷を離れようとし、家族全員が遠い所に行ってしまいました。次兄は不幸にも病気で亡くなり、小姑と小舅も病気を患っていました。義理の親と一緒にいたのは夫と私だけでした。義理の親は別のところに住んでいましたが、夫は出稼ぎに出たり、麻雀に行ったりして、家にいることはほとんどありません。義父母は息子(私の夫)を捕まえられない時は、私に家の中の雑用を手伝ってほしいと言って来ました。

 私は煉功者ですので、あらゆる要求に応じるべきです。姑は野菜の栽培や、買い物、洗濯、病気になったら医者を呼ぶこと、さらに病院に行くことを含めて、常に私のところに頼みに来ていました。師父は私たちに人のことを考えるようにと教えられました。私は毎回自分の仕事を脇に置いて義理の両親を助けていました。私は彼らのために走り回り、忙しくて疲れていても、文句を言うことはありませんでした。

 夫は出稼ぎに行かない場合でも、畑仕事を心にかけることなく、雀荘の常連でした。畑仕事を頼むと、私に怒ったり、罵ったり、殴ったりしてきたのです。私は彼を恨むことなく、自分のやるべき仕事をやっていました。自分が借りを返していると知っていたので、心持ちもよく、離婚の考えを打ち消し、800元の貯金を家族のために使いました。

 二、義理の両親に親孝行してより良い人になる

 中国人は「百善のうち親孝行を第一に」と言われています。常人の中の善い人も親孝行をします。私は修煉者ですから、常人よりもさらによくやり、親孝行すべきです。嫁は義理の両親から生まれたわけではありませんが、誰にも両側の両親がいます。嫁としては、必ず義理の両親に優しく接しなければなりません。

 師父は、「どんな環境の中でも人には親切にしなければならず、まして自分の身内のものの場合はなおさらです」とおっしゃいました。そして、弟子である私は、師父のお言葉を聞かなければなりません。

 義理の両親は、人との付き合い方が横暴で、口を開けば人を罵りました。私は彼らの性格が分かっていましたので、彼らが私を罵っても、やり返しませんでした。私は師父のお言葉をしっかり覚えていました。「煉功者としては、殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さないで、常に高い基準で自分を律しなければなりません。」[1]

 法輪大法を修煉する前、私は義理の両親を避けて歩き、「逆らえないが、避けることはできるだろう」と考えていました。私はうわべは敬うように見せ、実は遠ざけていて、ただ平和だけを求めていました。大法を修煉している今、私にはもうそんなことができません。義父母は年々高齢になり、健康状態も年々悪くなっているので、誰かに面倒を見てもらわないといけません。

 私は頻繁に彼らに会いに行って、何か仕事があれば手伝ったり、義父母の体調が悪くなったら、すぐ薬を買いに行ったり、姑が自分達の汚れた服を出して洗ってくれと言ったら、その場で洗ってあげたりしました。義理の両親は自分の畑だけでなく、長兄の畑も請け負っていました。彼らは高齢で農作業が非常にやりにくかったため、年々私と主人にやらせていました。夫が出稼ぎに出た時、私にやらせていました。義理の両親はとてもわがままなので、先に彼らのために農作業をしなければならず、彼らの仕事が終わってからようやく私たちの仕事をすることができました。このようにして、私は10年以上にわたり、それが当たり前だと思ってやってきました。

 夫が出稼ぎに行って家にいないある日の夜中、脳血栓症の舅がドアをトントンとノックしてきました。私は驚いて目を覚ましました。彼は「辛いよ…」と言いました。夜中に車もなかったので、明け方になって、舅を連れて県の病院に行きました。舅はつまずいてしまうので、階段の上り下りの際、転ばないように、私はほとんど彼を背負っていました。舅は感動して涙を流しながら、「やはりあなたは心が優しいね、息子は家にいるとしても、彼はやってくれない」と言ってくれました。

 医者は診察を終えて、「大丈夫ですよ」と言ってくれました。姑は、舅のことをだだをこねる人と言っていました。私は、「まるで年寄りの子供、小さな子供。義理の父は年寄りの子供だ」と思っていて、彼を恨みませんでした。

 舅が亡くなった後、姑は衣食住のすべてを私に頼っていました。姑は息子には頼れなかったのです。私は修煉者として、手をこまねくわけにはいきませんでした。大法の法理では慈悲を説いていますが、誰に対しても親切にしなければなりません。ましてや、自分の家族、自分の義母に対してはなおさらです。

 姑は粉類が大好きだったので、私は蒸しパンや焼きパン、ケーキなどを買ってあげました。また、牛乳や粉ミルクなども買ってあげました。また姑は病気がちなので、私は医者を呼んできたり、彼女を病院に連れて行ったりしていました。点滴の時も一緒にいてあげました。

 その後、姑は腸の調子が悪く、よくパンツに大便をしていました。毎回、彼女の体を洗ったり、汚れたパンツを洗ったり、時には1日に2回も3回も洗いました。一度、彼女のために便を片付けた時、彼女は感動して涙を流しながら、「汚いことを気にしないの? 私はとても汚いのよ」と言いました。私は、「お母さんを嫌いではありません。誰もが年をとる日が来ますので」と答えました。

 姑は泣きながら「あなたは私の娘よりも優れている。私にこれほど優しく、申し訳がない。ごめんなさい。あなたが我が家に来てから、私はあなたに優しくしてあげなかったし、あなたは一日たりとも楽ではなかった。私は今生で返せない」と言いました。私は、「私に返す必要はありません」と伝えました。彼女は、「あなたはいい子だから、悪いはずがない。あなたに感謝する」と言いました。私は姑に「大法の師父に感謝してください」と伝えました。私は彼女に、「以前はあなたを恨んでいました。今は法輪功を修煉しているため、あなたを憎みません。あなたは年寄りになったし、私から見るとかわいそうです」と言いました。姑は涙が止まらず、「あなたはいい子だから、悪いはずがない。あなたはいい子だから、悪いはずがない…」と繰り返しました。

 昨年の冬、夫は出稼ぎの準備をしていましたが、姑の病気が重くなりました。私は夫に「仕事に出かけないでください。お母さんは具合がとても悪いので、あなたは彼女の傍にいて世話をしてあげるべきです。あなたが家にいなかったら、私も仕事がたくさんあって、万が一の時面倒を見切れないことを恐れています。お金を稼ぐのは今この時ではなく、おかあさんが去った後に後悔して悔いを残さないようにしましょう」と伝えました。私の説得により、夫は出かけませんでした。その日のうちに姑の傍へ行き、日夜、危篤状態に陥った姑を見守りました。

 それから20日後、姑は87歳の高齢で静かに息を引き取りました。姑の長男一家は誰も姑を見送るために故郷に帰らなかったのです。姑の娘は亡くなっていて、彼女の夫も来ませんでした。私たち夫婦は、姑の埋葬を民間の慣習に従って行いました。

 今回の姑の葬儀は、村の法輪功学習者やその家族が全面的に協力してくれました。手伝ってくれる家族がいなかった夫はとても感動し、法輪大法に心から感謝しました。それ以来、夫は自ら法輪大法の師父の法像にお線香や果物を供えています。

 三、子孫が福報を受け 息子の嫁が大法を守る

 私の息子は子供の頃から法輪大法は素晴らしいと知っていて、私の修煉や私が人を救うために真相を伝えることを支持し、真相を伝えるために私に同行する場合もありました。息子が小学生の時、学校は生徒に法輪功を中傷する教科書を配りました。息子はそれを読んで、「私の母は法輪功を修煉していますが、本に書いてあることとは違う」言い、人を害するその教科書を破り捨てました。

 息子は大人になってから、アルバイトを始めました。彼は仲間に大法の真相を伝え、三退(中国共産党、青年団、少年先鋒隊組織からの脱退)も勧めました。その後、息子は優しい人に出会って育成され、建築工程の技術を習得し、かなりの年収を得ることができるようになりました。

 孫は、幼いころから私と一緒にいたがって、一緒に寝たりしていました。一緒に過ごす中で、幼い孫は、祖母が自分を良くしてくれていること、祖母が煉功者であること、法輪功が素晴らしいことを知りました。彼が物心ついた時、私が彼に大法の書籍を読んであげると、彼は喜んで聞いていました。大法弟子が作った歌や公演のビデオを流すと、彼は喜んで見ていました。私は彼に師父の『洪吟』の中の詩を暗唱するよう教え、今彼は師父の詩をたくさん暗唱でき、また自分一人で『轉法輪』を読めます。

 孫は法を学ぶだけでなく、大法の要求通り、振る舞っています。クラスメイトにいじめられても、返したりせず、怒ったりもしません。師父は孫の智慧を開いてくださり、彼は勉強が得意で成績がクラスのトップになっています。

 息子嫁が嫁入りしてから十数年間、彼女は私を通じて法輪大法の素晴らしさと、大法弟子が良い人であることを知りました。彼女は外向的ではっきりとした性格で、口達者で、不平に遭遇すると、あえて立ち上がって正義のために戦います。一度彼女は長距離バスに乗っていましたが、後ろに座っていた男性客が公然と大法の師父を誹謗中傷し、「もう誰も法輪功を修煉していない」と言い出しました。嫁はすぐに立ち上がり、振り向きざまに「誰が修煉していないと言っているんだ! 他でもなく私が法輪功を修煉している。法輪功は佛を修め、善を修め、良い人になるように教えているのに、何をもって善くないと言っているのか」と男に向かって叱責の声を上げました。その男性は口を開けて呆然としていました。車に乗っていた乗客らは皆、嫁を見つめ、その勇気を称えていました。

 もう一度、息子が嫁を連れて省の医科大学に行ったとき、2人の同郷人に会ったことがあります。世間話をして、話題が法輪功に変わった時、その中の一人が、「法輪功は良くない。焼身自殺するし、ビラも配っている」と言いました。嫁は「法輪功が悪いわけがない。 みんなが法輪功を修めれば、悪い人はいなくなる。私の義母は法輪功の学習者であるが、健康で優しく、いつも人のことを考え、誰とも喧嘩をしない」と言いました。その言葉を聞いた相手は、それ以上何も言いませんでした。

 私と家族全員は法輪大法の佛光を浴びています。すべての縁のある人が、法輪大法の素晴らしさを知り、明るい未来があることを望んでいます。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/5/19/425774.html)
 
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