【慶祝513】 憎しみを解き 慈悲で宿願を果たす
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文/長春の大法弟子 華宇  

 【明慧日本2021年6月4日】私は1998年に法輪大法の修煉を始めました。今年で70歳になり、定年退職する前は教師をしていました。私が義父に対して憎しみを持つようになったのは、1993年頃からでした。

 憎しみ

 あの頃、夫の実家と私の実家は地方都市にあり、私たち一家は他の場所に住んでいました。夫は鉄道会社で働き、私は学校の教師をしており、娘は7歳で小学2年生でした。裕福ではありませんでしたが、安らぎのある幸せな3人家族でした。

 1993年4月のある日の午後、生徒たちの賞品を買って学校へ戻った時、学校の上司から、私を探している人がいると言われました。行ってみると、見知らぬ男性が2人立っていました。私は彼らに「何かご用ですか?」と聞きました。彼らはとても言いにくそうに、「市の交通局からきました」と言いました。私は少し違和感を覚え、慌てて聞き返しました。「何かあったのですか?」、彼らは「ある人と衝突してしまい、その人はすでに病院へ運ばれました」、「衝突した人が意識不明なので、あなたのご主人かどうか今、判断できません」ということでした。

 夫は今朝、「今日は用事があるので出かける」と私に言っていたのを思い出しました。私は最悪な事態を予測して、心は穏やかではありませんでした。途中、上司が私と一緒にいてくれて、ずっと私を慰めてくれました。

 病院の救急室に着くと、夫はただ息をしているだけでした。頭部を酷く損傷しており、左腕と右足の骨が折れ変色していました。医者は、「3日間の峠を越える事が出来たとしても、植物人間になるでしょう」と言いました。私はそれを聞いて、めまいがし、座りこんでしまいました。上司は、「しっかりして。早く双方の家に電話して、ここに来るように呼んで」と言いました。

 私は誰に電話したら良いのか家の電話番号を必死に思い出しました。電話してから数時間後、両家が続々と駆けつけ、皆がそろいました。このような場面に直面して、気持ちが落ち込み、私の頭は真っ白で、何をすればいいか分からず、夢か現実か全く分かりませんでした。

 3日経っても夫はまだ目が覚めませんでした。なにかの本に書いてあったことを、ふと思い出しました。人がこのような昏睡状態のとき、身内が大声で呼びかけたら、意識が戻るかもしれないという事でした。夫の意識が戻ってほしいという一心で大声で呼びかけました。「あなた、行かないで! あなたが行ってしまうと、私と子供たちはどうすればいいの? 私たちにはあなたが必要なのよ!」

 私は夫の側で名前を叫び、2回叫んだところで、義父が突然現れて、大声で私の名前を叫び、「なんのつもりだ?」と聞きました。なんのつもり? 私は意味が分かりませんでした。私はただ夫に目を覚ましてほしいだけで、それが間違っているとでも言うのでしょうか?

 一瞬にしてこの上ない悔しさが込み上げて来ました。「義父はなぜ私にこのように言うのか? 私が彼の息子をこんな目に遭わせたとでも言うのか?」。絶えず涙があふれてきて、心の苦しみを抑えきれず、義父と口論になりました。両家が聞きつけて皆がやって来て止めました。姉が私を隅に移動させ、絶えず私をなだめ、涙を拭いてくれました。その日、夫はずっと目を覚まさず、夜になってから、彼はこの世を去りました。

 この交通事故は市の機械部門が引き起こしました。交通局の人が言うには、夫は自転車で小路から道路に出たとき、都市の会議へ行くため急いで走っていた機械部門のサンタナセダンと衝突したということでした。片付けや葬儀など、約1カ月ほどの時間がかかりました。義父の家族は、表立って何か行うことはなく、全て私の兄が行ったり来たりと奔走しました。しかしこの間、義父たちは立て続けに思いもよらぬことをしました。一つ目は、子供を連れて行こうとしました。子供は彼らの家の子だと言い、姓は彼らの姓だから、私の所に残してはいけないと言いました。このことについては3番目の夫の弟が止めました。二つ目は、彼らは夫の職場に葬儀費用を受け取りに行きました。職場の労働組合の責任者が、「そのお金は彼の妻に渡せますが、あなた達には渡せません」と言いました。また、事が終わってからも彼は帰らず、賠償金の分配を待っていました。

 夫が突然この世を去ったこと、義父の一連の行動、自分のこれからの生活のこと、ちょうど病院で病に伏している私の父のことなどを考えると、大きな圧力を感じ、耐えられませんでした。宿泊所で私は倒れ、彼らに反論する気力さえありませんでした。

 私の心の中では、怒りと憎しみが、膨れ上がっていました。このような老人は一体何者なのか、彼は私の傷口に塩を塗っているのではないか? 娘は私の腕を引っ張って「ママ、怒らないで。これからおじいちゃんは、もう私のおじいちゃんじゃなくなるし、私もおじいちゃんはいらない」と言いました。兄も姉も私を励まして、「こんな人に腹を立てるのは止めて、これからは自分の人生を生きなさい」と言ってくれました。

 たしかに、私はこれから義父たちと付き合いがあるのだろうか? もう行き来などすることはない。そう思って、私はこの強烈な憎しみを心の奥底に仕舞い込みました。

 縁を結ぶ

 1993年7月、仕事場で内部異動があり、私は娘を連れて都市部に移りました。(現在、住んでいる市)、こうして両家と近くなりました。しかし義父には会いたくないので、彼らに知らせませんでした。

 義父の家の親戚の1人が、私と同じ学校で働いていて、この人が義父に知らせたのでしょう。ある日、仕事が終わったあと、遠くから彼が校門の外にいるのが見えました。おそらく子供を見に来たのでしょう。私はすぐに子供を引っ張って、別の場所から立ち去りました。1997年になるまでの5年間、彼は約3回ほど学校に来ましたが、私達は会うことはありませんでした。

 移って来てからは、仕事場から遠い姉の家に住んでいました。あの悲しかった場所からは離れられましたが、慣れない仕事環境、生活上の重圧、夫と父親という最も身近な2人を失った大きな悲しみは、私の精神に重くのしかかりました。私は日を追うごとに痩せ、憔悴し、意気消沈し、身体の状態がますます悪くなりました。リウマチ、卵巣炎、胆嚢炎、胃炎(胃底部からの出血)、頸椎ヘルニアからの脳貧血、これらの病は身体をひどく蝕みました。私は薬に頼り、漢方薬や西洋の薬をたくさん買いました。当時、私は二つのクラスを担任しており、3時間目が終わると息切れしていました。

 上司はとても私を気にかけてくれ、同僚を差し向け、私のクラスを手伝わせてくれました。この同僚は法輪大法を修煉していました。私の状況を見て、「この功法は、病気を取り除き、健康を増進する不思議な効果があります。学べばあなたの身体は必ずよくなります」と修煉を勧めてくれました。当時の私の生活は余裕がなく、会社と自宅の往復だけだったので、法輪大法が世間で広く伝わり、どんな功法なのかも知らず、学びませんでした。

 それから、私の身体はますます悪くなり、3時間目も出来なくなり、頻繁に病気で休みを取っていました。クラスを手伝ってくれる先生は、また、私に法輪大法を勧めてくれました。彼女は心から私を気遣っており、善良な人だということが分かりました。私はまだあまり法輪大法を理解していなかったのですが、やってみることにしました。彼女は私のために大法の本をくれました。こうして私は法輪大法を修煉し始め、大法弟子になりました。

 憎しみを解く

 1998年1月の冬休みの期間、私は『轉法輪』を学び始めました。まだ学び終えていないうちから、これは素晴らしい本だと感じました。良い人になって向上できるように教えてくれる本だと思いました。本の中には、私が人生の中でいくら探しても見つからなかった多くの答えが分かりました。心が今までになく広々とし、明るく、楽しくなり、自然に最後まで学ぼうという気持ちが湧き起こりました。

 私は法輪大法の『大圓満法』に従い、五式の功法が出来るようになりました。数カ月後、全身の病が、知らず知らずのうちに消え、全身が軽くなり、非日常的な感覚がありました。仕事に自転車で行くとき、本当にまるで人が押してくれるようで、階段をいくら登ってもとても軽やかでした。私は以前のような状態でなくなり、本当に素晴らしいと思いました。まるで違う人に生まれ変わったようで、それは私の人生の中で最も喜ばしい時間でした。

 師父は説かれました。「あなたは、煉功者である以上、良い人でなければならないのですから、徐々に宇宙の特性に同化し、あなたのもっていた良くないものを捨て去るべきなのです」[1]

 「どんな環境の中でも人には親切にしなければならず、まして自分の身内のものの場合はなおさらです。親だろうと子供だろうと誰に対しても同じように、何事につけてまず人のことを優先に考えるならば、それはもはや私心ではなく、慈悲心によるもので、慈悲そのものです」[1]

 師父の大法に照らして私は自分を振り返りました。師父の話を聞いて、大法の要求を満たしているのか? 私は自分がとても差があると感じました。義父に対して憎しみがあるのを思い出し、改めるべきではないか? と思いましたが、心の中でとても難しいと感じました。その結び目は硬く、隙間がなく、触れたくもありません。しかし、もし私がやらなければ、改めなければ、私はどのように修煉者と言えるのでしょうか? どのように良い人と言えるのでしょうか? 大法の真・善・忍の基準に達せず、師父の話をきかず、人に対して慈悲深くありません、どうすれば良いのでしょうか?

 ちょうど耳にした親戚の話では、義父の身体は最近良くないそうです。私は親戚に彼を見に行くと伝えてほしいと頼みました。まだ行かない内に、彼が学校に来ました。舅を見ると、まだ気持ちが良くありませんでした。以前の事がまた思い出されましたが、私はなるべく自分を抑え、それについて考えず、平静を保ちました。

 5~6年間会わないうちに義父はだいぶ年を取り、精神状態もあまり良くなさそうでした。私は心の中で思わず哀れに感じ、義父も苦しんでいるのだと思い、彼を教室に連れて行き、私の娘に会わせました。(娘は私の学校にいる)。娘を見て彼は泣きました。娘はしきりにおじいちゃんを見て、また私を見ていました。私も涙がこぼれました。彼は孫娘だけでなく、息子にも会いたいのだと分かっています。

 家に帰ってから、心が落ち着きませんでした。落ち着かない原因は憎しみではなく、あのときの彼が正しいのか間違いなのかではなく、多くは彼に対しての同情と憐れみで、また私の強い自責の念でした。私は初めて、彼も大変だったのだと思いました。彼は早くに妻を亡くしていて、彼は父親と母親役として、何人もの子供を育てて来たのです。学校、仕事、結婚、彼はどれだけの苦労をしたでしょう? 更に子供が親より先に逝くという苦しみはどれほどのものだったのでしょう。当時の彼が理不尽な行動をしたのも、お金をあんなに重く見たのも無理はありません。

 私はなぜこの数年このことに気付かなかったのでしょうか? 彼の立場に立って問題を見ておらず、ずっと憎しみの心を放さず、彼に恋しい息子や孫娘に会えない苦しみを与えてしまいました。彼が何度、学校に来ても子供に会えず、どんな気持ちだったでしょうか?

 ここまで思って、私は驚きました。私は自分が変わった事に気づきました。考え方が大きく変わったのです。人のために考えることができ、相手の気持ちが分かるようになりました。これは以前の私にはなかったことです。これは大法の師父が、私たちに良い人になるように教えて下さった結果です! 私は心から思いました。「ああ、これが修煉なのですね? 修煉は本当に素晴らしい! 師父のおっしゃった通りにするのはなんと素晴らしいのでしょう!」

 このような内面の変化を通して、前に進むためのモチベーションと方向性が見えました。それから彼を家に招きました。彼は少しぎこちなく、私も最初は慣れていませんでした。しかし大法の要求に従い、やるべきことをしようと思いました。彼に対して優しくし、大法弟子の慈悲を彼に示しました。また、彼の好きな料理を作り、話題を探しておしゃべりをしました。彼の息子はいなくなったけれど、ここで彼も一緒に一家団欒の楽しみを感じられたらと思いました。時間が経つと、彼は私が心から良くしているのを感じ、とても感動しました。

 ある日彼に、私が法輪大法を修煉していることを伝えました。彼はしばらく考え込みました。中共が法輪功を迫害しているので、怖がっていたのです。私は彼に、「心配しないでください。私は賢明に行っています」と言いました。続けて、法輪大法とは何か、なぜ中共が法輪大法を迫害するのか、私の全身の病がどのようにして良くなったのか、私がなぜあなたにこのように良くできたのかを話しました。これは大法の師父が私にこのようにするようにおっしゃったからですと伝えました。それから私は彼に三退を手伝ってあげたので、彼は笑顔になりました。

 義父は一人暮らしをしていましたが、その後老人ホームへ行きました。私は頻繫に行って、食べ物や飲み物、服、靴、シーツ、掛け布団カバー、下着、靴下、半ズボン等を買って持って行きました。彼の家族も私が孝行しているのを知っており、老人ホームの人も皆知っていました。

 ある日、彼を見に行くと、部屋にいなかったので、同室の老人と世間話をしました。この老人は、「あなたのお父さんは、あなたが一番良くしてくれると言っていますよ」と言いました。私は「私は一人で子供を育てています。子供はちょうど大学に行っていて、経済条件が限られています。私は少しでも娘として孝行したいのです」。話しているうちに、その老人の目線が玄関に移り、話をしなくなりました。振り返って見ると、彼がちょうどそこに立っていて涙を拭いていました。

 2005年秋、義父が体調を崩し、程なくしてこの世を去りました。生前、彼は遺言を残していて、彼の僅かな貯金を子供と私にも分け、給料の一部を娘に残していました。

 宿願を果たす

 義父が逝った後、私の心はとても静かでした。私は彼がいた日々を思い出し、何の悔いも残りませんでした。夫が亡くなってから数年間、なるべく義父に対して孝行しました。私は大法弟子として、嫁としてやるべきことをしました。それだけでなく、彼に大法の真相を伝え、彼の生命が良い場所に帰れるようにしました。

 師父は説かれました。「修煉は生命の向上の過程であり、一歩一歩と良い人に近づくことから始まり、徐々にさらに良い人、常人を超越する高尚な生命になり、そしてさらなる高みに到達するのです」[2]

 私がこのように出来たのは、法輪大法を修煉していたからです。義父に対して腹の中から憎しみでいっぱいで、二度と会うことはないと決め、会うのを避けていましたが、それから会うことになり、よく会うようになり、これは心性が向上する修煉の過程で、私の心が一步一步、変わっていったからです。私は悟りました。これはまさに師父がおっしゃった生命の昇華の過程なのです。

 長い間、凝り固まり、冷たく憎しみでいっぱいだった心を、師父の慈悲と法輪大法の美しさによって溶かすことが出来ました。法輪大法の寛容、善良、慈悲の心で、やっと相手に接することが出来たのです。師父の教えがなければ、私は出来なかったでしょう。

 師父と大法に感謝いたします! 私は自分を励まし、続けて師父の話を聞き、より良い人になります。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の経文:『ベトナムの学習者へ』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/5/20/425864.html)
 
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