文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年6月7日】一昨年、同地域の何人かの同修が誘拐されてから、ほかの同修たちは全力で救援に取り組み始めました。皆同修を救出することに集中していましたが、その中に同修Aさんを救出する人がいなかったことに気付きました。 私は心を分け隔てせず、仲間に平等に接するべきだと考え、率先して仲間のAさんの救出を引き受けました。
慈悲なる師父の按排により、翌日、田舎から来た同修Bさんが私の手助けをしてくれ、2人でAさんの救援に取り組みました。
Bさんは修煉してまだ間もないですが、とても精進しており、苦を嘗めることも恐れず、毎朝バイクに乗って、何十キロも離れた私たちのいる町に来てくれます。時折、Aさんの家族の情緒が不安定な時、何度も交流して、慰めなければなりません。そのため、Bさんの帰りも遅くなります。私とBさんは毎日忙しくて、学法する時間もありませんでした。
ある日、ある同修から私のマンションの下に610弁公室の人が私たちを見張っているとの知らせを受けました。Bさんと交流して、しっかり学法し、仕事に執着せず、強い正念を発して自分の状態を改善することにしました。同時に、他の同修にも我が家に来ないよう知らせました。
しかし、その日の晩、同修Cさんの家族が家に来て、弁護士と協力してCさんの救助に力を貸してほしいと頼まれ、また、その弁護士は翌日家に来ると言いました。しばらく学法していなかったため静かに法を勉強したかったので、どうすればいいのかと悩みました。しかし、Cさんの家族の懇願する表情と心配する姿を見ると断れず、結局引き受けました。
Cさんの家族が帰った後、明日、マンションを出るとき610弁公室の人がまだ下にいたらどうしようかと考えたら、急に怖くなったのです。しかし、自分は大法弟子なので、正々堂々としていなければなりません。大法弟子としてすべきことをしなければなりません。同修の生命は最も重要なので、魔難に遭っている同修を全力で救うことこそ、大法弟子として果たすべき責任です。ですから、たとえ怖くてもやるべきことをしっかりとやらなければなりません。
翌朝、私は師父の「如意、真理を帯びて来る、洒脱として、四海を歩む、法理を世間に遍く撒き散らし、衆生を満載して、法船は出帆す」[1]という詩を暗記しながら、内心はドキドキしながらマンションを下りました。幸いにも下には誰もいなかったので、浮いていた心もやっと落ち着いたのです。しかし、自分のこの状態は師父の要求にまだまだ達していないと思うと、悔しさはもちろん、恥ずかしさもありました。
恐怖心が取り除かれていないので、試練もまだ終わっていません。
マンションの下は610弁公室の人が常駐しているから、しばらく家を離れたほうが良いと再び同修に言われて、私自身も再び動揺し始めました。少しの間、子供を連れて別の町で暮らそうと思いました。しかし、もし、私と子供が家を出れば、義父さんと夫の2人になります。義父は初めて我が家で長く泊まることになり、元々この冬が終わるまで住まわせようと夫と決めていました。私が突然家を出たら、義母さんになんて思われるのでしょうか。法輪功への迫害の実態も伝えにくくなります。
また、義父が家に来てから、毎晩私と夫と一緒に法を勉強し、朝は一緒に煉功もしています。私が家を出れば、修煉してまだ間もない夫でさえそのうち修煉しなくなるでしょう。師父は他人を優先にすることを説かれました。自分の安全のために家族のことを考えないのはとてもいけないことです。それにこの家は、私が衆生済度するために師父が与えてくださった修煉の宝庫です。邪悪に好き勝手にさせてはいけません。
正念が強くなったので、心も落ち着きました。私はどこにも行きません! ここでやるべきことをやるのです。
長年にわたり、私は弁護士を雇って誘拐された同修の救援活動に参加しています。毎回、長時間かけて高い金額を費やし、同修たちが全力で救援しているところや、誘拐された同修の家族が心配や焦燥、不安、恐怖などに苦しまれているところを見て、真に実修し、人心を取り除き、修煉の道から踏み外さないことを常に自分に言い聞かせています。法の基準に達するまでまだまだ遠いのですが、法の中で向上し、自分を修めるほかに方法はないのです。
注:
[1]李洪志師父の詩:『洪吟二』「如来」